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Columnコラム

丁寧な説明より傾聴したい

2023年2月17日

雪の出張

子供の頃、校長先生やおじいちゃんおばあちゃんの話が長くてうんざりした経験はありませんか。大人になったら「ああはなりたくない」と思ったものです。

しかし最近、気が付くと年下の人に対して、長々蘊蓄を垂れていたり、自分の経験を得意そうに語っていたりすることに気づいて、はっとします。危険な予兆です。

特に私はコーチングや研修で他人の話を引き出すことを仕事としていますから、その私が話してばかりでは、まさにお話になりません。

 

さて、皆さんは1対1で誰かと話すとき、あなたは会話の何パーセントくらいを話し手に回っていますか。あなたの方が長く話していますか。それとも聴き手に回る時間のほうが長いでしょうか。

そもそも人は自分の話をするのが好きです。多くの人間は、他人の話を聴くよりも自分が話すことに興味があるそうです。

 

実際、今年は年頭から全く異なる業界での仕事が続いているのですが、どの業界や仕事にあっても根本的な課題は「傾聴」にあると感じています。

例えば、いわゆる知識人やスペシャリストと言われる何かの権威とみなされている人は、正当な答えや相手を納得させる回答を期待されていると思いこんでいるのか、一方的に延々と自説を説いてしまいがちです。

量販店の販売員は、商品のスペックや特徴を伝える商品説明に夢中になり、肝心のお客様のニーズを聞き出せず、お客様を逃していることに気づいていません。

ラグジュアリーカーの販売員となると、商品の素晴らしさの説明に時間がかかりすぎて、お客様を主役にする会話が二の次になります。

誰もが悪気ではなく、相手への関心より伝えたい一心で、対話ではなく一方的な「説明」をしている人が多いことに気づきました。

 

昨年の流行語大賞にもノミネートされていた「丁寧な説明」。毎日のように耳にします。

「丁寧な説明」は決まっている指示や事項を分かりやすく教えてくれるという意味では適切ですが、人を納得させるためには説明では不十分なのではないでしょうか。

 

忙しい時代、コミュニケーションの時間もエンドレスではありません。

自分が話す時間が長くなればなるほど、相手の話す時間は短くなります。相手の時間を自分が長く話すことで盗んでいることになります。また、自分のほうが長く話すと、相手から得る情報は少なくなります。

同じ時間の対話であれば、自分の話をして自己満足で終わるよりは、相手から何かを得たほうが有意義な対話になるのではないでしょうか。

それがビジネスの取引相手の場合、相手から情報を多く得れば得るほど、長々と説明しなくても相手の気持ちに沿った提案ができるでしょう。

そして何より、自分の話を聴いてくれる人を人は好ましく感じます。好きになってくれるようです。

 

「答えは相手が持っている」

この考え方はコーチングの基本です。

どのような職業でも立場でも成功している人は、相手の話に耳を傾け相手から情報を引き出すスキルを持つ聴き上手です。

自分の情報を出すことをぐっとこらえて、まずは相手の話を聴いてみる。

「今日は聴くぞ!」と気合を入れて相手に集中すると、結構聴けるものです。

是非、説明より傾聴、試してみてください。(YK)

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仕事を苦役をにしないために

2023年1月16日

2023クリスマスお花

全国でよく知られている団体に生鮮食品の宅配を定期的に頼んでいます。

昨年の夏、最初は感じが良かった配達担当者が段々と応対が悪くなり挨拶もしなくなってやめてしまいました。おそらく仕事が辛かったのだろうと想像していました。

担当者が代わったときに、また前任者のような応対をされると毎回不愉快になるので、彼のやる気を育てるために「承認しよう」と私は密かに決めました。

 

承認とは相手をほめたり認めたりすることです。

「存在承認」と「行為承認」の2つがあり、「〇〇さん、こんにちは」と名前で呼んだり、目を合わせて話したりすることで相手の存在を認めるのが「存在承認」

「寒い中ありがとう」「今日は忙しかったの?」「重いのに大変ね」と相手の行為に前向きな反応を示すのが「行為承認」です。

こうした毎回ほんの数十秒の会話で承認を続けて、彼とは笑顔でおしゃべりするようになりました。

それなのに、昨年最後の配達日に「来週で僕、最後になります」と告げられました。

「僕の外に4人もやめるんですよ、それだけでわかるでしょう?」との言葉に、私の小さな承認だけでは彼の仕事の満足度は解消しなかった(あたり前ですが)とがっかりしました。

