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Columnコラム

察する前に尋ねましょう

2023年11月19日

airfranceアメリカ人と仕事を一緒にする機会がありました。

そのアメリカ人に指摘されたのは、日本人の表現は否定的だということ。

仕事中に少し皆が疲れを感じてくる頃に私が「がんばりましょう」と声をかけると、ほらそれは否定的な表現だと指摘されました。

「頑張る」は今が辛いのを前提としている、そうではなく「楽しくやりましょう(Let’s enjoy) 」のほうが肯定的だというのです。

褒められたときに「まだまだです」というのは否定的。「ありがとうございます」のほうが肯定的。

「御迷惑おかけしますが」よりは「良いチームにしましょう(We are going to be a good team)」

「お疲れさまでした」よりも「ありがとうございました」

確かに私が外資系航空会社で働いていた時代、「Let’ enjoy flying  !」とフライト前に声をかけていました。

日本人は疲れる前から「お疲れ様です」が挨拶言葉になっていますよね。

 

しかし日本人との会話ではついついいつもの言葉を使う私に、そのアメリカ人が「ほらまた日本人の癖」と指摘してくると段々反発する気持ちが生まれて来ました。

確かに英語のコミュニケーションではそうだけれど、日本人の謙虚な文化はそれほど悪いのだろうか、日本が否定されているようで不愉快になって来ました。

自分を下げて相手を上げる。謙譲語を使いなれている私たちの文化であって、それが日本人には心地よい、まさに「日本の文化」だと思うのです。

いくら多様性と言っても築いてきた文化を変える必要はないのではないか。

大切なのは、英語のコミュニケーションと日本語のコミュニケーションではマインドセットが異なるということを知っておくことだと思います。

 

 

もう一つ、日本人の特技であり外国人に不可解なのは「察しの文化」です。

察してもらえることを前提として主張しない。訊かないで察しようとするコミュニケーションの形です。

これも謙虚さから生まれる行動であり、お互い、察する側も察してもらう側も、相手の考えがあるのに先に主張してしまっては申し訳がないという相手への思いやりから発達した文化です。

お茶会で、お互いを察して物事を進めていくことから生まれた文化です。

主張をする以前に相手はこちらのことを考えてくれている、という美しい前提にたっています。

 

 

しかし、多様な時代、これは外国人だけではなく日本人同士であっても成り立たなくなってきました。

価値観の異なるもの同士、言わなくては通じない、訊かなくては分かりません。。

 

先日、フランスを訪ねて気づいたことがありました。

フランス人はこちらが何か言おうとすると非常に辛抱強く待つ、ということです。

私がにぎわっている店でチーズをお土産に買おうとして、数多くのなかから何を選ぶか、どのように包装してもらおうか、長い時間商品ケースの前で悩んで言葉を詰まらせていたのですが、気がつくと店員はじっと待ってくれているのです。

ホテルのフロントでも同じようなことがありました。

こちらの言葉を尊重しようとする。そして意味が通じないと質問をする。途中で想定して勝手にことを進めたりあきらめたりしない。ちゃんと向き合ってもらえたという心地よさを感じました。

尊重されている、と感じました。

相手へのレスペクト。

私たち日本人はすぐ「察しよう」とします。

むしろ外国人に対しては言葉が通じない相手には、この人何が欲しいんだろう、何を言いたいんだろう、察して動こうとしてしまいますがそれが必ずしも正解とは限りません。

個人主義のフランス、言葉を大切にする国だけあって「聴く」と「尋ねる」ことで相手の意図を尊重することが習慣化されていることを感じました。

 

肯定的な表現を使うこと、自分の意見を言うこと、これは公平で活発なコミュニケーションの鍵となります。

実は、自分を肯定すること、意見を言うこと、この二つは企業で働く女性に苦手な人が多いのも事実です。

なぜなら、自分に自信がないとこの二つはなかなかできない。

そもそも自分の意志や意見が自分自身で整理できていなければ主張できない。

日本人に限ったことではないようですが、女性の多くの課題が自信がないことだからです。

 

皆さんの周囲では活発なコミュニケーションが行われていますか。意見が出て来ますか。

是非、周囲の人から意見が出てこないのであれば「尋ねる」習慣を取り入れましょう。

「あなたはどうお考えですか」「何が必要ですか」とこちらから尋ねる。

そして辛抱強く待ちましょう。

勝手に察しようとするのはやめましょう。

相手の気持ちを引き出す双方向の良い会話ができるはずです。

(YK)

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クレーム未満~謝るより感謝したい~

2023年8月25日

2023花火 ある小売企業の研修で、顧客心理を理解した応対を指導しています。

しかし、これが中々、受講生にはハードルが高いようです。

 

接客の場面に限らず、私たちはあらゆる場面で対人に関して「期待」を抱いています。
上司にも部下にも家族にも、ああして欲しい、こうして欲しいという期待は必ずあります。
特に客の立場に自分が立つとサービスをしてくれるスタッフに対しては、遠慮なくそれが顕著に表れます。
オモテナシズムでは大きく5つの心理に分類しています。

