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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

どちらが月でも太陽でも~どちらに合わせるということではなく~

2021年11月23日

皆既月食「女性に合わせろということですか?」

女性にありがちな習慣や心理を紹介したダイバーシティ研修終了後、参加者の40代の男性から不満そうなつぶやきが聞こえました。

「どちらがどちらに合わせるということではなく…..」と答えようとすると「結局、女性をどうしたら変えられるんですか」との質問に私も思わず気持ちが昂り「女性は男性のやり方にこれまで合わせてきたのですから」と言い返しそうになり、あわてて言葉を飲みました。

 

旧態以前、「昭和の男ですね」などと笑い話には出来ない、実はまだまだまだ多くの日本人が持っている意識だと思います。しかし、ここまであからさまに言われるとは、少しショック。がっかりしました。

 

また、先日、ある芸能人が情報番組で夫婦円満の秘訣を「奥さんがにこにこ笑っている家庭は幸せだから、奥さんを怒らせないようにしている」と語っているのを聞きました。この人の奥さんはどのように思っているのでしょうか。奥さんだって彼の幸せのために日々努力しているのではないでしょうか。

 

さらに愛妻家を自認する男性にありがちな「奥さんは承認を求めているのだからねぎらってあげましょう」というような発言。奥さんが大変なのは、そもそも自分が原因ではないのか考えてみたらよいのに、と不快に思います。

それなのに「優しいですね」と相槌を打ってしまう自分(笑)。

内心感じていることと空気を読んでしまう発言のギャップ、ぶれているなあと自分自身が嫌いになります。

 

一見、女性に配慮しているるように聞こえるこれらの発言ですが、冒頭の男性と同じです。上から目線なのです。相手を弱いもの、かばってあげるもの、と捉えるのは優しい行為のようですが、実はそこで上下関係を作っています。

そして罪なのは、そのことに気が付いていない。本当に優しいつもりでいる人たちです。

 

宇宙飛行士の向井千秋さんが、1985年に宇宙飛行士の募集要項に「男女を問わない」とあったことについて本当に感謝していると述べています。

「女性は守ってあげないといけない存在だから、危ない仕事に就いてはいけません」という風潮の時代に活気的であったというのです。

そのおかげで、女性の可能性だけではなく宇宙研究にさらなる広がりが出来たのではないでしょうか。

もう40年近く経ちましたが、さすがに公にはこのような発言はないものの、冒頭にあげた男性のパートナーに対する感覚は、男性にも女性にも無意識にもっている人たちは、まだいるような気がします。

 

誤解しないでくださいね。

パートナーをねぎらったりいたわったりする必要がないと言っているのではありません。

男性が女性にだけではなく、女性が男性に、相互に支えあうことが大切であり、どちらかに合わせるのではなく、双方が自分のやり方で生きることが出来る社会でありたいものです。

そして変えられるのは自分自身だけ。相手は変えられません。

 

さて、私自身、辛口ばかり言うのではなく、性別問わず、共感し配慮してくれる人といたいと思いますし、また自分自身もそうあるよう努力しなくてはと戒めています。

お互いを月と太陽に例え合った元プリンセス夫妻。どちらが太陽でも月でも、お互いがなくては地球は存在しないこと、

忘れないでおきましょう。

(YK)

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Awayにさせない~クリティカルマス~

2021年9月26日

【テキスト】ペンギン先日、リモートでセミナーに講師として登壇すると、画面に現れたのは全員が男性、しかも担当者も男性で女性は私一人。こうした状況は、リアルでもリモートでも特に管理職を対象にすると良くあることです。

「アウェイだ!」

日頃、男性と働くことに慣れている私であっても、おくびには出さないものの少し緊張します。特に、男性がユニフォームのようにそろってスーツを着ていると、アウェイ感はさらに強化されます。

 

女性ばかりの中に男性一人であったり、外国人の中に日本人一人であったり、どのような場合でも、少数派は個人差はあるにせよ、若干の居心地の悪さを感じるでしょう。

誰でもアウェイはあまり嬉しくない。しかし、女性はそうした状況に頻繁に置かれていることに気が付いていますか。特に立場が上になるとその状況はさらに増します。

 

