logo

Columnコラム

感情表現はおもてなし

2022年4月8日

ビール先日、某百貨店で買い物をすると某ビール会社のキャンペーン中ということで発泡酒を一本くれました。

前回はビールだったので、少しがっかりしながらも「わー嬉しい!」と喜んで受け取ると販売員が「そんなに喜んでくださるならもう一本お持ちください」と2本くれました。

 

「もしかしたら皆さん、重たいからいらないって断れるの?」と尋ねると「そうなんです。こんなに喜んで受け取ってくださる方初めてです」と言われました。

「ああ、私、ビール好きだから」と笑いましたが、ビールに限らず何かもらう時はかなり喜ぶのはもう昔からの習性です。

そしてこの習性で随分、得をしています。

今回もビール2本。そして、喜ぶと「喜んでくれたから」と次の機会にも何かしてもらえる確立はかなり高い。

 

物を狙って喜んでいるわけではありませんが、相手の立場に置き換えた時、やっぱり何かをして「ふーん」とされるよりは喜んでもらったほうが気持ちがいいものです。そして良い人間関係に繋がる可能性は広がります。

 

物の受け渡しだけではなく、プレゼンをしたとき、会議で意見を表明したとき反応があるのとないのとでは、モチベーションの上がり方が変わります。例えば、反対意見を相手が述べたとしても拍手をしていますか。拍手は意見の肯定ではなく、意見を出してくれたことへの感謝を示すためです。

会議の場では、表情もなく怖い顔をしている人の多いこと。表現するのが苦手であれば少なくとも口角はあげて笑顔を作って欲しい。そうすれば、もっと良いアイデアが相手から出るはずです。

もし、あなたがダイバーシティを推進したいと考えているのであれば、なおのこと、少数派の人たちが意見を発信するのにとても大きな勇気を必要としていることに気づいていらっしゃいますか。

拍手や笑顔はためらう気持ちを後押しする効果があります。

 

また、接客や営業の場においても、日本人は表現が上手ではありません。洋服を試着しても「わーお似合いですね!」と言われるとテンションが上がるけれど、沈黙で商品説明しかしない販売員も多い。機会を損失しています。

 

よくも悪くも自分の気持ちを表現をする。

受け取ったボールは自分の気持ちを開示して返す。

それも大切な相手へのおもてなしです。

(YK)

https://omotenacism.com/seminar/2021/1231/2080/

タグ :

上司ガチャか「縁」と思うか

2022年1月23日

中華街の変面人

中華街の変面人

最近、親ガチャから発生して、上司ガチャという言葉が最近使われます。平たく言えば、昔からよく言われるように「上司は選べない」

でも上司も「部下は選べない」。どんなに慎重に面接をしたところで、2度3度の面接では「こんなはすでは?」と思うことはしばしば起こります。同僚はさらに選べません。友人関係でも然り。選んだつもりでも所詮他人ですから自分の思うようには心が通じない、と思うことは起こりがちです。

 

仕事柄、色々な方の職歴をお聞きすることがあります。

先日お会いした30代の営業マンは強味を伺うと「新卒で入った会社で上司同僚に恵まれまして、しっかり鍛えられたものですから〇〇には自信があります」とおっしゃいました。「上司同僚に恵まれまして」という発言がなんだかとてもスマートにすがすがしく聴こえました。

恥ずかしながら、私自身、仕事人生で記憶していることは、辛いことや痛い思いばかり。長い会社生活ですから、恵まれたこともあったけれど、感謝の気持ちは忘れがちです。

 

一方、5,6社転職を繰り返していて今また就職活動中だという50代の方。転職をする度に、気の毒なくらい不運な目に会っているというお話を聴きました。上司に問題があったり会社に問題が起こったり、話を聴くこちらも辛くなるほど。転職の度に努力して未来を切り開こうとしているようですが、失礼ながら全ての原因を他責にしています。

最初は「ついていない人もいるものだ」と同情していたのですが、だんだんとお話を聴くうちに自分で同じパターンを選んでいるんだと思えてきました。意図せず、その方は自分を正当化するために「運が悪い」ストーリーを語ってしまっているのです。

 

この広い世界、限られた人生で、私たちが出会える人の数には限りがあり、当たり前のことですが「気の合う」人ばかりに出会うことは出来ません。そしてそれはお互い様です。

だからこそ出会えたということは、確率からするとすごい縁です。いくらたくさん上司が変わったにしても、そうそうの人数にはなりません。出会ったことを縁として感謝するか「運が悪い」と悩むかで、人生のストーリーは変っていくはずです。

 

 

会社員生活を長く過ごしていると、上司先輩の役割が自分にも回って来ます。

「もうあの上司!」と思っていた上司の気持ちが分かるようになる日も来るなんて、思いもしなかったと妙な感慨にひたったり(笑)、自分の元部下が話す部下の愚痴に、自分のことは忘れるんだなあと「くすり」したりするのも、互いの成長の証です

 

「運」と「縁」は神様だけが決めるものではなさそうです。

(YK)

タグ :

ご挨拶は年賀状?