 

❶独占の心理 「サービスや人、物を独占したい」
❷自己中心(自分本位)の心理 「(私は客だから)私の都合に合わせてやって欲しい」
❸不安な心理 「私の要望がちゃんと充たされるだろうか。理解されているだろうか」
➍優先されたい心理「(いつも来ているのだから)自分を優先して欲しい」
➎歓迎の心理  「喜んで迎えて欲しい。歓迎されたい」

 

私たちは、お金を出す側の立場に立つと、自分は客だと当然思います。
100円のコーヒーを買ったときですら、客としてきちんと扱われることを期待します。
つまり、客なのだから自分の気持ちに添った接客をされて当然と思います。だから、少しでも自分の気持ちが充たされないとがっかりしたり不満に感じたりします。
そして、黙って次回は利用しないと決める人もいれば、不満を口に出す人もいます。
さらに、ここが人間の怖いところで、自分が客(つまり上の立場)だと思うと態度も大きくなり権利を主張します。

 

例えばこんな不満です。
「なぜいつもの私の席、他の人に予約させるの」(独占)
「予約していないのだけど時間がないので、すぐにやって欲しい」(自己中心)
「いつまで待てばいいのだろう。忘れられていないかな」(不安)
「いつも来ているのだから先にやってよ」(優先されたい)
「挨拶もないし案内もしてくれないとはどういうこと」(歓迎)

 

今回の企業研修では、こうしたお客様の期待を受け止める接客をロールプレイングで練習するのですが、気が付くといつの間にかクレーム対応研修になってしまいます。
何故なら、誰もがすぐに「申し訳ございません」と神妙な顔で謝る言葉から始めるからです。
いらいらした世の中で、クレーマーは増える一方だと良く聞きます。だからこそ、誰もが問題を大きくしないようにと即座に謝る癖がついています。

 

しかし、こうしたお客様の期待や小さな不満はクレームなのでしょうか。
最近、よく漢方薬酒のCMで未病という言葉を聞きます。
未病とは、「発病には至らないものの健康な状態から離れつつある状態」だそうです。
私はこうしたお客様の不満は「未病」ならぬ「未クレーム」の段階だと思っています。
こうして欲しい、ああしてくれないの、と口に出される不満はまだクレームではなく、ラブコールの段階だと考えています。
まだクレームではない、けれど放置しておくとクレームに発展する段階です。

 

ラブコールの段階だと考えれば、まずその気持ちに応える反応を示すことが大切です。
一方的にお詫びの言葉だけを繰り返してしまうと、対等な関係性がますます崩れてしまいます。
まず、相手の話を聴きましょう。
小さな不平に頭を下げられて神妙な顔で大げさにお詫びの言葉を言われて、なんだか体裁が悪くなった経験は、どなたでもあるでしょう。
「怒っているわけではなくて、気持ちをわかってもらいたいだけなのに」と残念な気持ちになります。

 

相手の気持ちに寄り添わずお詫びを繰り返していると、本当にクレームになってしまいます。
何故なら、謝られると「ほらやっぱり非があるのでしょう」と引っ込みがつかなくなるからです。
接客だけではなく、家族や大切な人との会話でもそんなことは起こります。
謝って欲しいのではなく、気持ちをわかって欲しい!寄り添って欲しい!
相手は本当に腹が立ってきます。

 

例えば「挨拶がない」と怒るのは、「私を大切に扱って欲しい」という気持ちの裏返しです。
「〇〇様、ご挨拶遅くなり失礼しました。今日もお会い出来て嬉しいです」とニッコリ笑顔で言われたら、それ以上、怒る気持ちはなくなります。
プライベートでも「なぜ連絡もなく遅く帰るのよ」と怒るパートナーは「心配しているのに」という愛情表現であることは、察しがつきますよね。
上司の不満も、成長して欲しいというメッセージだとしたら謝っても喜んではもらえません。

 

最近は争うことを恐れ、事なかれで済ませようとする人が多い気がします。
そしてちょっとした不満の言葉を「怒っている」と決めつけて、謝ります。
「謝っておけばいい」と考えてはいませんか。
謝罪の言葉をもらっても、真意を理解してもらえないままではストレスは解決しません。
コミュニケーションに手抜きは禁物です。
何度聞いても心地良いのは「ありがとう」と「自分の名前」だそうです。
「申し訳ございません」をいう代りに「〇〇さん、ありがとうございます」を繰り返したほうが相手の気持ちは上がります。
謝って解決することは、この世には少ないのではないでしょうか。

 

いらいらすることの多い世の中だからこそ、謝罪の言葉より、もっと相手を気持ちよくするボキャブラリーを増やしたいものです。
そして、言葉に添えるのは神妙な表情より、相手を受け止める笑顔にしたい。
ご機嫌の悪い相手に難しいけれど、思い切って試してみましょう。きっと関係が変わるはずです。
(YK)