スポーツでもアウェイでは、良い成績を出せないことが多い、不利であることは知られています。

自分の仲間(アイデンティティ)が少ない状況では、人は思う存分に実力が出しにくい。異質なグループの中におかれると誰でも不安になる、心理的安全性が脅かされてしまうのです。

 

私の場合、女性が多い場では自分の意見を自信を持って開示できるのに対し、男性が多い場では出来る限りデータを示すことで自分の説の正当性を示そうとし、結果、自分らしさが出しきれない傾向にあることを自覚しています。

 

社会心理学者のスティール・クロード博士は、少数派は常に自分の属するメンバーの代表としてふるまおうとするため、無意識のプレッシャーを受けると言います。

簡単な作業であれば、そのプレッシャーが背中を押し期待以上に良い成績をおさめるのに対し、難しい作業の場合、今度は「間違ってはいけない」という緊張につぶされていつもより上手く出来なくなるという実験結果が実証されているそうです

 

他方、私は外資系企業に勤務していた頃、外国人が多数の中に一人という状況は嫌いではありませんでした。帰国子女でもなく外国語のほうが流暢だというわけではもちろんありません。でも、なぜか気が楽だから不思議です。

恐らく、それは同席する日本人への忖度が不要になるからなのだと思います。また、職位や肩書(ヒエラルキー)によらずに、一人の意見を尊重しようという文化がより個人主義の国の人たちにはあるからかも知れません。

 

さて、これでお分かりのように、女性の管理職の数を増やす、というのは単に機会を平等に与えるという目的だけではなく、全ての人が実力を発揮するために心地良い環境を整えることに繋がるということです。

 

誰にでも居心地のよい組織を作ることに反対する方はいないでしょう。

 

そして個人の意見に耳を傾けるという姿勢を持つ、個人を尊重するという風土を作る。

女性活躍推進はその始まりにして欲しいと思います。

 

クリティカルマスとは:

学校や職場など特定の環境で、少数派が一定の数に達した結果、少数派であるがゆえの居心地の悪さを感じなくなること

 

参考資料:「ステレオタイプの科学」クロード・スティール著 英治出版

(YK)

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自分の金メダルの基準

2021年8月1日

ひまわり反省し過ぎる、自分を責めすぎるのは、多くの女性に見られる特徴です。だから、反省し過ぎるより「自分が出来たこと」「頑張ったこと」にフォーカスをして自分を誉めましょう、といつもお伝えしています。

 

しかし、今、連日オリンピックで女性の活躍を見ていると、ちょっと違うのではないか、という気がしてきました。「頑張っている」というのは彼女たち、彼らたちのような真剣に自分のやるべきことややりたいことに、日々自分と真剣に戦っている姿を言うのではないかなあと感じています。

 

女性のメダリストたち、特に相手と対戦する競技の選手たちは、相手を威嚇するような怖い表情と雄叫び。(雄叫びは雄だけのものではないのですね)どうだ!負けないわよ!と威圧しています。20歳にもならない卓球の女子選手の表情は怖いくらい。それはそうでしょう。この日のために彼女たちは何年も、メダルを目標と見据え、努力を重ねてきたのですから、譲るわけにはいきません。

 

そして金メダルはゴール達成の証であって、メダル自体に価値があるわけではなく、自他ともに認める成績に価値があるのですよね。

それに比べて自分を顧みると、やりたいことも達成したいこともあるけれど、でもそれに対して絶対譲れない、勝ち取りたい、負けられないというような意地を持っているかなあ、と思ってしまいます。

 

いやいやオリンピックじゃないんだから、戦いじゃないんだから、そんなに向きになる必要はない?でもその程度の覚悟や努力ではやっぱり、ゴールは達成できない、自分の欲しい人生は勝ち取れないのではないでしょうか。

 

一方、小さなことでも自分にご褒美を上げるのは得意なのは私だけではないでしょう。ちょっと頑張ったからご褒美のシャンパン、新しい靴、エステ、と自分を甘やかします。金メダル級なご褒美はなかなか得られないけれど、まあそんな物はいいや、とどこかで思っています。

 

先月も様々な企業や場所で、たくさんの女性に研修やセミナーを行いました。どこでお会いする女性も皆さん、本当に一生懸命頑張っています。真面目です。でも大手の企業、恵まれた環境にある会社にいる女性ほど、「頑張っている」自己評価のレベルは低いかも知れません。世界レベルとは言わないけれど、日本の中で生き抜いていくにも危ういかも知れません。そして、皆さん、他人に認められなくても自分で自分にご褒美をあげればいいと思っている節があります。

 

でも、日本の女性には世界レベルに行って欲しい。それに、他人にメダルをかけてもらうくらい頑張ったら、きっと見える世界も変わるのではないでしょうか。

 

やっと開催された、そして次回はいつになるか分からない東京オリンピックの機会に、自分の金メダルは何なのか考えてみてはいかがでしょう。

(YK)

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第4の自分を定義する!

