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Columnコラム

他人のふりから学ぶこと。

2017年6月28日

angry-2191104_1280性国会議員の罵倒が連日、TVを付けると聞こえてきます。

「ハゲー!!!」

あり得ないでしょう、こんな暴言、しかも手は出るしそれ以上に家族を脅すような発言には驚きます。

SNSでも色々な記事や人達が、エリートとして生きて来た彼女にはミスをすることが許せない、他人の痛みが分からない、上から目線の人なのだ、というようなコメントを書いています。

成功者でプライドが高いから自分がいつも正しいと思っている、というようなコメントが大半です。

 

しかし、私は少し違う見方をしています。

何故ならば、何度も聞いているうちに誤解を恐れずに言うのであれば、私もこんな風に上司に怒りをぶつけられたり、私自身が部下を罵倒した経験があったなあと思い出したからです。

まだ、若いCAの頃、ファーストクラスの朝食で卵料理を次々と失敗して、お客様に卵を出せないまま到着してしまったことがありました。

さすがに私も取返しの付かないミスだと自分自身でも情けなくなり落ち込みました。

上司のパーサーは、そんな私の傷に塩を塗るように「大金を払っているファーストクラスのお客様に、卵も出さないで飛行機を下すなんて、なんて失礼なんだ!私のお客様になんということをしてくれたんだ!」とそれこそ私は生きている権利はない人間であるかのように一時間以上、制服を着たまま到着後のオフィスの片隅で、火山のように爆発したように怒鳴り続けました。

最後はちゃんと会社に報告されて、出来ないCAの烙印を押すことも忘れていませんでした、、、

 

そして会社員時代には、改築した本社をお客様にお披露目するというときに部屋の準備が完璧でなかったということで、外国人の上司に英語でいうところの4文字単語でののしり続けられたこともありました。

「君はどんなに大切な機会であったかを理解していない。二流の会社だと思われたかも知れない! 〇X〇X!! 〇△?✖!!!!」

ひどい言葉が続いて、そのときは、周囲の同僚のほうが私が会社を辞めるのではないかと、心配して青くなっていました。

どちらも共通するのは、二人ともお客様に対して真剣であったということです。

二人とも、誰にでも間違いがあるのは、わかっている上司たと思います。

それほどまでに怒らせたのは、何故大切なお客様に対して、自分と同じくらいの全力を尽くして仕事にあたらないのかという怒り、そして大切なお客様に失敗をしてしまったという悔しさ、だと思うのです。

こういう上司は、得てして完璧主義であり、本人であればきっときちんとやり遂げる人です。

他人の痛みが分からない、相手が自分のように仕事が出来ないことを理解出来ないのではなく、自分と同じ高い目線を持っていないことに対する怒りだったと私は受け止めました。

私自身が部下を怒ったときも、お客様に対してお詫びのしようのない間違えをしたときでした。

こみあげてくる感情はくやしさ。

何故、この想いを共有してくれないのか、相手に失礼なことをしてしまった、という怒りでした。

と考えると、この議員が秘書が相手先を間違えて大切な手紙を出してしまったことにこれだけ怒り心頭するのは、少し理解が出来る気がします。

 

特に女性は受け流すのが苦手です。

起きてしまったことを何度も何度も繰り返し考えて後悔するのが得意なのが女性です。

私は東大出身でもエリートでもないけれど、お客様へ一生懸命しようとする気持ちが共有できない人には我慢が出来ません。

男性国会議員が「こんなの良くありますよ」と発言して撤回に及びましたが、真剣に仕事をしている人であれば、このような場面に遭遇したことはあるのではないでしょうか。

 

こうしたことが起こるとひとくくりに、人のバックグラウンドで傾向を語ってしまう危険を感じます。

もちろん、彼女の態度や言葉は、彼女が長い人生で身に付けた人間性を表しますからそこに人の上に立つ適性があったかどうかは疑問です。

 