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頭の中の臥薪嘗胆

2023年7月12日

20230625_134823誰でも人は、多かれ少なかれ、頭の中で自分自身と無言の会話をしています。

「こうすれば良かった」「今度はああしよう」

それは自分を振り返ったり判断をしたりするときには、役に立つ必要な対話です。

しかし時によっては、それが「内なる批判者」となって自分自身をせめてしまうことがあるようです。

 

私がよく自分の頭の中でつぶやく言葉がいくつかありますが、それはどれも子供の頃に何かのきっかけで他人に言われたり、

自分が強く影響を受けたりした言葉です。

 

例えば私の場合、「臥薪嘗胆」という四文字熟語です。

「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」とは将来の成功を期して苦労に耐えること。

高校時代、王貞治元監督似の漢文の先生が、目を見開きすごい熱弁で「中国の時代の武将が薪の上に寝て苦い胆をなめながら再起を誓ったのですよ!」と説明をしてくれた言葉でした。

薪の上に寝たら痛いし、胆を舐めるってどんな味がするんだろう、と私の心に強烈な印象を残して、それ以来、難しいことに出会うと「臥薪嘗胆、臥薪嘗胆」と頭の中で繰り返しています。

 

漢文の先生には感謝で、この言葉のお陰で私は負けず嫌いになったところもあるのですが、同時に強いプレッシャーになることもあるのは事実です。

あきらめてはいけない、という想いが逆に自分を責めてしまい物事を手放すことが苦手です。

他にも私の頭の中で繰り返す言葉はいろいろありますが、どれもどこかのタイミングで誰かに言われてインプットされた言葉や価値観です。

 

また誰もが心の中でブレインストーミング(アイデアを出す)をすることはあるでしょう。

自分一人でああでもないこうでもない、ああなったらこうしよう、と仮説を考えて自分と対話することはプラスです。

言葉を持っているからこそできることです。

が、それが「こうなったらどうしよう」「そうなるはずがない」とネガティブな思考を繰り返すとマイナスになります。

 

 

こうして考えてみると、心の中の対話は自分自身の自信を獲得するために、上手く使う必要がありそうです。

そして大人になった今、過去に与えられた言葉の扱いとともに、私たちは他人(特に子供や部下に対して)に対して言葉で影響を与えていることに敏感でありたいと思います。

自分も他人もポジティブな言葉で認める。

前向きな言葉をプレゼンとする。

習慣にしていきましょう。

(YK)

参考図書:『Chattaer「頭の中のひとりごと」をコントロールし最良の行動を導くための26の方法』 イーサン・クロス著 東洋経済新報社

 

関連セミナー「『自信を持たせるフィードフォワード』~女性の活躍を促す~

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「ああはなりたくない」大人にならないように。

2023年4月13日

湘南平の山道3月のWBCはスポーツの楽しさだけではなく、多くのことを教えてくれました。

例えば、メジャーリーグに属しながら早くから合宿に参加したダルビッシュ有選手。

自分の練習より後輩に指導すること、チームを作ることを優先し、彼の功績でチーム力もピッチャー全体のレベルがあがったことは何度もマスメディアで取り上げられていました。WBCが終わった後も、日本へ帰国する選手たちをホテルのエントランスで見送り手を振る姿からも心からチームを愛していたのだろうなあと感じました。

少し前にこのコラムで書きましたがまさにそれは「モダンエルダー」の姿です。経験のある人こそ、若い人たちに混ざることで教えることも多いけれど自分自身もまた成長することが出来る、世代に関係なくゴールに向かって頑張る姿は清々しい。

何よりダルビッシュ選手自身の評価を高め、彼自身が光り輝く結果となりました。

 

そして言わずもがな、大谷翔平選手。彼についてはいまだに毎日報道されていますが、私が注目したのは大谷選手は時間が有限であることを意識する姿勢です。

野球選手として残されている時間は日々少なくなっていくことを意識して、いかにその時間内で自分の目指す姿を実現することが出来るか、そのためには小さな欲望も我慢する。全ては自分の夢の実現のためという姿勢は、相当の強い意志がないとできません。

 

4月は私は毎日のように新入社員研修に登壇します。冒頭で私が必ず伝える「一期一会」という言葉。

誰にとっても今日この時間は一度しかなく繰り返しがきかない。時間は有限であるから無駄にしない、今日の出会いも一度きりなのだから、最高の自分であるよう努力することをルールにしましょう、と伝えています。

まさに大谷選手は日々、どんな時にも今という時間のはかなさを意識しているのでしょう。ホームランで兜をかぶるのも明日をも知れない命を意識していた侍のようです。

 

