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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

価値観とランチタイム

2022年8月19日

お蕎麦「心理的安全な職場」が唱えられて久しいけれど、そんな綺麗な言葉では解決できない、表面には表れない檻が職場にはたまっている。

 

今年の芥川賞を受賞した高瀬隼子氏の「おいしいご飯を食べられますように」を読んで苦々しい想いを抱きました。あるメーカーの地方支店の人間関係を描いています。仕事が出来ないのに要領よく甘えて皆に守られている女性と、仕事が出来るのに率直すぎて損をしている女性、飲み会や食事を一緒にすることがチームビルディングと考えている上司、そして自分の価値観が明確なのに意思を貫けず他人に同調してしまう男性、無意識にセクハラを繰り返している男性、ゴシップで周囲をあおるパートの女性、彼らの日々の会社での出来事を描いています。

 

仕事が出来ないことをカバーしようと一人が手作りお菓子を持ってくると、お菓子が好きでないのに大げさに喜ぶ同僚もいれば、そのお菓子を皆が帰った後ゴミ箱に捨てる同僚がいてそこから不穏な空気が広がり、結局、仕事のできる女性が職場を去り、男性社員たちは変らない。むしろ職場にさらに同化していく。「あるある」場面をよく切り取ったと感心しました。同じことではないけれど、似たような感情を持った経験は私自身にもあります。

 

女性活躍推進だとか、アンコンシャスバイアスだとか、アンガーマネジメントだとか、色々やっても、案外一人一人の個人的な好き嫌いや、それぞれの職場でのサバイバルの戦略のほうが勝ってしまうのが現実かも知れません。だからそんな職場を生き抜く人を「あざとい」という言葉で表現することが流行ったり、また心が疲れてしまう人がいっこうに減らないのかも知れません。

制度や研修だけでは組織は変らないのでは、人間の性だから、と無力な気持ちになりました。これが芥川賞受賞の小説のテーマなのかと思うけれど、何十年か後にはこの時代を生きる人間の姿として捉えられるのでしょう。

 

しかし、もう一度、人事の視点からこのストーリーを読むと、課題は最初の場面で「飯は全員で食べるのがうまい」と断言する支店長にあるのではないかと気づきます。部下の事情や感情にかまわず「俺はそばが食べたい、みんなで食いにいくぞ」で相手を引っ張っていく上司。カップラーメンを食べて早く仕事を終わらせたい人、お弁当を持ってきている人、栄養に気を付けている人、食事にこそランチタイムにこそ、一人一人の価値観があるにもかかわらず自分の思い込みを人に強要する。この無神経さが全員のやる気を失わせていることに本人は気づいていません。チームビルディングのつもりなのです。だから、問題が起こった時に本質を見ることが出来ていない。

こんな上司は、もはやいないだろうと思っていたのですが、作者の高瀬氏は30代の現役会社員です。現存する上司の姿でしょう。

最初にこの支店長の発言からこの小説は始まりますが、作者はきっとそれを見抜いているはずです。登場人物の女性たちの責任ではないというメッセージも聴こえてきました。

 

「おいしいご飯が食べられますように」というタイトルは、一人一人の価値観を尊重して欲しいという願いでつけられたのだろうと、納得しました。ご飯を一緒に食べる仲良しチームではなく、価値観が重視されなければ心理的安全性は確保されない。

週末の読書にお勧めしたい一冊です。

(YK)

参考図書;「おいしいご飯がたべられますように」 高瀬隼子著 講談社(または文藝春秋2022年9月号)

関連セミナー:https://omotenacism.com/seminar/2021/0129/1803/

 

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女性は透明人間

2022年7月18日

富士山上空この数年、航空会社のお客様への呼びかけのアナウンスが「Ladies &Gentlemen」が廃止され、各社ジェンダーを区別しない言い回しに代わりました。日本語は元々、「ご搭乗の皆様」または「お客様」で呼びかけていますから、ジェンダーは特に表現に関係ありません。

とはいえ、実は日本語ほど役割で人を呼ぶ国はないのでしょうか。こと家庭内においては顕著であり、ジェンダーと呼び名が結びついています。

 

高齢者に「俺だよ」と言えば息子だと思われるだろう、と言う想定はなんてステレオタイプだと思うのですが、「俺」と名乗る娘はいませんし、それで通じるのが日本語です。

 