2022年1月16日

年賀状「今年限りで年賀状はやめます」というお便りをいただきました。

確かに年々いただく賀状の数は減り、代わりにメールやSNSのご挨拶が増えました。

印刷の気持ちがこもらない賀状なら嬉しくないし、そして送るのも大変なのは事実。

年老いた親族や今さらSNSでも繋がっていない同級生とのやりとりは年賀状にして、最近は特にその年に感謝を伝えたい相手には公私に関わらずクリスマスカードにしています。

 

一方、SNSというと、私は年賀状以上にこのSNS、特にラインの挨拶が好きではありません。

相手の都合の時間で送られてきて、既読スルーは出来ないし、スタンプ返すだけでは失礼だと思い言葉を探していると結構、時間を取られたりして、、、

大晦日や元旦に自分を静かに振り返りたい、家族と楽しく過ごしたい時間に次々と送られてくるライン。返信しているうちにあっという間に時間が過ぎてしまい貴重な時間が残念な気がします。

また、最近流行りの動画の挨拶状。素敵ではあるけれど、それがどんどん拡散されて、色々な人から同じ動画挨拶が来ると、これも興ざめです。

一方インスタやFBはいっせにに挨拶が出来て、あとでコメントに返信できるし、他人のアップにコメント出来るからややハードルは低い。富士山やきれいな風景をいっせにアップしているのはお正月らしくて悪くないと思います。

 

さて、結論、私はあとでゆっくり何度でも読めて、その人らしさが伝わる年賀状を頂くのが好きです。そして、返事が遅れても言い訳が効く年賀状が好きなようです。下手でも宛名と一言は自分の字で書くのが楽しい。

そういう人が多いのか、最近頂く年賀状も印刷が減りつつあるような・・・

 

だから、私からクリスマスカードや年賀状が送られてきても、負担に思わないでくださいね。私の気持ちの伝え方だから。

それぞれのやり方で良い新年が迎えられたらそれで良いですよね!

本年も宜しくお願い申し上げます。

(YK)

 

 

 

 

タグ :

政治家の言葉から~多様性を活かすオモテナシズム~

2021年10月24日

神奈川高札場

神奈川宿高札場跡

選挙も近づき政治家の討論会を聞いていて、気になるのは言葉遣いです。野党も与党も課題は山積です。

 

某首相は常套句が耳につきます。就任演説で使われたのは「全員野球」。その後も何回もおっしゃいます。が、少し古い印象を持つのは私だけでしょうか。全員でやるならあなたは何の役回りなのだろう、とつっこみたくなります。

 

毎回の討論会では「私が車座になって話をすると・・」という表現を使われています。辞書を引いてみると「車座」とは円形になって話すこと、と書いてあります。若い世代はあまり使わない言葉ですが、通じるのでしょうか。それに感染対策大丈夫ですか?そして本当にやっていますか、と疑いたくなります。

 

またこの「辞書を引いてみると」という言葉をよく使う人がいますが、これも結婚式の挨拶みたいで本当に自分の伝えたいことがない時にあるパターン。自分自身の思いがこもらないとってつけたような話が始まる時の前置きです。

 

月日の重みを語るときに「オギャーと生まれた子供が小学生になる」という表現を使う人がいます。それはそうなんだけれどセリフのようで、あなたの感覚を聞きたいと思います。

 

常套句は共通認識がなされていれば分かりやすいのですが、時に陳腐になってしまう危険性があり、多様性の時代にあってはニュアンスを分かち合えない場合もあります。

 

また政治家については言葉遣いそのものの課題。

例えば「お示しをさせていただく」。「示します」ではなぜいけないのだろう。せめてお示しします、で留めてもらいたい。

「させていただく」がつくとなんだかこちらが「示してもいいですよ」と言わないと、黙ったまま示さないつもりかなと思ってしまうし、受け身の言葉です。

 