どんなに悔しくても腹立たしくても、怒りを人にぶつけることは、人間関係を崩し、やがて自分に返って来ます。

何より怒りに向けられたエネルギーは大きい。

そのエネルギーをそんな無駄なところに使ってはいけないですね。

大きなビジョンに向かっている人、多くの人を動かさなくてはならない人は平常心を保つ習慣を身に付けることが必要ですね。

最近、他人に言われてやっていることは距離を置くことです。

何か起こるとせっかちな私はすぐに反応し、すぐに解決しようと、メールをしたり会おうとしたり。

しばらくほおって置くと、どうでも良いことに変わったり、不用意な発言をしないで済みます。

この議員さんも車の個室にいたから、余計な発言がエスカレートしましたよね。

繰り返しますが、彼女に非がないとは私は思っていません。しかし色々な見方をしなくてはいけないと思います。

 

働く女性は心を休める時間を持ちましょうね。

YK

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ハンカチと豚の貯金箱

2017年6月18日

実は先日、贈り物で失敗をしました。

香港の仕事先の女性が転職するというので、いつもお世話になっているお礼のつもりで書類を送る際にあわせてハンカチを贈ったのです。

地元横浜のブランドの美しいハンカチ。

彼女はすぐにメールをくれて「とってもきれい!ありがとう」

と言ってくれました。

 

さて、もう会えないつもりがやはり出張しなくては仕事が済まなくなり彼女の最終出勤の一日前に香港へ。

再び顔を見ることが出来て良かったのですが、全ての引き継ぎが終わった後に彼女が「これあなたに」と思いがけずプレゼントをくれました。

いつもクールな彼女がそんなことをしてくれるなんて、かえってハンカチで気を使わせたかしらと思いつつも嬉しくなりました。

「あけてもいい?」と聞くや否やその場でプレゼントを開けてみると出て来たのは金色の豚の貯金箱!

背中には福の字が書いてあるではないですか。

金ぴかの可愛い顔の豚・・・・

びっくりしてしまった私。

「わー、縁起が良さそう!、お金たまりそう!」

取りあえず言うと

「かわいいでしょう」

と彼女はにっこり。

そして「商売繁盛祈っていますね。会社が成長しますように!」と言ってくれました。

 

 

さて日本に帰国してから調べると、やはり金色の豚の貯金箱は風水グッズで中華系の人達には人気なようです。

中華圏だけではなく、豚は子だくさんでヨーロッパでも冨の象徴を表し、日本でも豚の貯金箱は人気なよう。

特に、金色は玄関に置くとお金が入ってくるそうです。

金の豚あらためて彼女の心づくしの品物に感謝。

ところが、それと同時に中華圏の人に贈ってはいけないものがいくつか書かれていました。

時計、傘、扇子、刃物、粽、ハンカチ・・・

え、ハンカチ!

お香典のお返しに使われるので永遠の別れを暗示して縁起がよくないと書いてあります。

私は豚で驚いたけど、彼女もハンカチで驚いたかしら。

知り尽くしていると思った香港でしたが私もまだまだ知らないことがありました。

異文化のコミュニケーション、気を付けなければ誤解の元になりますね。

 

ところで、彼女とのオフィスでの最後の別れ。

香港人は見送りをあまりしません。

彼女は4年の付き合いですが毎回、オフィスのガラスのドアを私が出るや否や背を向けて奥の部屋へと戻っていきます。

日本人の癖で振り向くと、彼女はそこにいない(笑)

最後くらい名残を惜しんでくれるかなあ、と今回も後ろを振り向くと既に彼女の立ち去る後姿がそこに見えました。

あっさりしています。

方法は異なるけど、商売繁盛を祈ってくれたことが

何より彼女の気持ちなんでしょうね。

多謝。

YK

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思いに寄り添うものの価値

2017年6月11日

advertising-1846054_1280来週は父の日。

何を贈りますか。

父のいない私は贈る相手のいない寂しさを感じます。

 

最近、断捨離という価値観が最近では重視されて

物はなるべく持たない、

そしてブランドなどという他人に見せるためのものはカッコ悪い、

物は機能を果たせば良いのであってそこにお金をかけるのは愚かである

というような風潮もあります。

そうした会話を耳にすると「分かっていないなあ」と紹介したくなるのがかつての上司に教えてもらった「物の価値」です。

たとえば、あなたが毎日毎日、手帳に予定やTO DO LISTを書きこんでそれを眺めることが重要なことだと感じているとします。

それだけであるならビニールの表紙であろうが紙のノートであろうが構わない。

それで特に問題を感じなければそれでいい。

ただ、毎朝、手帳を見ながら今日の予定に思いをめぐらす時

年月を重ねるごとに手触りがなじんだ良質の革に去年のことも思い出され

そして今日もまた頑張ろうと思う

そうした瞬間を大切にする人にとっては、自分の人生に相応しい手帳を選ぶだろう。

物は、機能であって、他人に見せびらかす必要もなく、ステータスを表す時代も終わったのかも知れません。

しかし使用するだけではなく、誰に贈られたのかいつ手に入れたのか、それを使って自分が何を感じるのか、

思いに寄り添ってくれる物は、いつの時代も誰にとっても大切でしょう。

思いに寄り添ってくれる物は捨てられない。

 