例えば、自宅に日中いればかかってくる電話はたいてい勧誘の電話なのですが「奥さんですか」で始まります。そう言われるとあまのじゃくな私は「違います」とだけ答えます。本当に私は「奥さん」ではないし「奥さん」もいないからです。

すると相手は戸惑い「・・・」と短い沈黙があり言葉を探しています。奥さんではない、では誰なのだろう、何と呼びかけたらいいのだろうと思うのでしょう。

たまに「ご主人いらっしゃいますか」ということもあります。女性には用がないのかしらと思いながら「いませんが何か?」と尋ねてみます。すると、これも相手は戸惑います。ある時「では●●について決定権のある方は」と尋ねられたことがありました。

女性は決定権者ではないと思われているのでしょうか。

詐欺だけではなく、セールス電話のマニュアルには、いまだに一般の家庭は昼間家にいるのは奥さんで、決定権を持つのはご主人と言う設定になっているようです。私としては「マニュアル改訂お手伝いしましょうか」と逆営業したくなります(笑)

まあ、いまどき固定電話に出るのは年配者だからなのかも知れません。

 

冗談はさておき、私のようなダイバーシティを扱う仕事をしていると、いちいち気に障ってしまい、とことん言い返したくなるから困ったものです。

 

では企業ではというと、先日、ある取引先企業からプロフィール写真の提出を求められました。私だけではなく他の方にも要請しているのですが「スーツ、ネクタイ着用」と注釈がありました。

女性について記載はありません。担当者に「女性はインナーは何を着れば良いのですか」と思わず問い合わせをしてしまいました。すると、担当者は「確認しますのでお待ちください」と即答がない。

うっかりであって悪気はないのは分かっているけれど、対象となる相手は3割ほどは女性であるだろうに、依頼をする文面に違和感を覚えていないのだろうなあと思いました。

信頼している企業の姿勢が、真のダイバーシティ実現の姿勢はないのだと感じてしまいました。

 

何かの本で「女性は社会において透明人間のように扱われてきた」と書かれていましたが、何気なく悪びれずに存在を無視されると残念です。

 

こうした積み重ねに、女性はもう慣れてしまって特に声をあげるほどのことではないとスルーしている女性は多いでしょうし、気にもしていないことは事実です。

 

私が憤慨していると「そんなこといちいち気にもしていません」と言う女性も多い。女性にも笑われて、私自身、なんだかフェミニストだと思われるのは嫌だなあと、肩身を狭くして口をつぐむこともしばしばあります。

それでも誰かのアイデンティティが無視されている状態では、決して、皆が自信を持って活躍できる場所にはならないはず。

 

相手のアイデンティティを尊重する。少なくともダイバーシティを推進しようとする企業においては、言葉や文章の細部にも気を遣って欲しいものです。

男性女性に限らず相手の感情に配慮する、これからの企業に必要な姿勢ではないでしょうか。

参考図書:「存在しない女たち」 キャロライン・クリアド=ペレス著 河出書房新社

(YK)

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Cool head but warm heart冷静な頭脳と暖かい心で!

2022年6月9日

黒白チェス「冷静な頭脳と温かい心」(Cool head but warm heart) 。イギリスのケンブリッジ大学のアルフレッド・マーシャルの言葉だそうです。経済学者のあるべき理想の姿だそうです。

経済のみならず色々な事柄についてもっていたい姿勢ですが、先日こんなことがありました。

 

ある大手企業の研修で出会った30代の男性の発言です。

「女性だから男性だから、なんて意識は僕には全くありませんね。女性も働いて欲しいし、女性の能力は組織に必要なこと、当然ではないですか」。

そのとおり!やはり時代は変わって来たと、心強く思いました。こういう男性が増えることが、女性の管理職を増やすことになるでしょう。

ところが、アンコンシャスバイアスの話に及んだ時、その同じ彼から出た言葉に私は戸惑いました。

「やっぱり男はリーダーシップを執らなければ男ではない、サポートしてくれる女性が必要ですよね」と悪びれずに言うのです。

 

さっき言ったことと逆行していませんか、と尋ねると「男ってそう言う風に育てられるんでしょうね。男は母親を求めているんですよ」との答えが返ってきました。

正しい自己分析かも知れませんが、それが自分のバイアスであり、矛盾していることには全く気づいていないようです。

 