大谷選手のような大志を抱いていなくても時間が有限であることは誰にとっても同じです。持っている時間はどのような環境や状況にあっても平等です。

だからこそ、時間は無駄にしたくない。自分自身に集中し自分の人生を生きたいものです。

人が何かに集中し頑張る姿は他人を勇気づけます。WBCがあれだけ人々を夢中にさせたのもそれが目に見えたからではないでしょうか。

ダルビッシュ選手や大谷選手のように目立つことはなくても、誰でも頑張る姿は他人を元気付け勇気づけることが出来るのではないでしょうか。

勝手に自分自身が他人の思惑で迷ったりためらったりしているとしたら、その時間はもったいない。

時間が有限であるからこそ、いくつになっても自分のゴールを見つけて集中したい、と最近強く思います。

 

先日、大磯のお寺で止観(天台宗では座禅ではなく止観と呼びます)を体験、自分の呼吸一つ一つを感じ、時間の流れを見つめました。その後トレッキングで湘南平の山頂を目指しましたが、山頂での美しい景色や美味しいソフトクリームが待っていると思うと、辛い階段も山道も楽しみに変わりました。

「道半ばで人生が途絶えたとしてもそれは意味があること、まさにそのプロセスこそが有意義な人生」とはコーチングの神様マーシャル・ゴールドスミスの言葉です。大きなゴールを描いて一歩一歩あがるプロセスこそが幸せということなのでしょう。

 

新社会人の目に映る自分はどのように見えているのだろうか、もう人生を惰性で生きている大人に見えていないだろうか、一歩一歩歩いている姿として見てもらいたい、「ああはなりたくない」大人にならないように気を引き締める4月です。

(YK)

自然の中で自分を見つめる~ZENリトリート~

自然の中で自分を見つめる~ZENリトリートbyOmotenacism

 

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丁寧な説明より傾聴したい

2023年2月17日

雪の出張

子供の頃、校長先生やおじいちゃんおばあちゃんの話が長くてうんざりした経験はありませんか。大人になったら「ああはなりたくない」と思ったものです。

しかし最近、気が付くと年下の人に対して、長々蘊蓄を垂れていたり、自分の経験を得意そうに語っていたりすることに気づいて、はっとします。危険な予兆です。

特に私はコーチングや研修で他人の話を引き出すことを仕事としていますから、その私が話してばかりでは、まさにお話になりません。

 

さて、皆さんは1対1で誰かと話すとき、あなたは会話の何パーセントくらいを話し手に回っていますか。あなたの方が長く話していますか。それとも聴き手に回る時間のほうが長いでしょうか。

そもそも人は自分の話をするのが好きです。多くの人間は、他人の話を聴くよりも自分が話すことに興味があるそうです。

 

実際、今年は年頭から全く異なる業界での仕事が続いているのですが、どの業界や仕事にあっても根本的な課題は「傾聴」にあると感じています。

例えば、いわゆる知識人やスペシャリストと言われる何かの権威とみなされている人は、正当な答えや相手を納得させる回答を期待されていると思いこんでいるのか、一方的に延々と自説を説いてしまいがちです。

量販店の販売員は、商品のスペックや特徴を伝える商品説明に夢中になり、肝心のお客様のニーズを聞き出せず、お客様を逃していることに気づいていません。

ラグジュアリーカーの販売員となると、商品の素晴らしさの説明に時間がかかりすぎて、お客様を主役にする会話が二の次になります。

誰もが悪気ではなく、相手への関心より伝えたい一心で、対話ではなく一方的な「説明」をしている人が多いことに気づきました。

 

昨年の流行語大賞にもノミネートされていた「丁寧な説明」。毎日のように耳にします。

「丁寧な説明」は決まっている指示や事項を分かりやすく教えてくれるという意味では適切ですが、人を納得させるためには説明では不十分なのではないでしょうか。

 

忙しい時代、コミュニケーションの時間もエンドレスではありません。

自分が話す時間が長くなればなるほど、相手の話す時間は短くなります。相手の時間を自分が長く話すことで盗んでいることになります。また、自分のほうが長く話すと、相手から得る情報は少なくなります。

同じ時間の対話であれば、自分の話をして自己満足で終わるよりは、相手から何かを得たほうが有意義な対話になるのではないでしょうか。

それがビジネスの取引相手の場合、相手から情報を多く得れば得るほど、長々と説明しなくても相手の気持ちに沿った提案ができるでしょう。

そして何より、自分の話を聴いてくれる人を人は好ましく感じます。好きになってくれるようです。

 

「答えは相手が持っている」

この考え方はコーチングの基本です。

どのような職業でも立場でも成功している人は、相手の話に耳を傾け相手から情報を引き出すスキルを持つ聴き上手です。

自分の情報を出すことをぐっとこらえて、まずは相手の話を聴いてみる。

「今日は聴くぞ!」と気合を入れて相手に集中すると、結構聴けるものです。

是非、説明より傾聴、試してみてください。(YK)

関連セミナー:

『多様な人材を活かしD&Iを推進する』女性リーダー育成とメンバーの個を活かし成長を促すフィードフォワード

女性リーダー育成とメンバーの個を活かし成長を促すフィードフォワード『多様な人材を活かしD&Iを推進する』

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仕事を苦役をにしないために

2023年1月16日

2023クリスマスお花

全国でよく知られている団体に生鮮食品の宅配を定期的に頼んでいます。

昨年の夏、最初は感じが良かった配達担当者が段々と応対が悪くなり挨拶もしなくなってやめてしまいました。おそらく仕事が辛かったのだろうと想像していました。

担当者が代わったときに、また前任者のような応対をされると毎回不愉快になるので、彼のやる気を育てるために「承認しよう」と私は密かに決めました。

 

承認とは相手をほめたり認めたりすることです。

「存在承認」と「行為承認」の2つがあり、「〇〇さん、こんにちは」と名前で呼んだり、目を合わせて話したりすることで相手の存在を認めるのが「存在承認」

「寒い中ありがとう」「今日は忙しかったの?」「重いのに大変ね」と相手の行為に前向きな反応を示すのが「行為承認」です。

こうした毎回ほんの数十秒の会話で承認を続けて、彼とは笑顔でおしゃべりするようになりました。

それなのに、昨年最後の配達日に「来週で僕、最後になります」と告げられました。

「僕の外に4人もやめるんですよ、それだけでわかるでしょう?」との言葉に、私の小さな承認だけでは彼の仕事の満足度は解消しなかった(あたり前ですが)とがっかりしました。

待っている人がいることが分かれば「自分の仕事は意義がある」と感じて頑張ってくれるのでは、と実は私の小さな実験でした。

 

「パーパス」という言葉を最近よく耳にします。

企業であれば「企業が存在する理由や目的」「存在意義」に当たります。

個人については「愛していること」「得意なこと」「世界が必要としていること」「お金を得られること」の4つの要素が重なる部分がパーパスになるのだそうです。

 

自分がパーツにすぎないと感じてしまう、誰でもできる仕事だし意義があるのかもわからない、と感じた経験は誰にでもあるでしょう。

私自身もCAとして働いていた時代「コーヒーですか?紅茶ですか?」と毎日毎日、重たいポットを抱えて腰痛に悩まされながら何の意味があるのだろうとむなしく感じていた日々もありました。そんな時にお客様に「君が担当で良かったよ」などと言われるとやる気がいっきに上昇したものです。

 

お客様と直接接点のある仕事は比較的、具体的に感謝されたり褒められたりすることがあるので、自分でモチベーションを上げやすいのですが、それでも仕事自体がきつかったり忙しすぎたりする場合には上司からの評価やいたわりがなければ続きません。

さらに他人からの直接的な評価がもらいにくい仕事では、自分の仕事の意義は確認しにくいでしょう。

あなたの部下が「自分の仕事には意味がない」と思っているとすれば、それは承認が足りていない証拠です。環境や本人の問題だけではありません。

そして驚くことに経営層や部長職のような立場になっても心から自分の仕事に意欲をもっている人は4分の1程度だそうで一般職と変わらないそうです。

また、金銭的インセンティブは量やスピードを上げるためには役にたっても、心の内なる火を燃やし仕事の質を高めることにはつながりにくいそうです。

 

仕事はつらいもの、お金を得るための手段だから仕方がない、人生の目的はそれ以外にある、と思っている方はいるでしょう。

お正月の休暇後、あー仕事に行きたくない、と感じた方は多いでしょう。

一方、同時に仕事がしたくてたまらなくなる休み明けもあります。

なぜなら、自分の存在価値は「仕事を通して得られる」ことが多いですし自己実現の手段でもあるからです。さらに、感謝されて役にたっていると感じるとき、誰もが仕事の苦労が報われると感じます。

仕事が苦役であるかどうかは本人の心の持ちようもあるけれど、他人の反応が左右するのです。

 

「あなたは私にとって必要な人なのだ」ということを示すことは人間だからこそできる行為ではないでしょうか。

仕事をする仲間や部下にはもちろん上司にも、仕事を通して自分に何かをしてくれる人に感謝や好意を示す承認で前向きに良い関係が築けるなら、大いに活用したいものです。

 

くだんの宅配担当者の最終日に次の仕事について尋ねると「有休が一か月も残っているので探します」とのこと。

早すぎるバレンタインの小さなチョコレートを渡しました。自分の存在は無意味ではない、と思って次の仕事も頑張ってくれることを願っています。

 

ねぎらいや感謝の表現は、お金もかからず誰にでも出来ます。誰もが「ここにいて良かった」「私は誰かの役にたっている」と思える世の中にしたいと思います。

それが「オモテナシズム」のある社会だと今年も信じて頑張ります。(YK)

 

参考図書:「ハート・オブ・ビジネス」 ユベール・ジョリー著 英治出版

 

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日本人の影響力

2022年12月13日

20221117_152847日本人の評価が上がっています。

サッカーのワールドカップのお掃除が有名になって他の国へも影響を与えていることは話題になりました。ウィルスの感染は好ましくないけれど、こうした良い習慣も伝染するとしたらとても良いことです。

 