2021年6月27日

20210617_152127「ドラゴン桜」というTVドラマが人気です。落ちこぼれだったっり家庭の事情を抱えたりしていた高校生たちが熱血先生に指導を受けて、東大を目指すという話です。

単に根性物かと思いきや、見ているうちにこれは、アイデンティティーの再構築の話なんだ、と気づきました。そして東大は、自分の目標の象徴で「灯台」なのだと思いました。

アイデンティティーとは「自分はこういう人である」という自分の定義です。

ドラマの中の高校生は「自分なんかダメだ」「自分が東大へ行けるわけがない」「私はこういう人だから」と自分自身を決めつけています。しかし、その自分への思い込みを丁寧に懸命に力強く主人公の先生は壊して行きます。

 

 

コーチングの神様、マーシャル・ゴールドスミス博士はアイデンティティーには4つあるといいます。

①記憶されたアイデンティティ

誰でも強烈に覚えている過去の自分があります。

子供の頃は成績がよくて神童と言われていた。スポーツだけは得意だった。勉強は嫌いだし出来なかった。

もう随分昔のことであるのに、記憶に残っている自分を本当の自分の姿だと思い込んでしまいます。

社会人になってからも成功体験や失敗体験が強烈に記憶されると、それが自分であると思いがちです。

②反映されたアイデンティティ

過去の自分と他人からの評価で出来上がった自分自身です。

優秀なのにいつも肝心なところで失敗する。スポーツが得意だから当然アスリートになるだろう。ラーメン屋の息子だから勉強は出来ないだろう。

過去の自分に対する他人の評価をいつの間にか自分に対する正しい判断だとすり替えてしまうのです。

③刷り込まれたアイデンティティ

親や先生に刷り込まれた自分の姿です。

家族が成績優秀だから自分も優秀で当然だ。オリンピックに行くことが人生の成功だ。ラーメン屋の息子が大学へ行く必要はない。

影響力のある人に言われ続けていると、それが自分のあるべき姿だと勘違いしてしまうのです。

④作り上げるアイデンティティ

そして、最後に第4の自分です。過去や他人に左右されない自分で作り上げるアイデンティティーです。

ドラマの高校生たちは、「東大へ行ってスポーツ医学を学びアスリートを支えたい」「ビジネスを学んでラーメン屋の経営をよくしたい」と親や周囲の思惑ではなく、自分自身で目的をみつけることで、自分という人間を再定義しました。

 

例えば、子供の頃、運動神経が良くなく自転車に乗るのも苦手だった。そして友達が「あなたが車の運転できるわけがない」と言う、親にも「絶対に運転免許を取ってはダメ」と言われていた。私の話です(笑)。だから私は今まで免許は取らずにきました。取りたいとも思わない、最初から無理、と思っていたからです。そうこうするうちに、自分で言い訳を作っています。「私は車には興味がないから」

が、時々、本当にそうだろうか、と疑うことがあります。やってみないだけで、出来ないことではないのではないか。もしかすると好きかも知れない。私は決めつけたアイデンティティーで可能性をひとつ失っているのかも知れません。

誰にも、多かれ少なかれ、自分自身で触らないと決めつけている領域や行動はあります。そして、その自分自身のアンタッチャブルに可能性はあるかも知れません。

そもそも、出来なかった苦手だった経験は、何年前の話ですか? 子供の頃からと言うなら、ひょっとして何十年前の話では? 数十年前の短い間の経験では、今の自分とは違っているのではないですか?