家族は会社より大切だと言うし、同僚女性への理解もあるというやる気満々のリーダー。しかし、彼の周囲の女性は大変なのではないかと想像してしまいました。

もしかすると、会社の女性には活躍して欲しいけど、パートナーには家事を任せているのでは。会社の同僚女性も家に帰れば家族はいるかも知れないし、パートナーも会社に行けば仕事があります。

 

ダイバーシティの研修を長年していて、最近、仕事観や意識の男女差はギャップが小さくなってきたと実感しています。

しかし、いくら理屈でダイバーシティを理解しても、共感する力がなければダイバーシティは現実のものとなりません。

理解はしているつもりでも、言行不一致になっていませんか。自分が理解をしているだけで、状況や当人たちの気持ちをきちんと確認していますか。 理解だけでは共感には繋がりません。

 

Cool head but warm heart それにwith  fair action (公平な行動)を付け加えてご提案したいと思います。

(YK)

関連セミナー

世代や性別の壁を乗り越える! 『承認と共感のコミュニケーションスキル』~効果的な1on1ミーティングのために

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「国際女性デーx自分」を考える

2022年3月11日

紅梅白梅

紅梅白梅

3月8日は国際女性デーでした。1910年に「女性の政治的自由と平等のために戦う記念の日」として制定されたそうですが今、感染症に戦争という世界の状況を考えると、女性だけではなく全ての人にとって大切な日ではないかと思います。

 

しかし、女性活躍推進や女性の平等に興味のない女性も多くいます。自分自身は差別されているとは意識したことがないし、これまで自分自身の人生に何か女性であることが差し障りがあったと感じたことはないし、今のままでも女性も男性もそれほど違いはないと思うし、ジェンダーギャップ指数が120位だって自分いは影響がない、と思っている女性は結構います。

しかし本当に関係がないのでしょうか。

 

世界最大規模の慈善団体のビル&メリンダ・ゲイツ財団のメリンダ・ゲイツ氏が著書の中であげているコンゴのある村の話が良い例です。その村では、男性はあまり労働をせず、女性が遠くまで水を汲みに行き農作物を育てているそうです。しかし農作物はなかなか育たず貧困に苦しんでいる。ゲイツ氏たちが支援のためのインタビューをしようとすると会議に出てくるのは男性しかいない。しかし、実は男性は農作物の現状など何も知らないので、有効な支援が行えない。結局、どんなに支援しても無駄に終わり、いつまでたってもその村は貧困から抜け出せない。

この話は、権力や意見に偏りがあると、結局誰にとってもプラスにならないということをよく示しています。

そして、もしかしたらコンゴの村けではなく、自分の企業でも同じことが気づかないうちに起きているかも・・・?

 

今、日々、辛い報道を目にしています。世界の平和はこんなにももろいものだったのかと恐れを感じていいます。そしてもう辛くて見ていられないのが、お年寄りや子供を連れた女性の姿です。誰かの誤った判断、偏った考えや意見の違いが、世界をこんなにも簡単に辛い場所にしてしまうのです。

平和を愛する気持ちにジェンダーは関係ないでしょう。でも間違いなく産み育てる女性に負担が多いのは事実です。女性の意見が反映される社会は住み心地の良い場所になるはずです。

だから男性にとっても女性の課題は自分の課題。ジェンダーの平等はどちらの側にもプラスになりそうです。

 

では、どうしたらいいのでしょう。

自分はどうかかわるのか。

私の結論は、自分で考え自分の意見を持ち表明出来る人であり続けること、精神的に経済的に自立する人であること、それが私たが平和な社会に貢献できる一番早い方法である気がします。早いけれど結構難しいことでもありますね。

 

だからこそ、多くの人とジェンダーを超えて尊重しあい仲良く手を携えあうこと、つくづく大切にしていきたいと思います。

(YK)

参考;「いま、翔び立つとき」 メリンダ・ゲイツ著 光文社

関連セミナー「ボスの知らない女性の特性」https://omotenacism.com/seminar/2021/0129/1803/

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謙遜するなんておこがましい

2022年2月20日

フィギュアすけーt北京オリンピックで日本人選手の活躍が今週はめざましい。
メダルを取っても思う通りの結果を出せたわけではなく、自分基準では満足の出来ではなかった選手も、聞かれれば「精一杯努力した結果です」と胸を張ります。

それはそうでしょう。あんな高いところからスキーを履いてジャンプしたり、空中で回転したり、氷の上で回転したり、人間の限界ってどんどん広がって行くのだと本当に感心します。