そして、先日、所用で香港へ行ったときのこと。

銀行でカウンター内の行員女性たちがひそひそと「日本人よね」と広東語でささやいています。「日本人だけど何か?」と尋ねると私たち来月日本へ行くのよ、と嬉しそうです。

ヌードルショップに入ると、店員の女性が私に対して満面の笑みで接客、私に接客するのが嬉しそうなのはなぜかと思っていると最後に「ありがとうございました」と待っていたかのように日本語で見送ってくれました。

 

こうした経験を香港領事館関係の方に話すと、ここ急速に日本人の評価が高まっているとのこと。香港の人口の半数近い人たちが毎年日本へ旅行に行くようになり、しかもリピーターが増えて日本への理解と共感度が増しているとのことです。かつては愛想のなかった香港人が、私が日本人であるというだけで満面の笑みで接客してくれるとしたらそれは素敵な伝染です。

現地の知人たちも口々に「入国制限が解けて日本へ行くのをほんとに心待ちにしているのよ」と熱意をもって語ります。

そして彼らの動機は決して円安によるものだけではなく、美しい景色、美味しい食事、心地良いサービスです。

 

私が住んでいた20年以上前も日本人の評価は悪くはありませんでしたが、それは日本や日本人を直接知っている人のことであって、中には戦争時代のイメージを上の世代から植え付けられている人たちや、特に理由もなく日本人嫌いも同僚の中にはいました。日本人であるというだけでハラスメントを受けた経験もあります。また、かつては豊かな日本人は絶好の商売相手ですから片言の日本語を話す人も多くいました。

日本人の私はというと、強い経済力と技術力を持つ日本出身であることが誇りであった気がします。

 

今、香港名物のヴィクトリアハーバーのイルミネーションは、かつてはソニー、日立、セイコーと日本企業が一等地を占めていたのに、今ではほとんど韓国や中国の企業に代わってしまいました。

また、片言の日本語で話しかけられることは少なくなりました。もはや日本人はお土産や偽物の時計を買ってくれる人ではなくなったので、日本語を話すモチベーションもなくなったのでしょう。

一方、円安は続き、香港でもこれまでにない貧しい気持ちにさせられました。安くておいしかった飲茶は高価なランチになってしまいました。

 

また多様な人々への対応力は、アジアの国々の中では日本は後進国と海外へ出るたびに感じます。例えば香港ではIDカードの申請のような役所は20時まで開いています。様々な立場や職業の人に対応する体制が整っています。困難を経験している香港ではあるけれど、コロナを含めそれを克服して進化する様子を見ると、日本にいて香港の行く末を心配している場合ではないと感じます。

 

時代や立場は変わり、多くの外国人が実際に来日し良い体験をして、そして日本を好きになり、彼らの行動に良い影響を与えたとしたらそれは、世界に対する素晴らしい歓迎すべき影響力ではないでしょうか。

インバウンド=金儲け、というかつてアジアの人たちが日本人を見ていた図式を私たちが取るのではなく、日本の持つ素晴らしいソフトスキルを広めること、心地よい社会を作るリーダーシップを執ることは2023年の日本の目標として意義があり、そしてビジネスチャンスと捉えるとわくわくしませんか。(YK)

 

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年末にお茶を入れて考えたいこと

2022年11月4日

The Earned life平均寿命が延び、そして長く働き続けなくてはならない時代、今年は人生後半にさしかかった方たちのキャリアチェンジの課題を感じることが多い一年でした。

 

そんな折、コーチングの神様マーシャル・ゴールドスミス博士の新刊「The Earned Life」と村上龍の短編集「55歳からのハローライフ」をほぼ同時に読みました。

 

コーチングの本と小説ですが、どちらも人生後半の生き方についてメッセージは同じ、さすが大作家の考えることはどのようなスタイルをとっても人に訴えます。

若い頃はドラッグや高級ワインを背景にした小説書いていた村上龍が、離婚や定年、ホームレスをテーマにしていることに、誰もが年齢を経て変わることを感じます。

 

そしてマーシャル・ゴールドスミス博士も人は過去と同じではない変わり続けていく過程こそ人生であることを指摘します。

マーシャル博士の顧客たちは世界のトップ経営者たちですが、引退してからもその過去の成功にしがみついている人もいれば、取返しのつかない過去の失敗や過ちを悔い続けている人もいるといいます。そして、いずれもそれは、過去のことで「今」の自分は全く別人であるということに気づいていないといいます。

 

確かに、過去に部下であった人たちが今では私よりずっと成長していて、教わることがあります。教えるのはもはや私の役割ではない、と気づいてハッとすることがあります。

また、過去に壊してしまった人間関係も今の自分がやったことではない、過去の自分と相手との間に起きたことです。

こだわり続けるのは意味のないことでしょう。

 

マーシャル博士は、常に新しい自分自身になる努力をしていくこと、その過程こそ人生だと言います。

幸せな人生とは、プロセスであって結果ではない、つかみ取っていく過程にこそ幸せがあると言い、彼は3つのAを上げます。

 