「専門家にご意見を仰いだところでございます」。この「ところ」は現在完了件を示しているのでしょうか。だから文句を言うな、と示唆しているように聞こえてしまいます。

 

また、今朝の討論会で某党首が「首相が申し上げられたように」と発言をしたのにびっくりしてしまいました。天皇陛下と会話しているわけではないんだから「申し上げる」は謙譲語で「首相がおっしゃったように」の間違いです。

 

 

少し辛口ですが、私が気になる言葉をあげました。私だけではなく、引っかかる言葉は、それぞれにあるのではないでしょうか。

本当に大切なことを語るときには、使い古された言葉や表現ではなく、自分の言葉で語りたい。

 

女性が公の場で発言出来ない、という話をよく私はしますが、そもそも女性に限らず、日本の文化はあまり語ることに重きを置かずにいます。不言実行、が評価されるので不必要な会話をしない。結果、ビジョンを語れないリーダーも多いのではないでしょうか。

 

多様な人と生きる時代では、語らなければ共感も合意も得られません。「口は禍のもと」などと言っていられません。「禍のもと」にならないように正しい言葉遣い、そして自分の言葉で話すこと心がけていきましょう。

(YK)

タグ :

違いが分かる日本人になりたい!

2021年10月15日

美味しいダイバーシティ

「出されたものは文句を言わず、ありがたくいただきなさい」

そう言われて育った方は多いでしょう。だから、残したり食べられないなどと言われたりすると、「なんて礼儀のない人だ」と思う人も多いでしょう。

日本では、旅館などが典型ですが、しばしば相手の希望を訊かずチョイスもなく「当店の自慢料理です」「季節のものを用意しました」などと相手が喜んでくれるだろうと自分が勝手に最高と思うものを提供する傾向があります。

「スープは飲み干してください」などと指示するラーメン屋さんもあります。

出された側は、出してくれた側の思いを慮ってありがたくいただく・・・

それが「おもてなし」をする側される側のマナーとされてきました。でも、本当にそうなのでしょうか。

 

飛行機に乗るとき、特別食(スペシャルミール)をリクエストできることをご存じですか。お子様向けのチャイルドミールや、糖質制限やアレルゲン対応など体質や健康に関わるものや、菜食主義やヴィーガンなど食べ物への主義や趣向、そして宗教に配慮したものなどそれは驚くほどのバラエティに富んでいます。

 

キャセイパシフィック航空のCAであった私は、当時、香港発ボンベイ(現在はムンバイ)行きのフライトのギャレーを担当すると、まず驚くのがスペシャルミールの数の多さでした。多い時では、カート4台分(つまり100食くらい)がスペシャルミール。つまりご搭乗するお客様の半分ちかくがスペシャルミールになります。

 

リクエストを忘れているというお客様もいますから、こうした便では、通常はお肉かお魚、というようなチョイスもベジタリアンミールかノーマルか、というようなチョイスに設定されています。

キャセイは香港をベースとしていますから、日本の航空会社と比較すると国籍は様々なお客様が乗っていらっしゃいます。

ひとつひとつトレイに席番号が貼られているので確認に席まで伺うのですが、お客様は席を交換しているから至難の技でした。「もう、同じもの食べて我慢してよ」と思ったものです。

 

しかし、このカート4台分の異なるミールが象徴していたものは、まさに「ダイバーシティ」だと、横山真也氏の『おいしいダイバーシティ』を読んで気づきました。

100人の人がいれば、食事の在り方も100人異なる。好みだけではない、健康の問題、主義の問題、そして宗教の問題。たかが食ではない、大切な価値観です。

 

 

最近よく、テレビで「ドバイに行ったらお寿司が人気だった」というような、日本食は世界のどこでも最高だと自画自賛するような番組を目にします。本当に外国人はそう思っているのでしょうか。

きっと海外で成功しているレストランは、その国の宗教や風土に合わせての工夫をしているはずなのですが、そのところはあまり伝えていません。

食の好みも習慣も一人一人が違うということに気づかないと、日本は「おもてなし」の押し付けの国となってしまうかも知れません。

 

十人十色と言いますが、十人十食。違いが分かる日本人になりましょう!

(YK)

参考: 「おいしいダイバーシティ 美食ニッポンを開国せよ」横山真也著

https://www.amazon.co.jp/dp/4907239440

 

タグ :

令和に新人研修は必要?