 

私たち日本人は謙遜するのは美徳だと教えられています。謙虚であれ、とよく言われます。

でも、オリンピアン達のように本当に頑張った人たちが自分の努力を自分で堂々と認めることに不快を感じる人はいないはずです。なぜなら、彼らが想像を絶する努力をしていることが想像できるからです。その人達に向かって結果の是非を責めたりしません。

 

女性の多くが自分の成果を主張するのが苦手です。

先週行ったワークショップの一人の参加者が「自分の成果を主張したら、はしごを外されそうで怖くて出来ない」と発言していました。他にも同調する人が数名。それは根拠のない恐れではなく、きっとそうした例を見てきたからでしょう。

 

謙遜する必要はありません。なぜならあなたはそれほど偉大ではないのだから。

ゴルダ・メイア(イスラエルの元首相)

 

そんな折、こんな言葉を目にしました。本当に精一杯努力した人に対して石を投げる人はいないと思うのです。

認めないにしても鞭は打たないはず。梯子をはずされたらそのままそこに留まればいいのです。後戻りしない!

 

金メダルは自分で自分にあげましょう。堂々と「私は頑張った」と言える自分になることから始めたい。

オリンピアン達からまた教えられました。

(YK)

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決める力

2021年12月26日

クリスマス花「自分で決めることが出来ない」

女性の活躍を阻む12の習慣についてはここで何度もご紹介していますが、今年一年、女性を観察して追加したいと思う項目です。

これには12の習慣と同様に女性の特性が禍となって、他人の思惑を気にしたり謙虚であったり、他人への気遣いで決められなかったり、自信がなかったり、というようなことが要因と考えられます。決められない人は他人の思惑を尊重する優しい人なのかも知れません。が、こうした「決められない」ことが、仕事が進まない原因や評価されない要因になっている場面を多く見ます。

 

どんな人でも毎日たくさんの決断をしていると聞いたことがあります。

朝目がが覚めると、朝食は何を食べようか、どの服を着ていこうか、電車はどの車両に乗ろうか、ランチはどの店で取ろうか、などなど平均3万5000回だそうです。

決断疲れをしている人も多く、スティーブジョブズ氏が黒のTシャツと決めていたのは決断疲れを避けるためとも聞きました。

 

決断することは労力を要します。疲れます。そして怖い。

それでもプライベートな小さなことであれば、なんとか決めている人たちでも、仕事となると小さなこともコンセンサスを取ろうとする、上司の許可を得ようとする。大きな方向性であれば仕方ないとしても細かいことまで決められないとなると、仕事はストップしてしまいます。

 

もちろん、決断できない裏には、上司のマイクロマネジメント(細かい点まで指示を出す)や上司に勝手にやったと注意を受けたという苦い経験もあるのかも知れません。

 

「決断力」はリーダーに求められる要件のひとつです。様々な状況にあってリーダーは常に決定していく責任を背負います。リーダーになりたくない、と言う女性の多くがあげる理由の一つでもあります。

 

しかし、さらに私が課題だと思うのは、自分の人生について決められない人達です。家族が、環境が、背景が、と考えて決めないのは配慮ではなく、自分への言い訳になっていないでしょうか。

コーチングの場面で「10年後何をしていたいか」と尋ねて「今の会社にいられるならずっとこのままは働いていたい」と答える人のなんと多いことでしょう。それは状態であって、「何をしたいか」という問いの答えにはなっていません。

結局、意思がなければ決断する必要もないでしょう。何をしたいのか考えて、そのために決断する、2022年はそんな年にしたいものです。

 

人生の決断はハードル高いと言う方は、まずは練習してみてください。日々の自分の行動から目的を持って決めていきましょう。

例えば、今年はスリムになりたいのであれば「朝の筋トレ10分実行」と決めるのです。そんなことはやったことがあると思われるかも知れませんが、「やろう」ではなく「決める!」と強い意志で決めることがポイントです。決めたことは実行する、これは自分との約束です。コミットメントです。

 

決断して実行し、結果が出たときの喜びは癖になります。

2022年良い年になりますように!