先日、友人が10年も前にが亡くなったお父様にあげた時計がまだ動いていると

自分で身に付けていました。

そしてそれをプレゼントした時の自分の気持ちも話してくれました。

ビジネスの景気が良い時だったので両親に高価なペアウォッチを贈ったこと。

お母様とお父様とでは性格が違って時計の扱いも異なり、お母様はすぐダメにしてしまったこと。

懐かしいほほえましいエピソードが友人の想いと共に語られました。

物がなければ、私はそのエピソードには出会えず、そしてそんな話を語る友人がさらに好きになりました。

形見。

そういえば亡くなった人の品物は「形に見える」形見。

見えないものは形に宿るわけですね。

 

さて、父の日、何を贈りますか。

YK

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人との出会いは真剣勝負

2017年6月1日

茶の湯

東京国立博物館特別展「茶の湯」

先日、週末に知人女性が主催をして女性ばかりのワークショップを行いました。

週末なるべく多くの女性に集まって頂きたいと価格は抑えめ。

それでもお茶とお菓子を用意したいと主催者の女性は準備に余念がありませんでした。

前日に彼女から打ち合わせの電話がありました。

「コーヒーカップが足りないけれどあるかしら?紙コップではね?」

私は、人数も多いしいつも他のセミナーでは紙コップはおろか、お茶も出ないところが多いので

「いいのではないでしょうか」と答えたら彼女からの返答はこうでした。

「だってオモテナシズムだし。テーマはココ・シャネルに学ぶ、だし。紙コップはないでしょう」

 

 

さすが、グローバルな数々のおもてなしを経験している先輩女性です。

私は電話のこちらでたちまち赤面。

おっしゃるとおり。

それはいつも自分が言っていること。

グラスひとつであってもブランディングには重要なのです。

おもてなしは細部に宿ります。

「ラグジュアリーは裏も表も美しい」とはココ・シャネルの言葉です。

結局、全て陶器の食器を準備していただきました。

毎回、セミナーをする時には「一期一会の気持ちで、お互いにベストを尽くしましょう」と言いながら、ついつい細部を見逃していた私。

もし、ここに皇室の雅子様が出席するとしたらどうでしょう。

いくら私でも当然気が付いて準備していたに違いありません。

でも、私の話を聴きに来て下さる方はどなたであっても、たとえ無料の時でもお客様です。

雅子様以上に大切にお迎えしなくてはいけないはずです。

それがオモテナシズム流のはず。

それなのに、自分が出来ていませんでした。

 

 

紙コップに気もちがこめられないわけではありません。

ただ、大切な人に美味しいお茶を飲んで頂くためには、少し手間であっても使い捨てではない食器を用意しその準備と片付けにも時間をかけるプロセスが「おもてなし」なのです。

いつもどこでも出来るわけではありませんが、私が「おもてなし」を語っているのであれば実践しなくては、誰も信じてくれませんね。

そしてそれがオモテナシズムのブランドを示すこと。

 

一流の「おもてなし」には絶対失敗しないという緊張感が必要です。

ちょうど今、上野の東京国立博物館で「茶の湯」という特別展が開催されています。

そこには数々の茶器や茶の湯にまつわる道具が展示されていますが、当時の茶人が権力者たちをもてなした時の茶器や掛け軸がかかっています。

どんな思いで選んだのだろうか。

ひとたび気に入らないとなると、機嫌を損ねてしまう危険性すらあったでしょう。

そう思うと真剣に見入ってしまいました。

人と人との出会いは、取返しの付かない真剣勝負です。

現代では、私たちはとても簡単に人をもてなしています。

場所と時間と物、もっともっと相手を考えなければと

心新たにしています。

YK

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