待っている人がいることが分かれば「自分の仕事は意義がある」と感じて頑張ってくれるのでは、と実は私の小さな実験でした。

 

「パーパス」という言葉を最近よく耳にします。

企業であれば「企業が存在する理由や目的」「存在意義」に当たります。

個人については「愛していること」「得意なこと」「世界が必要としていること」「お金を得られること」の4つの要素が重なる部分がパーパスになるのだそうです。

 

自分がパーツにすぎないと感じてしまう、誰でもできる仕事だし意義があるのかもわからない、と感じた経験は誰にでもあるでしょう。

私自身もCAとして働いていた時代「コーヒーですか?紅茶ですか?」と毎日毎日、重たいポットを抱えて腰痛に悩まされながら何の意味があるのだろうとむなしく感じていた日々もありました。そんな時にお客様に「君が担当で良かったよ」などと言われるとやる気がいっきに上昇したものです。

 

お客様と直接接点のある仕事は比較的、具体的に感謝されたり褒められたりすることがあるので、自分でモチベーションを上げやすいのですが、それでも仕事自体がきつかったり忙しすぎたりする場合には上司からの評価やいたわりがなければ続きません。

さらに他人からの直接的な評価がもらいにくい仕事では、自分の仕事の意義は確認しにくいでしょう。

あなたの部下が「自分の仕事には意味がない」と思っているとすれば、それは承認が足りていない証拠です。環境や本人の問題だけではありません。

そして驚くことに経営層や部長職のような立場になっても心から自分の仕事に意欲をもっている人は4分の1程度だそうで一般職と変わらないそうです。

また、金銭的インセンティブは量やスピードを上げるためには役にたっても、心の内なる火を燃やし仕事の質を高めることにはつながりにくいそうです。

 

仕事はつらいもの、お金を得るための手段だから仕方がない、人生の目的はそれ以外にある、と思っている方はいるでしょう。

お正月の休暇後、あー仕事に行きたくない、と感じた方は多いでしょう。

一方、同時に仕事がしたくてたまらなくなる休み明けもあります。

なぜなら、自分の存在価値は「仕事を通して得られる」ことが多いですし自己実現の手段でもあるからです。さらに、感謝されて役にたっていると感じるとき、誰もが仕事の苦労が報われると感じます。

仕事が苦役であるかどうかは本人の心の持ちようもあるけれど、他人の反応が左右するのです。

 

「あなたは私にとって必要な人なのだ」ということを示すことは人間だからこそできる行為ではないでしょうか。

仕事をする仲間や部下にはもちろん上司にも、仕事を通して自分に何かをしてくれる人に感謝や好意を示す承認で前向きに良い関係が築けるなら、大いに活用したいものです。

 

くだんの宅配担当者の最終日に次の仕事について尋ねると「有休が一か月も残っているので探します」とのこと。

早すぎるバレンタインの小さなチョコレートを渡しました。自分の存在は無意味ではない、と思って次の仕事も頑張ってくれることを願っています。

 

ねぎらいや感謝の表現は、お金もかからず誰にでも出来ます。誰もが「ここにいて良かった」「私は誰かの役にたっている」と思える世の中にしたいと思います。

それが「オモテナシズム」のある社会だと今年も信じて頑張ります。(YK)

 

参考図書:「ハート・オブ・ビジネス」 ユベール・ジョリー著 英治出版

 

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日本人の影響力

2022年12月13日

20221117_152847日本人の評価が上がっています。

サッカーのワールドカップのお掃除が有名になって他の国へも影響を与えていることは話題になりました。ウィルスの感染は好ましくないけれど、こうした良い習慣も伝染するとしたらとても良いことです。

 

そして、先日、所用で香港へ行ったときのこと。

銀行でカウンター内の行員女性たちがひそひそと「日本人よね」と広東語でささやいています。「日本人だけど何か?」と尋ねると私たち来月日本へ行くのよ、と嬉しそうです。

ヌードルショップに入ると、店員の女性が私に対して満面の笑みで接客、私に接客するのが嬉しそうなのはなぜかと思っていると最後に「ありがとうございました」と待っていたかのように日本語で見送ってくれました。

 

こうした経験を香港領事館関係の方に話すと、ここ急速に日本人の評価が高まっているとのこと。香港の人口の半数近い人たちが毎年日本へ旅行に行くようになり、しかもリピーターが増えて日本への理解と共感度が増しているとのことです。かつては愛想のなかった香港人が、私が日本人であるというだけで満面の笑みで接客してくれるとしたらそれは素敵な伝染です。