 

前回、ビジョンの話をしましたが、夢物語のように誰もがなりたい自分、やりたいことをやれる自分になれるほど人生は簡単なものではありません。ドラマの高校生も全員が東大に受かったわけではありません。

しかし、もし自分自身がほんの少しでも「やりたい」「やってみたい」と思っていることを、過去の自分や他人の評価でためらっているとすれば、もったいないことですね。

 

ビジョンが描けないという人は、是非、自分自身のアイデンティティを再構築する作業してみてください。第4の自分を見つけてください。

目指すものがある人生はきっと楽しいと私は思っています。

(YK)

参考図書

「コーチングの神様が教える『前向き思考』の見つけ方」

マーシャル・ゴールドスミス著 日本経済新聞出版社刊

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ビジョンが必要なのは今をイキイキ生きるため!

2021年6月6日

山下公園バラ

先日、もうすぐ企業勤務を卒業する外資系企業の女性部長さんにメールをすると、いよいよフィナーレを迎えるにあたり、プライベートも充実させ、そして最後まで責任を果たすべく楽しく過ごしているとのことでした。文面からイキイキとした様子が伝わってきました。それは、彼女が新しい生活へのビジョンと計画を具体的に持っているからでしょう。

 

またある私のクライアントの女性は、元々今の仕事に就く前にやりたいと思っていた仕事を実現させる計画を胸に抱いて、だからその実現までに今の仕事を活かすべく、ワクワク働いています。

そう、今の仕事を充実させるために、自分がこの先の夢を持っていることはとても大切です。ビジョンはモーチベーションの源泉になるのです。

 

実は、私自身もこの数年、この先が見えずにもやもやしていました。やりたいこと、やれることはもう全てやってきたし、それにこれから新たなことは面倒だし、、、、

しかし、コロナ禍のお陰で発想を転換することができ、次のチャレンジ目標が出来ました。するとどうでしょう。毎日、本当にうきうきと目が覚めるのです。

 

やりたいことはなくはないけど、やれっこないし、、、、どこかの通販化粧品の宣伝ではありませんが、もう私には無理、、、とあきらめていませんか。やれなくてもいいではありませんか。別に誰が笑うわけでもないし、自分の人生なのですから。

 

いえいえそもそも、やりたいことが分からない? これが一番やっかいです。今度、生まれ変わったら何をしたいですか?億万長者の妻になりたい?

 

億万長者といえばビル・ゲイツ夫妻が離婚しました。妻のメリンダ・ゲイツの著書を読みましたが、億万長者の妻は決して楽ではないようです。子供が生まれて当然のように専業主婦を予定していたら「じゃあ君はこれから何をしていくの?」と尋ねられたそうです。さすが、ビル・ゲイツです。

 

自分が何をしていきたいのか、独立した女性であればきちんと回答したいものです。どんな仕事をしていきたいのか、どのようなことを結果としてもたらせたいのか。だって、何をしたいのか分からないような人は魅力的だと思いますか。

 

ビジョンなどという難しい言葉でなくても、夢は生きるうえで大切なのです。失敗してもいい、方向転換は何度でもできます。今を充実させるために楽しく生きるために未来を考えましょう。

(YK)

 

参考図書

「いま翔び立つとき」 メリンダ・ゲイツ著 光文社

「仕事に活きる 禅の言葉」  島津清彦著  サンマーク出版

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ロールモデルより自分の生き方を生み出す

2021年5月9日

亀

先日、107才で亡くなった芸術家、篠田桃紅さんの美術展に行きました。

そこで購入した彼女の画集にとても共感する言葉がありました。

 

一人一人、生まれも育ち方もぜんぶ違う。                      だから一の生き方を参考にすることは出来るけど                   そっくり真似することはできない。                         自分で生き方を生み出さなければね。

 

さて、女性が活躍できない理由として必ずあげられるのが「ロールモデルがいないから」。それを耳にするたびに、女性が組織で活躍するためにロールモデルが必要でしょうか、と思います。

 

今、リーダーの地位に就いている女性や、起業して自分が自分の事業の代表として働いている人で「ロールモデルがいた」と言う人は少ないのではないでしょうか。だって、そもそも前例は今よりも少なかったはずです。私も誰かを見て目指す、ということはなかった気がします。

 