2021年1月29日

【HP】➆ガッツポーズ女性新入社員にビジネスマナーを教える季節が近づいてきました。

しかし、この習慣、日本独特です。他のどこの国でもビジネスマナーを社会人に教えません。何故なのでしょう。

西欧のような個人が確立している国は、何を行うにもまず個人が契約をします。だから仕事も契約に基づいて行います。「成果で出す」ことが大切なので、そこに「マナー」は入り込みません。

日本はというと、企業で働くということは、会社への参加です。だから、入社であり、新入社員と呼ばれます。そして、日本は個人で働くことよりも、チームとして一体感を持って仕事をすることが重視されます。

そこで組織のルールや仕事上でかかわる人への接し方や言葉遣い振る舞い方が大切になってくるのです。

 

 

会社に入るとほとんどの人は、自分が一番下の位置に着きます。そして先輩社員たちに指導してもらうことになります。

この「先輩」「後輩」という言葉も日本特有の表現です。

社会人類学の権威、中根千枝氏によると日本はとても小さな単位の「場」の連続で成り立っている国だそうです。

「場」では常に最初に参加した人が一番尊重されます。

後輩がたまに先輩を追い抜いてしまうことがあっても、いつまでもこの序列は尊重されます。

同時に日々顔を合わせ互いに溶け込むうちに、時に後輩が先輩に失礼をする「無礼講」などというものも生まれます。仕事仲間同士でも羽目を外しガス抜きをします。時にとんでもない失礼な行為があっても許させる、親しい人なら許される、日本人に見られる「甘え」です。西欧人にはありえない光景です。

 

最近、某国会議員の不祥事に対して、ある議員が「僕は彼の先輩ですから、僕がしっかり指導します」と言っているのを聴いてびっくりしました。国会議員になっても先輩に怒られないと分からないのかと(笑)そして次々と派閥の長や党首が謝罪していました。

誰かが問題を起こすと本人だけではなく、全体の責任になるのです。だから問題を起こした本人はまっさきに所属する組織の長に謝り判断を仰ぎます。本当に謝るべきは他にいるのに上司や先輩が優先されるのです。そして良し悪しの判断は自分自身で決められない。

 

こうした文化は続くのでしょうか。私は、このコロナ禍でリモートワークが進み、また顔を合わせての会議やミーティングが難しい時代、変化するチャンスではないかと思っています。

 

令和時代のビジネスマナーは、一人一人の多様な個人を認め尊重できる人材、視座を変えて相手に対峙できることがマナーではないかと思います。

一人のビジネスパーソンとしての矜持を持った人材を育成することであると考えています。

 

今年も3月4月は新入社員研修をたくさん行います。

それが常識だから、ルールだから、ではなく、一人の人間としてどう振舞うか自分で考え行動できる新社会人を送りだしたいと思います。

(YK)

参考図書:「タテ社会の力学」 中根千枝著 講談社学術文庫

タグ :

自分らしさをブランドにしよう

2021年1月12日

シャネルNO5いつも他人にゴールを明確にすること、ビジョンを持つことの大切さを説いている私ですが、今年はどうも自分自身のビジョン、そしてチェックリストが作成できずにいます。

昨年はコロナに振り回され、時間的な余裕はあったはずなのに気持ちが急いて、むしろ先手先手を打たなければと、とても忙しく、日々、緊張しチャレンジし続けて疲れてしまったのかも知れません。年末からお正月明けまで、ただただ読書と映画やテレビ三昧で怠けました。

 

そんな中で読んだ「ライフスパン老いなき世界」という本。最先端科学とテクノロジーの本で私には半分以上理解不能、正直なところ、ちんぷんかんぷんな部分が多かったのですが(笑)、かろうじて読み取ったメッセージは「老化」は病状のひとつとして治療が可能になり、120才くらいまではぴんぴんと元気でいられる世界がすぐそこまで来ているということでした。

長生きの懸念事項はクォリティオブライフがいつまで保てるのかということですが、その心配がなくなるのですから他人に迷惑をかけず悪いことではありません。

 

ちょうどその本を読んだ後に観たテレビ番組が「徹子の部屋」でした。その日の番組の中で黒柳徹子さんは90代で「徹子の部屋」を続けることが楽しみだし、続けられない日が来ることを想定していないと言っていました。

私の思考の枠が取れた瞬間です。

 

実は、昨年一年、私は自分の年齢に危機感を感じていました。私のような仕事をしていると、クライアントと私の年齢差は広がっていく一方です。年齢差があることで、納得感のあるコーチングや研修は提供できないのではないかという不安を感じ始めていました。いつまでこの仕事が出来るのだろうか。ギャップを埋めるためには何をするべきだろうか。