現地の知人たちも口々に「入国制限が解けて日本へ行くのをほんとに心待ちにしているのよ」と熱意をもって語ります。

そして彼らの動機は決して円安によるものだけではなく、美しい景色、美味しい食事、心地良いサービスです。

 

私が住んでいた20年以上前も日本人の評価は悪くはありませんでしたが、それは日本や日本人を直接知っている人のことであって、中には戦争時代のイメージを上の世代から植え付けられている人たちや、特に理由もなく日本人嫌いも同僚の中にはいました。日本人であるというだけでハラスメントを受けた経験もあります。また、かつては豊かな日本人は絶好の商売相手ですから片言の日本語を話す人も多くいました。

日本人の私はというと、強い経済力と技術力を持つ日本出身であることが誇りであった気がします。

 

今、香港名物のヴィクトリアハーバーのイルミネーションは、かつてはソニー、日立、セイコーと日本企業が一等地を占めていたのに、今ではほとんど韓国や中国の企業に代わってしまいました。

また、片言の日本語で話しかけられることは少なくなりました。もはや日本人はお土産や偽物の時計を買ってくれる人ではなくなったので、日本語を話すモチベーションもなくなったのでしょう。

一方、円安は続き、香港でもこれまでにない貧しい気持ちにさせられました。安くておいしかった飲茶は高価なランチになってしまいました。

 

また多様な人々への対応力は、アジアの国々の中では日本は後進国と海外へ出るたびに感じます。例えば香港ではIDカードの申請のような役所は20時まで開いています。様々な立場や職業の人に対応する体制が整っています。困難を経験している香港ではあるけれど、コロナを含めそれを克服して進化する様子を見ると、日本にいて香港の行く末を心配している場合ではないと感じます。

 

時代や立場は変わり、多くの外国人が実際に来日し良い体験をして、そして日本を好きになり、彼らの行動に良い影響を与えたとしたらそれは、世界に対する素晴らしい歓迎すべき影響力ではないでしょうか。

インバウンド=金儲け、というかつてアジアの人たちが日本人を見ていた図式を私たちが取るのではなく、日本の持つ素晴らしいソフトスキルを広めること、心地よい社会を作るリーダーシップを執ることは2023年の日本の目標として意義があり、そしてビジネスチャンスと捉えるとわくわくしませんか。(YK)

 

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年末にお茶を入れて考えたいこと

2022年11月4日

The Earned life平均寿命が延び、そして長く働き続けなくてはならない時代、今年は人生後半にさしかかった方たちのキャリアチェンジの課題を感じることが多い一年でした。

 

そんな折、コーチングの神様マーシャル・ゴールドスミス博士の新刊「The Earned Life」と村上龍の短編集「55歳からのハローライフ」をほぼ同時に読みました。

 

コーチングの本と小説ですが、どちらも人生後半の生き方についてメッセージは同じ、さすが大作家の考えることはどのようなスタイルをとっても人に訴えます。

若い頃はドラッグや高級ワインを背景にした小説書いていた村上龍が、離婚や定年、ホームレスをテーマにしていることに、誰もが年齢を経て変わることを感じます。

 

そしてマーシャル・ゴールドスミス博士も人は過去と同じではない変わり続けていく過程こそ人生であることを指摘します。

マーシャル博士の顧客たちは世界のトップ経営者たちですが、引退してからもその過去の成功にしがみついている人もいれば、取返しのつかない過去の失敗や過ちを悔い続けている人もいるといいます。そして、いずれもそれは、過去のことで「今」の自分は全く別人であるということに気づいていないといいます。

 

確かに、過去に部下であった人たちが今では私よりずっと成長していて、教わることがあります。教えるのはもはや私の役割ではない、と気づいてハッとすることがあります。

また、過去に壊してしまった人間関係も今の自分がやったことではない、過去の自分と相手との間に起きたことです。

こだわり続けるのは意味のないことでしょう。

 

マーシャル博士は、常に新しい自分自身になる努力をしていくこと、その過程こそ人生だと言います。

幸せな人生とは、プロセスであって結果ではない、つかみ取っていく過程にこそ幸せがあると言い、彼は3つのAを上げます。

 

Aspiration     理想とする人生の在り方

Achievment    短期の期限を決めて自分が成し遂げたいこと

Action   日々の行動

この3つのAがシンクロさせることが大切。

 