Aspiration     理想とする人生の在り方

Achievment    短期の期限を決めて自分が成し遂げたいこと

Action   日々の行動

この3つのAがシンクロさせることが大切。

 

最初のA、Aspirationは達成できなくていい、日々それに向かって進んでいるという実感こそが「幸せ」であり、幸せな人なのだとマーシャル博士は言います。

 

「55歳からのハローライフ」の主人公たちもまさにそれに気づきます。夫への不満も妻の無理解も自分の側から見た世界であって、自分が主体性を持たなければ幸せにはなれない。大きなことである必要もない。自分自身がやりたいことを持とうとすることで、未来が開けていきます。

組織を卒業するのであれば、なおさら人に頼るのではない自分自身の夢を準備したいものです。

 

村上龍の主人公は、それぞれお気に入りの飲み物を自分で作って一息つきます。

マーシャル博士も深呼吸を進めます。

一息つくと新しい自分が生まれる。

 

あなたの3つのA、お気に入りの飲み物を片手に年末に向けて考えてみてはいかがでしょうか(YK)

 

参考図書:

「55歳からのハローライフ」村上龍著 幻冬舎文庫

「Lose Regret, Choose Fulfilment THE EARNED LIFE」Marshall Goldsmith著

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グローバルに通用するマナーのおさらい

2022年10月5日

機内

コロナ禍ですっかり遠くなった海外。そしてインバウンド客もめっきり見かけなくなりました。が、いよいよ各国、そして日本もまた閉ざしていたドアを開けました。
日本人の国際化は進み、海外へ旅行することはそれほど特別なことではなくなり、むしろ海外離れともいわれるこの頃ですが、外国人と接する機会は増える一方です。

 

そこで知っておきたいのが服装のマナー。長い間、海外のファッション業界にいましたが、日本人に欠けていると思うところは、TPOの意識です。いやいや、冠婚葬祭のルールは守っているし、国葬でマスクをいっせいにしているのも日本くらいだ、という方もいるでしょう。

そうではなくて、もっと日常の話です。服装はその人となりを表しているという意識、そして場において服装が心を表すという意識です。

私は、服は自分が好きなものを着ればよいと思っています。

が、相手がどう見るか、どう感じるかという視点は持っておいたほうが得だと思うのです。

 

例えば航空会社によっては、席の調整のためアップグレードを行う際、服装を観察して選んでいることをご存知でしょうか。スニーカーを履いていてはファーストクラスにはアップグレードしてくれません。
それは、ファーストクラスという場の雰囲気を壊してしまうからです。もちろんお金を払ってくださるお客様には言えませんが、でもレストランにはドレスコードがありますから当然といえば当然ですね。

 

欧米人は、特にフランス人はある程度の常識がある人なら、その場その場において、服装を変える必要性を知っています。相手や目的だけではなく時間帯の服装というのもあるのです。

かなり以前ですが、シャネルに「5時から7時」というテーマのコレクションがあり、仕事が終わった17時から19時までにドリンクをするときに着る洋服をイメージしている、というのを聞いて感心したものです。

 

確かに、本社から来たフランス人の女性が仕事を終えて夕食の席に移動する際に、靴を履き替えていたことがありました。社長との会食に本来であれば、一度ホテルに戻って着替えたいところを時間がないので、靴だけはハイヒールに履き替えると言うことでした。彼女からは、日本の女性は通勤にミュールを履いているけど、フランス人はつま先の出た靴は昼間、まして職場では履かない、夜はドレッシーな靴に履き替えるのが嗜みだと教わりました。

 

イタリア人同僚は、昼間はTシャツで仕事をしていても、夜の食事の前にはシャワーを浴びてジャケットにポケットチーフで現われたりします。場に応じて着替える。もっとも通勤時間に時間を要す日本ではなかなかできないことですね。

 

また蒸し暑い香港で、きちんとした取引が想定されるビジネスの席で日本人男性がクールビズでノーネクタイであるのに対し、香港人の男性は上下のスーツを着用していたことがありました。暑い香港ですが、ビルの中ではクーラーは利きすぎるくらい利いています。本人に聞いてみると、これも自分自身が大切なビジネスパーソンと会うときのマナーで、服装は崩さないということでした。もちろん誰もがそうとは限りませんが、そうした心構えのある方は信頼できる気がします。

お客様の目より、同僚の目を気にして、目立たないように横並びの服装しているとしたら要注意です。

 

 

日本人は無礼講と言って型を崩すことが好きです。しかし、もともとは、厳しいルールや決まりがあって、相手の目線を意識していたはず。自分の「楽」よりも相手へのメッセージを重要視していたはずです。自分が楽であることと、気楽な人であるというメッセージとはまた別もの。

服装も自分のイメージ戦略ですが、スティーブ・ジョブズのように黒いTシャツを着れば仕事ができる人に見えるわけでもありません。

 

