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Columnコラム

年齢の話とダイバーシティ

2019年4月24日

結果自然成「私、いくつに見えますか」たまたま、最近、初対面の男性にこの同じ質問を続けてされました。さて、困りました。60代に見えるけれど、きっと年齢より若いということを言って欲しいのだから、もう少し下に言おうかしら。答に屈してしまいます。

結局、見える年齢よりさらに若い年齢を答え、つまり相手の意図にはまることになり「わー、お若いですね!」ということで盛り上がり尋ねた本人自身だけが満足です。

他人に忖度を強いて相手を当惑させる質問、いかがなものでしょうか。

 

またよく起こるケースで、出身大学が一緒であったことが判明すると、どちらが先輩か後輩かを明らかにしたがる人がいます。であれば「私は○○年卒業です」と言っていただければ、素直にこちらも「では私は●●年です」と言えるのですが、「僕が後輩かな・・・」と言われるとかなり微妙な気持ちになります。

誰でも自分は若いと思っているので、白髪頭だったり髪が薄くなった男性に後輩です、と言われるとそうだろうなあ、と思いつつ寂しい気持ちになるのは私だけでしょうか(笑)

また「●●と同じくらいかな」とかなり私より年上の女優さんの名前を言われて落ち込んだことも・・・・(笑)

 

そもそも、何故日本人は年齢の話をするのでしょう。外国人はめったに相手の年齢を聞くことはありません。というのも聞く必要がないからではないでしょうか。

最初の自己紹介で、25才と言われても55才と言われても楽しく話をするのに必要がない気がします。むしろ、若い人に向かって年齢を尋ねたとしたら、若さを馬鹿にしていると傷つくかも知れません。

 

いえいえ、日本人は年上や先輩を敬うことを大切にしているので、年齢や役職が気になるのだ、という説もあります。

では年下だと思ったら後輩だったら、言葉遣いや態度が変わってもいいのでしょうか。

 

最近、こういう経験もありました。私の職業をビジネスコーチと名乗ると「へえ、どんな分野でやっているの?」といきなりの質問。フレンドリーに話したいというアプローチは理解出来たのですが、他人に物を尋ねる言葉遣いを知らないことに驚きました。ちなみに相手は、私より20才は年下の女性です。心の中にいきなり土足で踏み込まれたと感じさせない言葉遣いやマナーはいつの時代もどこの国の言葉でも必要です。

 

一方、ひるむこともなく、媚びることもなく、自分の考えを堂々と述べて、こちらの話にも耳を傾ける20代の人がたくさんいることにも驚いています。そうした若者は、自分の頭で考え、自分の言葉で伝えさらに成長しようとしているから、相手の話にも耳を傾けることが出来るのでしょう。清々しい気持ちになります。

 

「ダイバーシティ」や「インクルージョン」という言葉が盛んに取り上げられた平成は、個を大切にする、違いを尊重することに気づいた時代でした。

令和は、まさに名前のとおり、個が調和していく時代になることを大いに期待しています。

 

だからこそ、様々な「個」が融合するために言葉や態度は大切なルールです。

そして、日本人は、年齢や肩書を離れて自分を語ること、相手を尊重するための会話のセンスを年代問わずもっともっと磨いていく必要があると感じています。

(YK)

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心を見せる、心の作法

2019年4月7日

同期毎年4月になると、新入社員研修でたくさんの新人にお会いします。私にもそんな時代があったと懐かしくなります。

そして、なんとこの春は、航空会社時代の同期2人と仕事をすることに!

香港の航空会社に入社するために、家族や友達と名残を惜しんで涙ながらに成田から出発した私たちが、新入社員を一緒に指導する日がくるとは思いもよりませんでした。

そして同期だから楽しく息もぴったり!

 

私たちの同期は、日本人9名のほか、韓国人、シンガポール人、香港人と20名足らずで、訓練は全て英語のみで行われました。最初に聞かされたルールが「Speak English only!」(英語だけで話しなさい)

半数が日本人を占めていましたが日本人同士でも日本語はだめ。その理由は、「他の人が分からない言葉で話すのは失礼だから」ということでした。

 

異国での生活やトレーニングは厳しいものですが、一番、守るのが難しかったのがこのルール。でもすぐに慣れて、日本人同士でも日本語が分からない人がいることに気づけばすぐに英語にスイッチ出来るようになりました。

そして、この習慣は今もに身についています。その場に居合わせた人が不快な思いをしない、仲間外れにしない、考えてみればこれは「おもてなし」の基本。ダイバーシティの基本。そして「いじめ」の起きないためのベースになる考え方。とても大切なことを教わったと思います。

 

日本人ばかりの社会では分かりにくいことが、言葉が通じない、文化が違う、自分がマイノリティであることを経験出来たことで、この配慮は身に着きました。

言葉だけではなく宗教も習慣も違う。イスラム教徒のクラスメイトは社員食堂で口にすることが出来ない物がありましたし、機内訓練で教わったスペシャルミール(特別食)の種類の多さにも驚きました。

イスラム教徒用、ヒンズー教徒用、菜食主義者用、牛肉なし、豚肉なし、卵なし、ユダヤ教徒用、糖質制限食、などなどあらゆる宗教や体質や嗜好に合わせた食事の数々を覚えなければならず、そこからまた宗教や習慣の違いに気づいたものです。おかげで、一緒に食事をする人が、食べられるものがあるかどうかレストラン選びでも考えるようになりました。

 

日本ではまだまだ、日本人が「常識」と考えることで成り立っているところも多いでしょう。自分とは異なっても上の人の行動や嗜好には黙って従う。空気を読むのは、人間関係を円滑に進める上ではとっても大切なことなのですが、そればかりがマナーと考えてしまっては危険です。

どこの組織においても、もはや日本人だけでは回らなくなっている時代。そして日本人もそれぞれの価値観が異なり、尊重することが大切だと気付くようになった時代では、マナーというのは、心の作法ではないでしょうか。

名刺交換やお辞儀の角度はプロフェッショナルとして「心」を見せるマナー。さらに、もっともっと一人一人の価値観の違いに配慮する心の作法も身に付けましょう。

明日からも、一味違う新入社員研修を目指して頑張ります。

(YK)

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