年齢は数ではない
2023年3月17日
第95回アカデミー賞で中国系マレーシア人のミッシェル・ヨーが60歳で初のアジア系主演女優賞受賞を受賞しました。
ちょうど私は誕生日に彼女の受賞インタビューをTVで観ていて「もう誰にも、『あなたは全盛期を過ぎている』なんて言わせないで!」と女性たちにエールを贈る彼女の言葉にはっとしました。
確かに、女性はいつでも誰でも、周囲が持つ年齢のバイアスに悩まされているのかも知れません。
そして、周囲以上に多くの女性が自分自身でそのバイアスに囚われているかも知れません。
私自身もかつては大勢の友人にお誕生日を祝ってもらうのが嬉しかったのに、最近はひっそりと過ごしたいと思うようになっています。
それは、やはり年齢のバイアスに私自身が囚われているからでしょう。
「バイアス」という言葉が良く知られ、今では多くの組織が多様性を実現するために「バイアスを外す」ことに取り組んでいますが
一番の根強いバイアスは「年齢」ではないでしょうか。
昔から女性の年齢についてはいろいろなたとえが挙げられてきました。
「鬼も十八番茶も出花」(どんな容姿でも女盛りは美しい)
「売れ残りのクリスマスケーキ」(25歳を過ぎたら結婚適齢期は過ぎている)
さすがに今では、こんな言葉は耳にすることはなくなりましたが、それでも心の中でどこかで年齢についての思い込みやコンプレックスは、社会の中にあるように感じます。
女性は出産してもしなくても、それが可能な時期というものがあるので、どこかに意識せざるを得ないというのも事実です。
年齢が重なるということは経験が増え人間性も深みを増すと言われていても、容姿の変化も確実に起こるわけでそれについても対処の仕様がない。
私たちは果物で皮に皺がより茶色く変色しているリンゴを避けるように、本能で新鮮なもの、若いものに近寄りたいと思います。美しいと感じます。
皺は経験の証拠、白髪も美しい、と言われても中身を知らず外見だけでお付き合いしているうちはなかなか難しい。
開花した花を買って散り際まで飾る欧米人に対して、日本人はつぼみが好きだと言います。
つまり、年齢プラス外見へのバイアスがまた邪魔をします。
最近では化粧品も発達し、SNSへの写真も加工技術が進歩して美しくアップできますが、それもやりすぎると痛々しいと言われ・・・
男性は若い頃に頼りなかった男性が年齢を経て貫禄のある紳士に見えることもあるのに、フェアではありません。
さらに、人の能力や可能性にも年齢は無縁ではありません。
ミッシェル・ヨーが言うように、きっと映画界でも経験豊かな俳優の可能性を探るより新たな人材に注目が行くのでしょう。特に女性に対してはそうなのでしょう。
ビジネスにおいてもその傾向はあります。
中高年の転職活動や、また、私のようなコーチや講師という仕事であっても年齢で判断されることもあります。
若すぎると未熟だと言われ、上すぎると敬遠される。
若すぎるのは別として、年齢があがって避けられるのは「最近の情報をもっているのだろうか」「経験があっても今の時代には通用しないのではないか」「世代の異なる人の気持ちが分かるのだろうか」という懸念を抱かれるからでしょう。
特に今は、経験よりも新技術、頭が柔軟なのも若い人だと思われます。
これは、女性にかかわらず男性も同じではないでしょうか。
ではどうしたらよいのでしょう。
プロフェッショナルであるためのアップデートに尽きると思います。
誕生日が来る度に「年齢はただのナンバーだから」と友人が言いますが(慰める?)私はただの数ではないと思います。
経験の深さにしていきたい。
知識の重さにしていきたい。
そうするために、ただ経験しただけではなく、経験したことを自分自身で総括し咀嚼し、自分なりの答えを持つことではないかと考えています。
そして年代の異なる人に共感する感受性を持ち続けること。
そのうえで新しいことをインプットしてこそ年の数に違いが出る。
先日の日経新聞にミドル層の中年女性の転職が増えて女性の年収が上昇しているという記事がありました。
私も7回転職して毎回年収は上がりましたが、それ以上にネットワークと経験が増えたことに価値を感じています。
転職を勧めるわけではないけれど、臆せずチャレンジして欲しい。
最近、仕事のアイデアなどに行き詰まりぼんやりと考えながら眠ると、朝、目覚めたときに「はっ」と答えが出ることが良くあります。
以前に読んだ本の中のフレーズや過去の体験を、押し入れの中から取り出したような感覚です。
あの時の読書、あの時の体験を寝かしておいた結果かも知れない、無駄ではなかったなあと感謝しています。
今日の積み重ねが明日を創ると信じて、自分にチャレンジしていきましょう。
(YK)
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