先輩風や上司風を吹かして時代がずれたアドバイスをしている年輩男性をちらほら見かけることもあり、ああはなりたくないし、どうしたら自分は時代の最先端にいてクライアントに寄り添うことが出来るだろうか・・・・

 

クライアントにはビジョンを作成してもらうために、○年後にはどうありたいか、という質問をよくします。それは大切なことなのですが、どうしても私たちは、○年後ではなく、○才までに、という目標を考えがちです。○年後=○才ととらえがちです。しかし、それが自分への年齢の縛りになっていないでしょうか。

若い世代であっても、定年になったらのんびりしたいというように漠然と年齢を区切りに考えている人は大勢います。

誰もが、年齢というステレオタイプに囚われずに生きることは難しいのかも知れません。しかし、100才以上まで元気でいられると考えれば、取り払ってしまってもいいですよね。

 

とはいえ、多くのタレントが消えていく中、黒柳さんが継続しているのは彼女自身の確固としたブランドがあるからです。ブランドとは、すぐに作れるものではなく、コツコツと日々積み上げた結果です。

年齢のステレオタイプに囚われず活躍するためには、自分のブランド強化が必要である!という私の新年の気づきが生まれました。今ごろですか、と笑われそうですね。

 

さて、ブランドとはなんでしょう。ラグジュアリーブランド3社に勤務していた経験から、どのブランドにも共通する条件は5つありました。

 

1.歴史と伝統。受け継がれていく技術や品質があるか

2.品質。択一した最高の物を提供しているか

3.イノベーション。革新を起こしているか。オリジナリティがあるか

4.ストーリー。他人に語れる物語・思いを持っているか

5.スタイル。人目でそれだと分かる「らしさ」。共感を持たれる個性があるか

 

1の歴史と伝統は後からついてくるものですが、ひとつの仕事をコツコツと継続していくことは、歴史を作ります。

そして2から5は、今から意識することで作っていくことが出来る要素です。

自分の仕事の品質は最高を目指しているか。

自分ならではの新たな提案やアイデアを生み出しているか。

他人に熱く語れる思いを持っているか。

共感を持たれる自分のスタイルを持っているか。

 

「自分らしくありたい」という言葉を私は多くの女性から聞きます。自分らしくありたいと願うのであれば、是非、考えたいポイントばかりです。

「自分らしさ」は他人に伝わっているだろか、他人の共感を得ているだろうか、ブランドはリーダーシップに繋がる人を動かす力にもなるのです。

 

1月10日はココ・シャネルの命日でした。彼女が亡くなって50年ですが彼女が世に送り出したものは継続しています。

「ファッションはすたれるがスタイルは残る。スタイルは永遠」ココ・シャネル。

 

こんな時代だからこそ、自分のコアに戻って自分のブランドを考えてみましょう。

 

参考図書:

「ライフスパン 老い亡き世界」デビッド・A・シンクレア著 東洋経済社社

「ステレオタイプの科学」クロード・スティール著 英治出版

(YK)

タグ :

こんな時だからこそ心穏やかに

2021年1月7日

瞑想ろうそくコロナウィルスの拡大とともに始まった2021年。こんな時代だからこそ冷静に心穏やかに過ごしたいものです。

 

昨年、私が新たな習慣として取り入れたのが座禅でした。かなり緩い自己流なので座禅と呼べるのか、瞑想なのか、時間があるときは朝、そして毎晩、眠る前、10分ほど半分目を閉じて数を数えて呼吸を整えるだけ。しかしこれがなかなか安眠効果をもたらし、気持ちを落ち着けてくれます。やっている方は、今、多いですよね。

 

とはいえ、なかなか10分間、心を空にして今ここにある時間に集中するのは至難の業です。

そこで出会ったのが和ろうそくを使った瞑想。新年の仕事始めに試してみました。

ろうそくをともして、目はとじずにじっと炎の動きを観察します。炎が美しく上へ上と揺れ動き、しかし少しづつ足元は解け始め、だんだんと炎の大きさは小さくなっていきますが、色はさらに美しく力強い朱色に輝きます。消える前、一瞬、青い炎を出し、一筋の煙が私の方へと向かってきました。微かな、ごく微かな、ろうそくが崩れ落ちる音も聴こえました。

人間の一生をろうそくに例える意味が分かりました。

 

こんなに一生懸命、何も考えず目の前にあるものを眺めた経験も久しぶりです。子供の頃にはいつも、目に入るものを夢中で眺めていたはずなのに、大人になったら忘れてしまっていたようです。