(YK)

 

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どちらが月でも太陽でも~どちらに合わせるということではなく~

2021年11月23日

皆既月食「女性に合わせろということですか?」

女性にありがちな習慣や心理を紹介したダイバーシティ研修終了後、参加者の40代の男性から不満そうなつぶやきが聞こえました。

「どちらがどちらに合わせるということではなく…..」と答えようとすると「結局、女性をどうしたら変えられるんですか」との質問に私も思わず気持ちが昂り「女性は男性のやり方にこれまで合わせてきたのですから」と言い返しそうになり、あわてて言葉を飲みました。

 

旧態以前、「昭和の男ですね」などと笑い話には出来ない、実はまだまだまだ多くの日本人が持っている意識だと思います。しかし、ここまであからさまに言われるとは、少しショック。がっかりしました。

 

また、先日、ある芸能人が情報番組で夫婦円満の秘訣を「奥さんがにこにこ笑っている家庭は幸せだから、奥さんを怒らせないようにしている」と語っているのを聞きました。この人の奥さんはどのように思っているのでしょうか。奥さんだって彼の幸せのために日々努力しているのではないでしょうか。

 

さらに愛妻家を自認する男性にありがちな「奥さんは承認を求めているのだからねぎらってあげましょう」というような発言。奥さんが大変なのは、そもそも自分が原因ではないのか考えてみたらよいのに、と不快に思います。

それなのに「優しいですね」と相槌を打ってしまう自分(笑)。

内心感じていることと空気を読んでしまう発言のギャップ、ぶれているなあと自分自身が嫌いになります。

 

一見、女性に配慮しているるように聞こえるこれらの発言ですが、冒頭の男性と同じです。上から目線なのです。相手を弱いもの、かばってあげるもの、と捉えるのは優しい行為のようですが、実はそこで上下関係を作っています。

そして罪なのは、そのことに気が付いていない。本当に優しいつもりでいる人たちです。

 

宇宙飛行士の向井千秋さんが、1985年に宇宙飛行士の募集要項に「男女を問わない」とあったことについて本当に感謝していると述べています。

「女性は守ってあげないといけない存在だから、危ない仕事に就いてはいけません」という風潮の時代に活気的であったというのです。

そのおかげで、女性の可能性だけではなく宇宙研究にさらなる広がりが出来たのではないでしょうか。

もう40年近く経ちましたが、さすがに公にはこのような発言はないものの、冒頭にあげた男性のパートナーに対する感覚は、男性にも女性にも無意識にもっている人たちは、まだいるような気がします。

 

誤解しないでくださいね。

パートナーをねぎらったりいたわったりする必要がないと言っているのではありません。

男性が女性にだけではなく、女性が男性に、相互に支えあうことが大切であり、どちらかに合わせるのではなく、双方が自分のやり方で生きることが出来る社会でありたいものです。

そして変えられるのは自分自身だけ。相手は変えられません。

 

さて、私自身、辛口ばかり言うのではなく、性別問わず、共感し配慮してくれる人といたいと思いますし、また自分自身もそうあるよう努力しなくてはと戒めています。

お互いを月と太陽に例え合った元プリンセス夫妻。どちらが太陽でも月でも、お互いがなくては地球は存在しないこと、

忘れないでおきましょう。

(YK)

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Awayにさせない~クリティカルマス~

2021年9月26日

【テキスト】ペンギン先日、リモートでセミナーに講師として登壇すると、画面に現れたのは全員が男性、しかも担当者も男性で女性は私一人。こうした状況は、リアルでもリモートでも特に管理職を対象にすると良くあることです。

「アウェイだ!」

日頃、男性と働くことに慣れている私であっても、おくびには出さないものの少し緊張します。特に、男性がユニフォームのようにそろってスーツを着ていると、アウェイ感はさらに強化されます。

 

女性ばかりの中に男性一人であったり、外国人の中に日本人一人であったり、どのような場合でも、少数派は個人差はあるにせよ、若干の居心地の悪さを感じるでしょう。

誰でもアウェイはあまり嬉しくない。しかし、女性はそうした状況に頻繁に置かれていることに気が付いていますか。特に立場が上になるとその状況はさらに増します。

 

スポーツでもアウェイでは、良い成績を出せないことが多い、不利であることは知られています。

自分の仲間(アイデンティティ)が少ない状況では、人は思う存分に実力が出しにくい。異質なグループの中におかれると誰でも不安になる、心理的安全性が脅かされてしまうのです。

 

私の場合、女性が多い場では自分の意見を自信を持って開示できるのに対し、男性が多い場では出来る限りデータを示すことで自分の説の正当性を示そうとし、結果、自分らしさが出しきれない傾向にあることを自覚しています。