もうひとつ、気になるのはレストランでの御勘定の仕方です。日本人は、接待でもない限り割り勘でその場でお互いキャッシュを出して支払っている場面を見かけます。しかし、海外では、国によって異なる暗黙のルールがあります。例えば中国人は、割り勘は恰好良いものではなく、暗黙のうちに上手に交替で支払いをしているようです。これも日本でもキャッシュレス化が進んで、スマートなやり方は増えていくでしょう。

 

さて、飛行機のアナウンスから「Ladies & Gentlemen」が消えて、機内には紳士淑女はいなくなりました。しかし、なぜか機内でもホテルでも、隣に居合わせた若い女性は自分の部下、というような気持ちになるのか自分を優先して欲しい、また自分はクラブメンバーなのだから自分が先だ、という態度をする人はいまだにいます。

確かにレディファストを求めるのは時代遅れかもしれません。常に他者を大切に扱う仕草はジェントルパーソンとして男性も女性も身に着けておきたいものです。

 

欧米のビルのドアで、後ろを気にしてドアをおさえてくれる人、鉢合わせになったときに「After You(お先にどうそ)」という人に出会うと、なんて気持ちに余裕があるのだろうと感動します。

袖すりあうも他生の縁、相手に会釈をするという余裕こそ「おもてなし」です。

(YK)

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女性は透明人間

2022年7月18日

富士山上空この数年、航空会社のお客様への呼びかけのアナウンスが「Ladies &Gentlemen」が廃止され、各社ジェンダーを区別しない言い回しに代わりました。日本語は元々、「ご搭乗の皆様」または「お客様」で呼びかけていますから、ジェンダーは特に表現に関係ありません。

とはいえ、実は日本語ほど役割で人を呼ぶ国はないのでしょうか。こと家庭内においては顕著であり、ジェンダーと呼び名が結びついています。

 

高齢者に「俺だよ」と言えば息子だと思われるだろう、と言う想定はなんてステレオタイプだと思うのですが、「俺」と名乗る娘はいませんし、それで通じるのが日本語です。

 

例えば、自宅に日中いればかかってくる電話はたいてい勧誘の電話なのですが「奥さんですか」で始まります。そう言われるとあまのじゃくな私は「違います」とだけ答えます。本当に私は「奥さん」ではないし「奥さん」もいないからです。

すると相手は戸惑い「・・・」と短い沈黙があり言葉を探しています。奥さんではない、では誰なのだろう、何と呼びかけたらいいのだろうと思うのでしょう。

たまに「ご主人いらっしゃいますか」ということもあります。女性には用がないのかしらと思いながら「いませんが何か?」と尋ねてみます。すると、これも相手は戸惑います。ある時「では●●について決定権のある方は」と尋ねられたことがありました。

女性は決定権者ではないと思われているのでしょうか。

詐欺だけではなく、セールス電話のマニュアルには、いまだに一般の家庭は昼間家にいるのは奥さんで、決定権を持つのはご主人と言う設定になっているようです。私としては「マニュアル改訂お手伝いしましょうか」と逆営業したくなります(笑)

まあ、いまどき固定電話に出るのは年配者だからなのかも知れません。

 

冗談はさておき、私のようなダイバーシティを扱う仕事をしていると、いちいち気に障ってしまい、とことん言い返したくなるから困ったものです。

 

では企業ではというと、先日、ある取引先企業からプロフィール写真の提出を求められました。私だけではなく他の方にも要請しているのですが「スーツ、ネクタイ着用」と注釈がありました。

女性について記載はありません。担当者に「女性はインナーは何を着れば良いのですか」と思わず問い合わせをしてしまいました。すると、担当者は「確認しますのでお待ちください」と即答がない。

うっかりであって悪気はないのは分かっているけれど、対象となる相手は3割ほどは女性であるだろうに、依頼をする文面に違和感を覚えていないのだろうなあと思いました。

信頼している企業の姿勢が、真のダイバーシティ実現の姿勢はないのだと感じてしまいました。

 

何かの本で「女性は社会において透明人間のように扱われてきた」と書かれていましたが、何気なく悪びれずに存在を無視されると残念です。

 

こうした積み重ねに、女性はもう慣れてしまって特に声をあげるほどのことではないとスルーしている女性は多いでしょうし、気にもしていないことは事実です。

 

私が憤慨していると「そんなこといちいち気にもしていません」と言う女性も多い。女性にも笑われて、私自身、なんだかフェミニストだと思われるのは嫌だなあと、肩身を狭くして口をつぐむこともしばしばあります。

それでも誰かのアイデンティティが無視されている状態では、決して、皆が自信を持って活躍できる場所にはならないはず。

 

相手のアイデンティティを尊重する。少なくともダイバーシティを推進しようとする企業においては、言葉や文章の細部にも気を遣って欲しいものです。

男性女性に限らず相手の感情に配慮する、これからの企業に必要な姿勢ではないでしょうか。

参考図書:「存在しない女たち」 キャロライン・クリアド=ペレス著 河出書房新社

(YK)

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