子供の頃は邪念がなく、常に、今ここに集中していたことに気づきました。

 

今年は、何が起きようと自分の時間は終わりに向かって常にろうそくのように燃え続けていることを意識していきたいと思います。

目に写るものを先入観を持たずに見たいと思います。そうすれば、自然と自分にも他人にも優しくなれるかも知れません。

 

皆様が苦難に振り回されず、優しい気持ちで過ごせますように。種類瞑想ろうそく3

(YK)

タグ :

おほほほ!昔のマナーに戻る

2020年7月27日

笑う女性おほほ」と笑うときに、日本人が手で口を隠さなくなってどのくらい経つのでしょう。子供の頃母が、PTAで手を口にあてて笑ったら「お上品ぶっている」と言われたと憤慨していたことがありました

 

口の中を見せるのははしたない、という認識がかつて日本人にはありました。外国人にとっても日本の女性が口に手をあてるのは、奇妙に映るというのを知って、私も手で口を隠すのはやめて久しい習慣です。

 

今では、口を思いきり開けて笑ってしまう自分に「おばさん」らしさを感じていますが。

 

冗談はさておき、ビジネスマナーやコミュニケーションの研修では、口角を上げて歯を見せましょう、と指導しています。

しかし、これが今、変わりそうです。言わずもがな、コロナの影響です。

 

そもそも、日本人が口を隠すのは見た目の問題だけではなく、唾を飛ばさないため。相手への配慮です。

テレビのお宝を鑑定する番組で、絵の鑑定を行う人が白いハンカチを口にあてて絵を眺めているシーンをご覧いなったことがありませんか。古美術や絵を見るときには、ハンカチを口に当てることは実はエチケットなのです。

その理由は飛沫です。唾液やくしゃみなどで美術品を痛めては失礼にあたる。飛沫が飛ぶことを日本人はきっと昔から、知っていたのですね。

 

そんな忘れたマナ―は優雅なハンカチや手ではなく、マスクに形を変えて戻ってきました。 この先、マスクを外すようになっても、新たなエチケットとして再び日本人らしさを取り戻しても良いのかも知れません。

おほほほ!

 

*こちらのコラムはNOTE YAYOI by Omotenacism にも掲載しています。

タグ :

オンライン時代の「さようなら」

2020年4月30日

動画の表紙TVの朝のワイドショーや夜の報道番組を見ていていつも私が注視してみてしまうのが終了時のキャスターや解説者たちの深いお辞儀です。

「今日もご覧くださいましてありがとうございました」とメインキャスターが言うと、全員が座ったままほぼ90度くらいのお辞儀をしている番組が多くみられます。

 

そんなキャラでないようなキャスターであっても、やっぱりここで「見ていただいている」という気持ちを伝えているのかしらとか、そこまでは不要じゃないのかしら、とか思いながら、いつまで頭を下げているのかなあと最後まで見ている私です(笑)

 

さて、この2か月、会議やセミナーにオンラインで参加する機会が多くなりました。

オンラインでホストをする場合、特にウェビナーの場合、空気がの切り替えが大切だと先日出たZOOMのセミナーで聴きました。日常から大勢とのミーティングへのモードへスイッチを切り替える、何か合図を自分でもっているとよいとか。別の空間に映るのだという意識が重要だそうです。

空気って伝わりますものね。

開始の時はそれが比較的しやすいような気がします。

 

一方、終了時はホストが「では、これで終わります。退出してください」と言って、それぞれバラバラに退出して画面から消えていくというのがほとんどです。

その間、ホストは画面を見てにこにこしていたりするわけです。退出するほうはなんとなく「さよなら~」と手を振る人や、なんだか名残惜しいような感じでゆっくり出る人と、ブツッ!と去る人、色々ですが、空気が閉まりません。

また、今日のミーティングではホストが「では切りますよ!さようなら」と一斉退出にして切られました。

これはこれで余韻がない。送って欲しかったなあ、とリアルのときと同じような印象を持つのは私だけでしょうか。

 

そこで思い出したのが冒頭にあげたTVのお辞儀です。あれは、やっぱり送り手が迷った末に考えた終わり方だったのかも知れません。

来月からは私もオンラインの研修ばかりです。どんな風に空気を作るか、気持ちを見せるか、試行錯誤が続きます。

空気のつくり方、画面を通してだから今以上に大切かも知れません。

(YK)

タグ :