 

社会心理学者のスティール・クロード博士は、少数派は常に自分の属するメンバーの代表としてふるまおうとするため、無意識のプレッシャーを受けると言います。

簡単な作業であれば、そのプレッシャーが背中を押し期待以上に良い成績をおさめるのに対し、難しい作業の場合、今度は「間違ってはいけない」という緊張につぶされていつもより上手く出来なくなるという実験結果が実証されているそうです

 

他方、私は外資系企業に勤務していた頃、外国人が多数の中に一人という状況は嫌いではありませんでした。帰国子女でもなく外国語のほうが流暢だというわけではもちろんありません。でも、なぜか気が楽だから不思議です。

恐らく、それは同席する日本人への忖度が不要になるからなのだと思います。また、職位や肩書(ヒエラルキー)によらずに、一人の意見を尊重しようという文化がより個人主義の国の人たちにはあるからかも知れません。

 

さて、これでお分かりのように、女性の管理職の数を増やす、というのは単に機会を平等に与えるという目的だけではなく、全ての人が実力を発揮するために心地良い環境を整えることに繋がるということです。

 

誰にでも居心地のよい組織を作ることに反対する方はいないでしょう。

 

そして個人の意見に耳を傾けるという姿勢を持つ、個人を尊重するという風土を作る。

女性活躍推進はその始まりにして欲しいと思います。

 

クリティカルマスとは:

学校や職場など特定の環境で、少数派が一定の数に達した結果、少数派であるがゆえの居心地の悪さを感じなくなること

 

参考資料:「ステレオタイプの科学」クロード・スティール著 英治出版

(YK)

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自分の金メダルの基準

2021年8月1日

ひまわり反省し過ぎる、自分を責めすぎるのは、多くの女性に見られる特徴です。だから、反省し過ぎるより「自分が出来たこと」「頑張ったこと」にフォーカスをして自分を誉めましょう、といつもお伝えしています。

 

しかし、今、連日オリンピックで女性の活躍を見ていると、ちょっと違うのではないか、という気がしてきました。「頑張っている」というのは彼女たち、彼らたちのような真剣に自分のやるべきことややりたいことに、日々自分と真剣に戦っている姿を言うのではないかなあと感じています。

 

女性のメダリストたち、特に相手と対戦する競技の選手たちは、相手を威嚇するような怖い表情と雄叫び。(雄叫びは雄だけのものではないのですね)どうだ!負けないわよ!と威圧しています。20歳にもならない卓球の女子選手の表情は怖いくらい。それはそうでしょう。この日のために彼女たちは何年も、メダルを目標と見据え、努力を重ねてきたのですから、譲るわけにはいきません。

 

そして金メダルはゴール達成の証であって、メダル自体に価値があるわけではなく、自他ともに認める成績に価値があるのですよね。

それに比べて自分を顧みると、やりたいことも達成したいこともあるけれど、でもそれに対して絶対譲れない、勝ち取りたい、負けられないというような意地を持っているかなあ、と思ってしまいます。

 

いやいやオリンピックじゃないんだから、戦いじゃないんだから、そんなに向きになる必要はない?でもその程度の覚悟や努力ではやっぱり、ゴールは達成できない、自分の欲しい人生は勝ち取れないのではないでしょうか。

 

一方、小さなことでも自分にご褒美を上げるのは得意なのは私だけではないでしょう。ちょっと頑張ったからご褒美のシャンパン、新しい靴、エステ、と自分を甘やかします。金メダル級なご褒美はなかなか得られないけれど、まあそんな物はいいや、とどこかで思っています。

 

先月も様々な企業や場所で、たくさんの女性に研修やセミナーを行いました。どこでお会いする女性も皆さん、本当に一生懸命頑張っています。真面目です。でも大手の企業、恵まれた環境にある会社にいる女性ほど、「頑張っている」自己評価のレベルは低いかも知れません。世界レベルとは言わないけれど、日本の中で生き抜いていくにも危ういかも知れません。そして、皆さん、他人に認められなくても自分で自分にご褒美をあげればいいと思っている節があります。

 

でも、日本の女性には世界レベルに行って欲しい。それに、他人にメダルをかけてもらうくらい頑張ったら、きっと見える世界も変わるのではないでしょうか。

 

やっと開催された、そして次回はいつになるか分からない東京オリンピックの機会に、自分の金メダルは何なのか考えてみてはいかがでしょう。

(YK)

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第4の自分を定義する!