確かにビジネスの世界は男性ばかり。あらゆるタイプのビジネスパーソンが周囲にいるのだから、男性は良い例、悪い例、学ぶことは容易です。でももう、男女の違いはなくそうとしているのだから、組織での振る舞い方や仕事の仕方なら、女性も男性から学べばいい。リーダーの在り方にも女性だから男性だからという違いは、本来ないはずなのです。と言いながら、私自身も女性を活かすリーダーシップを唱えています。しかし、本来、リーダーの在り方に求められるものは同じで、違うとしたらそれぞれの個性であり、男女差が生まれるのはそこでしょう。

 

「いえいえ、家庭と両立をしている女性の例が見たいのです」「女性のリーダーのお手本が欲しいのです」という声が聞こえそうです。もしかすると自分を女性の枠にはめているのは女性自身なのかも知れません。

 

そして「ロールモデルがいない」ことを改善すべき課題としている企業の人事部や女性活躍推進プロジェクトも多い。前例が少ないから、自分たちもどのようにあるべきかが示すことができないし、やっぱり手っ取り早いのは先駆者の存在です。そもそも女性の数が少ないのだから、女性を増やす口実としてロールモデルの必要性を強調することは一つの手です。

 

一方、男性も一人親もいる時代、彼らにもロールモデルはいない。でも自分のやり方でやっていくしかない。求められるロールモデルも変わっていくので、待っていたり頼っていても前には進めない。声をあげれば必ず今の自分より一歩前に進んでいる人はどこかにいます。自分が何をしたいのか、困っていることが何なのかを主張することのほうが近道です。

もし、リーダーになるというようなキャリア以前の問題で「自分がどのような働き方をしたいのか分からない」「未来にどんなチョイスがあるのかお手本がいないから描けない」というのであれば、それはロールモデルの不在が原因ではなく、自分自身の想像力に課題があるのではないでしょうか。自分を知らず知らずのうちに枠にはめてしまっていませんか。

 

何度も繰り返して言いますが、自分の在りたい姿は自分でしか描けない。他人の真似では借り物のビジョンです。そして、ビジョンはゴールではない、自分が成長すれば変わっていって当然。

 

 

自分探しではなく、自分の生き方を生み出す。

頑張りましょう。

 

参考:「人生は一本の線」 篠田桃紅著 幻冬舎

(YK)

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10年後に何を着ていたいですか?

2021年4月8日

シャネルファッション以前から、日本の働く女性たちはもっと服装に意識を働かせても良いのではないかと感じていました。

 

女の子なのかお母さんなのか、キャリアを目指しているのか女性らしさを強調したいのか、カジュアルなのか手抜きなのか、よくわからない曖昧なファッションの女性を多く見かけます。それが好きだから、楽だから、好みだから、というのは理解できるし、好きなものを着ればいい、とやかく言えばハラスメントと言われるかも知れません。しかし、正直なところ、それでは仕事を任せられませんよ、という思いを感じています。

 

私自身がファッションの会社に勤務していた頃、イケてない服装では部下たちに馬鹿にされるという苦い経験もしているのでなおさら、気になっていました。

 

最近、ドラママスタイリストの西ゆり子さん書いた本を読んで、そのもやもやを一気に払拭してもらえました。西さんは、数多くの人気ドラマの人気女優さんや役者さんたちのスタイリストをなさっています。脚本を読み込み、その登場人物がどのような人生を歩みどんな考えや価値観を持っているのかを想像し、服を通して視聴者に表現する仕事。演じる女優さんの陰で、服で役の人物に肉付けをしているお仕事です。

 

西さんは、服はその人自身を表す名刺と言います。

裏返せば、ドラマの人物ではない現実の世界で、現在進行形で生きている私たちは自ら意識するしないに関わらず、着ている服で自分自身の人生観や価値観を表現していて、そして自分で気づかないうちに他人に判断されているのです。

 

キャリアファッションは自分の名刺代わり。常に「なりたい自分」をイメージしながら服を選ぶこと。

これはもうビジョンの話です。「なりたい自分」きちんとイメージできるか、イメージが出来ないとファッションも中途半端になるということです。自分が何者であるか、自分でわかっていないから中途半端は服になってしまう。

 

迷ったら服はさておき、まずは10年後に自分がどんな人間になりたいのか、どんな暮らしをしたいのかをイメージしてみましょう。

 

まさにビジョンメイキングと同じです。将来の自分を思い描けるか、ゴールを決めるためには、自分がありたい姿をイキイキと描くことから始める。

ビジョンを描ける女性は多くはありません。それにはあまりに目の前の現実にとらわれすぎていて、先のイメージが浮かばないのです。

 

でも、服装をイメージしてみたら想像しやすくなるのではないでしょうか。10年後もビジネススーツを着ていたいのか、ウェディングドレスを着たいのか、カジュアルウェアでのんびり過ごしたいのか、頭に描いてみれば、それに伴って自分が身を置きたい環境も頭に浮かぶでしょう。そして、思い描いたら、それが実現するように、もちろん行動を起こしてください。

 

バブル時代に流行した田中康夫の小説「なんとなくクリスタル」は、主人公の女性が30代になってもモデルの仕事を続けていたい、そして、「三十代になった時、シャネルのスーツが似合う雰囲気をもった女性になりたい」と表参道を歩きながら考えるシーンで終わっています。

令和の時代の10年後、皆さんは何をしていたいか、そしてどんな服が似合う女性になっていたいですか。

 

参考:「ドラマスタイリストという仕事」西ゆり子著  光文社

(YK)

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女の話が長いと日本が変わる!

2021年3月2日

お雛様2021「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」五輪組織委員会の森会長の発言が波紋を呼びました。この発言は、日本がいかに女性に対しての視点が遅れている国であるかを、明らかにしてしまいました。

さて、本当に女の話は長いのでしょうか。長いとすればその理由はなんでしょうか。

 

私は、女性の話は長い、女性はよくしゃべる、とプライベートでも仕事の場でも実感として感じています。もちろん、私自身も(笑)そしてこれまでも「気を付けるべきこと」として皆さんにもお伝えしてきました。

例えば、研修やセミナーを行った場合、女性は、とにかくディスカッションの時間を設けないと満足度が上がりません。自分が話す機会がないと満足しません。一方、男性はインプットが多くないと満足しません。女性は、自分が感じたことや考えていることを共有することで、自分の考えをまとめたりアイデアを得ることが出来るようです。雑談を多くすることで、関係性も良くなるし、発見も得られると考える傾向が女性の多くにみられます。

 

では、会社の会議で発言や発言することが苦手な人が多いのはなぜでしょう。それは、いつも少数派だからです。女性に限らず、誰であっても少数派になれば発言は控えるし、どういうカテゴリーであれ、多数派がいれば少数派は遠慮します。

「女性がたくさん入っている理事会」だから女性はたくさん発言が出来たのです。

 

「クリティカルマス」という言葉を紹介します。

ある組織において少数派が一定の数に達した結果、その人達がもはや少数派であるが故の居心地の悪さを感じなくなること。

少数派であると「女性だから」というステレオタイプに自分自身をあてはめて「女性だからリーダーシップがないと思われたらどうしよう」だとか「女性だから控え目にしておこう」などというバイアスに自分自身が囚われて、本来の能力を発揮できなくなるそうです。

だから人数が増えることが大切。

 

企業の風土にもよりますが、これまでの日本の組織の特徴として、個人ではなく組織の一体感が重視されます。データや事実よりも人間関係が重視され、先輩後輩という意識も日本に特有です。

日本の多数決は多数決ではないと言われています。本当はNOであっても、身内意識で誰か声の大きい人がいるとその人に同調してしまい、物事はいつの間にか決定する傾向があるのです。

男性はそのことを心得ていて自分の損得を考えて空気を読みます。つまり「わきまえる」のです。

残念ながらそこに参加して来なかった女性の多くは、そのことに気づいていないので、多数派になると堂々と「わきまえない」ようになるのです。

 

以前、フランスの会社に勤めていたころのこと。フランスで行われた一日中、時間ごとに様々なセッションがある会議で、時間が大幅に過ぎてもディスカッションが終わらなかったことがありました。

次のスピーカーが会場に来て待っているのに、終わらない。日本人の私はひやひやしてしまいました。すると次のスピーカーが「いいディスカッションしているのだから気にしないで続けてください」と言って帰ってしまいました。

誰も言いたいことがあるうちは、他人のことや時間などわきまえる気配がありません。

私は同行した上司に「こんな進行でいいんですか」と尋ねると、思う存分話して、皆でいい結論に達することが大切だから、それでいいのだというのです。

考えれば皆が発言するのは民主主義の原則であり義務です。

 