2021年6月27日

20210617_152127「ドラゴン桜」というTVドラマが人気です。落ちこぼれだったっり家庭の事情を抱えたりしていた高校生たちが熱血先生に指導を受けて、東大を目指すという話です。

単に根性物かと思いきや、見ているうちにこれは、アイデンティティーの再構築の話なんだ、と気づきました。そして東大は、自分の目標の象徴で「灯台」なのだと思いました。

アイデンティティーとは「自分はこういう人である」という自分の定義です。

ドラマの中の高校生は「自分なんかダメだ」「自分が東大へ行けるわけがない」「私はこういう人だから」と自分自身を決めつけています。しかし、その自分への思い込みを丁寧に懸命に力強く主人公の先生は壊して行きます。

 

 

コーチングの神様、マーシャル・ゴールドスミス博士はアイデンティティーには4つあるといいます。

①記憶されたアイデンティティ

誰でも強烈に覚えている過去の自分があります。

子供の頃は成績がよくて神童と言われていた。スポーツだけは得意だった。勉強は嫌いだし出来なかった。

もう随分昔のことであるのに、記憶に残っている自分を本当の自分の姿だと思い込んでしまいます。

社会人になってからも成功体験や失敗体験が強烈に記憶されると、それが自分であると思いがちです。

②反映されたアイデンティティ

過去の自分と他人からの評価で出来上がった自分自身です。

優秀なのにいつも肝心なところで失敗する。スポーツが得意だから当然アスリートになるだろう。ラーメン屋の息子だから勉強は出来ないだろう。

過去の自分に対する他人の評価をいつの間にか自分に対する正しい判断だとすり替えてしまうのです。

③刷り込まれたアイデンティティ

親や先生に刷り込まれた自分の姿です。

家族が成績優秀だから自分も優秀で当然だ。オリンピックに行くことが人生の成功だ。ラーメン屋の息子が大学へ行く必要はない。

影響力のある人に言われ続けていると、それが自分のあるべき姿だと勘違いしてしまうのです。

④作り上げるアイデンティティ

そして、最後に第4の自分です。過去や他人に左右されない自分で作り上げるアイデンティティーです。

ドラマの高校生たちは、「東大へ行ってスポーツ医学を学びアスリートを支えたい」「ビジネスを学んでラーメン屋の経営をよくしたい」と親や周囲の思惑ではなく、自分自身で目的をみつけることで、自分という人間を再定義しました。

 

例えば、子供の頃、運動神経が良くなく自転車に乗るのも苦手だった。そして友達が「あなたが車の運転できるわけがない」と言う、親にも「絶対に運転免許を取ってはダメ」と言われていた。私の話です(笑)。だから私は今まで免許は取らずにきました。取りたいとも思わない、最初から無理、と思っていたからです。そうこうするうちに、自分で言い訳を作っています。「私は車には興味がないから」

が、時々、本当にそうだろうか、と疑うことがあります。やってみないだけで、出来ないことではないのではないか。もしかすると好きかも知れない。私は決めつけたアイデンティティーで可能性をひとつ失っているのかも知れません。

誰にも、多かれ少なかれ、自分自身で触らないと決めつけている領域や行動はあります。そして、その自分自身のアンタッチャブルに可能性はあるかも知れません。

そもそも、出来なかった苦手だった経験は、何年前の話ですか? 子供の頃からと言うなら、ひょっとして何十年前の話では? 数十年前の短い間の経験では、今の自分とは違っているのではないですか?

 

前回、ビジョンの話をしましたが、夢物語のように誰もがなりたい自分、やりたいことをやれる自分になれるほど人生は簡単なものではありません。ドラマの高校生も全員が東大に受かったわけではありません。

しかし、もし自分自身がほんの少しでも「やりたい」「やってみたい」と思っていることを、過去の自分や他人の評価でためらっているとすれば、もったいないことですね。

 

ビジョンが描けないという人は、是非、自分自身のアイデンティティを再構築する作業してみてください。第4の自分を見つけてください。

目指すものがある人生はきっと楽しいと私は思っています。

(YK)

参考図書

「コーチングの神様が教える『前向き思考』の見つけ方」

マーシャル・ゴールドスミス著 日本経済新聞出版社刊

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