女性の意見は女性だけではなく、皆にとって価値があります。だって世界の人間の半分は女性なのですから。

女性に限らず、ダイバーシティ社会を目指すのであれば、誰もがバリアを超えて納得するまで話をする環境は必須です。

これを機に「わきまえない女」が増えて、会議の場で女性が発言するようになると停滞している日本が上向きになっていくような気がします。

案外、喜んでいるのは「わきまえる」ことを求められてきた男性かも知れません。

 

誰もが自分の意見が重い責任を持つことを意識して、発言力を磨いていきましょう。

 

参考図書:

「ステレオタイプの科学」クロード・スティール著 英治出版

「タテ社会と現代日本」中根千枝著 講談社現代新書

(YK)

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上司の信条

2021年1月31日

ボス猫以前の会社の部下からラインがありました。

彼女は今は別の会社に転職しています。その会社で社長から表彰をされたそうなのです。「川邊さんのご指導のおかげです」と報告してくれました。

彼女と働いたのはもう10年も前のこと、私の指導などではなく、彼女自身が頑張った成果だと思うのですが、報告してくれることはとても嬉しい。

転職の多い私ですが、どこの会社でも部下には恵まれ今も付き合いが続いています。

 

 

ところで、私はこの「部下」という表現はあまり好きではありません。部下とか後輩とか、普通の会話に上下関係を表す言葉を使うのは日本に独特です。

例えば、外国人の本社の人と仕事の話をしている時など「マリーがね、、」と話し始めるから「マリーって誰?」と聞くと「私のチームで庶務をやってくれている人よ」というように、仕事の役割で返ってきます。日本人なら「私の部下がね」と言うところでしょう。

日本人は入社、つまり組織に属するという感覚であるのに対し、外国人は就職、契約を結んで仕事をする、という感覚なので、小さなレベルでの順列はこだわりません。

コロナ禍でリモートワークを導入する企業も増え、またジョブ型雇用も一般的になるとこの、上司だとか先輩だとか順列にこだわることが希薄になっていくのではないでしょうか。よりフラットになって、仕事以外の気遣いや付き合いが不要になる、女性には働きやすい職場になることが期待できます。

 

とはいえ、この「部下を持つ」という経験が人を成長させてくれるのは事実です。

例えば子供を持つと親が成長するように、誰かに責任を持つという経験は人には貴重であると感じます。

背中を見せる。振り向くとついてくる人がいる。

 

優柔不断な私はダメ上司で(謙遜ではなく本当にそうなのです)、部下にフォローしてもらうことばかりでした。が、3つだけ決めていることがありました。

一つ目は、楽しく働ける職場であること。二つ目は、部下の長期のキャリアを考えて仕事を任せること、三つ目は部下を外から守ること、でした。私の上司としての信条です。

 

が、立派な心情を持っていても、組織にいれば、敵もいるし問題もある、自分自身が未熟でどうにもならない状況に追いやられることもあります。結果、部下を守り切れないこともあります。こちらが期待をかけていても、部下に分かってもらえないことも、裏切られることももちろん、あります。部下は上司のものではないのですから。

信条を貫くのは難しい。後悔も多い。

 

しかし、当事者であるうちには気づきませんでしたが、この信条に沿って経験した失敗や成功が、私を成長させてくれた一番の財産になっていることを感じています。

 

だから、昔の部下たちが利害関係がなくなった今も付き合ってくれているということは、私にとっては何よりの喜びです。「顔も見たくない」と言われないだけでもありがたい(笑)

それが私の過去の仕事の結果だと密に思っています。本当の評価をくれるのは、上司ではなく部下かも知れません。

 

もし管理職になるチャンスがあれば、是非、受けることをおススメする理由です。

(YK)

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サンタクロースは名乗らない

2020年12月3日

クリスマスプレゼントもうすぐクリスマス。大人はとっくにプレゼントを楽しみにする気もちを失っているかも知れないけれど、子供や愛する人たちに贈るプレゼントに頭を悩ましているかもしれません。

 

さて、何故、クリスマスプレゼントは直接渡されず、サンタクロースがくれるものだと子供に信じさせる習慣があるのでしょう。

 

サンタクロースが親であることが分かるとサンタクロースの役目は終わります。

その理由はを哲学者の近内裕太氏は、「プレゼントを純粋な贈与にしておくため」だと解説しています。

誰がくれているのかが分かると、贈り物には恩義や負担が発生してしまいます。名乗らないから、子供は純粋に安心して受け取ることが出来る。

 

一方、名乗らないことで親は「いつか気づいてくれるといいなあ」という願いを持ちます。そして子供が親のしてくれたことに将来気づいたときに、その願いは叶います。子供への想いは時間をかけて成就します。

感じとる心、感謝の気持ちを持つ大人に育つことこそ、親に対する最高のリターンになるというわけです。

親からの贈り物は有形無形です。クリスマスプレゼントだけではなく、子供はあまりに多くのことやものを与えられますが、いちいち気づいていたら重たくなります。でも自分が大人になったときに、気づくことで報いることが出来るのです。

 

さて、話は変ります。先日、私は福島県へ出張しました。そして、すっかり忘れていたことを思い出しました。

私の人生初の出張は福島でした。新入社員1年目の22才のとき、関連工場の経理担当だった私は、上司にあれこれ指示を受けて不安な思いで一人福島へ向かいました。そして工場長に拙い質問をして工場を見学をし、喜多方ラーメンを接待してもらったこと、すっかり私の記憶からは消えていました。ろくな成果はなかった気がしますが、工場長のことや上司が私の報告を楽しそうに聴いてくれたこと、を今回、思い出したのです。

新卒の入社間もない、経理部にいてもバランスシートもろくに読めない私をよく上司は、出張させたものです。つまりトレーニングだったのでしょう。

 

しかし、私は、海外志向でバリバリ英語で仕事をしたいと思っていたので、当然、その上司に感謝などしていませんでした。むしろ、保守的な彼はチャンスをくれなかった、だから退職したのだと、セミナーの自己紹介でも語っていました。

しかし、実はチャンスはもらっていたのかも知れない!掴まなかったのは私かも、、、今になっての発見です。

 

上司は保守的で私を理解してくれていなかったと思い込んでいたのは私側のストーリー。ながーい目で見て、実は期待されていたのかも・・・と30年以上もたって気づいたのでした。遅すぎますね(笑)

会社にもサンタクロースはいたのです。

 

先月も各地で、またリモートで多くの異なる世代の女性とお会いしました。人生で大切なものは、価値観は?と尋ねると、若い世代ほど「家庭」が上位に上がります。特にコロナが始まると、その傾向は強くなりました。価値観は今、満足していないことに対して、逆に重要度が上がる傾向があります。

20代から30代は仕事と家庭と目の前のことに懸命に追われる世代でしょう。出産や育児といったライフイベントも集中しているし、仕事も一番忙しい世代、そしてまだまだ指示を受ける立場で自分でコントロールがしにくいポジションにある、家庭に思うように集中できないことにジレンマを感じる、だからこそ「家庭」が一番大切と考えたい。当然です。

 

ビジョンなんて考えている暇もないし、とにかく普通に楽に過ごしたいと思うこともあるでしょう。

しかし今、もう手いっぱいに抱えている仕事や、苦労や大変さは実は贈り物なのかも知れません。当事者であるうちは、なかなか気づけません。

私も気づいていませんでした。が、こじつけではなく、新人の時の福島の出張は忘れてはいたけれど、あの頃の経験が今の自分の血となり肉となっていることは確かです。

介護も親がくれたプレゼントだったと過ぎてしまった今、受け取っています。

 

だから、感謝は今しなくても、それから不平も不満も言ってもいいので、目の前に与えられことは、一生懸命やる価値はあるのではないでしょうか。

間違えないでください。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という意味ではありませんよ。

今、大変だと思うことや興味のないことが将来、自分にとって価値あることに変わるかも知れないということです。なぜなら自分の価値観が将来変わるということを一番知らないのは、今の自分だからです。

先にチャンスと気づけたらさらに儲けもの。職場のサンタクロースも名乗りません。でも、これは贈り物かも?とちょっと意識して見てみませんか。

 

参考:「世界は贈与でできている」近内悠太著 NEWSPICKS

(YK)

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