最初のA、Aspirationは達成できなくていい、日々それに向かって進んでいるという実感こそが「幸せ」であり、幸せな人なのだとマーシャル博士は言います。

 

「55歳からのハローライフ」の主人公たちもまさにそれに気づきます。夫への不満も妻の無理解も自分の側から見た世界であって、自分が主体性を持たなければ幸せにはなれない。大きなことである必要もない。自分自身がやりたいことを持とうとすることで、未来が開けていきます。

組織を卒業するのであれば、なおさら人に頼るのではない自分自身の夢を準備したいものです。

 

村上龍の主人公は、それぞれお気に入りの飲み物を自分で作って一息つきます。

マーシャル博士も深呼吸を進めます。

一息つくと新しい自分が生まれる。

 

あなたの3つのA、お気に入りの飲み物を片手に年末に向けて考えてみてはいかがでしょうか(YK)

 

参考図書:

「55歳からのハローライフ」村上龍著 幻冬舎文庫

「Lose Regret, Choose Fulfilment THE EARNED LIFE」Marshall Goldsmith著

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グローバルに通用するマナーのおさらい

2022年10月5日

機内

コロナ禍ですっかり遠くなった海外。そしてインバウンド客もめっきり見かけなくなりました。が、いよいよ各国、そして日本もまた閉ざしていたドアを開けました。
日本人の国際化は進み、海外へ旅行することはそれほど特別なことではなくなり、むしろ海外離れともいわれるこの頃ですが、外国人と接する機会は増える一方です。

 

そこで知っておきたいのが服装のマナー。長い間、海外のファッション業界にいましたが、日本人に欠けていると思うところは、TPOの意識です。いやいや、冠婚葬祭のルールは守っているし、国葬でマスクをいっせいにしているのも日本くらいだ、という方もいるでしょう。

そうではなくて、もっと日常の話です。服装はその人となりを表しているという意識、そして場において服装が心を表すという意識です。

私は、服は自分が好きなものを着ればよいと思っています。

が、相手がどう見るか、どう感じるかという視点は持っておいたほうが得だと思うのです。

 

例えば航空会社によっては、席の調整のためアップグレードを行う際、服装を観察して選んでいることをご存知でしょうか。スニーカーを履いていてはファーストクラスにはアップグレードしてくれません。
それは、ファーストクラスという場の雰囲気を壊してしまうからです。もちろんお金を払ってくださるお客様には言えませんが、でもレストランにはドレスコードがありますから当然といえば当然ですね。

 

欧米人は、特にフランス人はある程度の常識がある人なら、その場その場において、服装を変える必要性を知っています。相手や目的だけではなく時間帯の服装というのもあるのです。

かなり以前ですが、シャネルに「5時から7時」というテーマのコレクションがあり、仕事が終わった17時から19時までにドリンクをするときに着る洋服をイメージしている、というのを聞いて感心したものです。

 

確かに、本社から来たフランス人の女性が仕事を終えて夕食の席に移動する際に、靴を履き替えていたことがありました。社長との会食に本来であれば、一度ホテルに戻って着替えたいところを時間がないので、靴だけはハイヒールに履き替えると言うことでした。彼女からは、日本の女性は通勤にミュールを履いているけど、フランス人はつま先の出た靴は昼間、まして職場では履かない、夜はドレッシーな靴に履き替えるのが嗜みだと教わりました。

 

イタリア人同僚は、昼間はTシャツで仕事をしていても、夜の食事の前にはシャワーを浴びてジャケットにポケットチーフで現われたりします。場に応じて着替える。もっとも通勤時間に時間を要す日本ではなかなかできないことですね。

 

また蒸し暑い香港で、きちんとした取引が想定されるビジネスの席で日本人男性がクールビズでノーネクタイであるのに対し、香港人の男性は上下のスーツを着用していたことがありました。暑い香港ですが、ビルの中ではクーラーは利きすぎるくらい利いています。本人に聞いてみると、これも自分自身が大切なビジネスパーソンと会うときのマナーで、服装は崩さないということでした。もちろん誰もがそうとは限りませんが、そうした心構えのある方は信頼できる気がします。

お客様の目より、同僚の目を気にして、目立たないように横並びの服装しているとしたら要注意です。

 

 

日本人は無礼講と言って型を崩すことが好きです。しかし、もともとは、厳しいルールや決まりがあって、相手の目線を意識していたはず。自分の「楽」よりも相手へのメッセージを重要視していたはずです。自分が楽であることと、気楽な人であるというメッセージとはまた別もの。

服装も自分のイメージ戦略ですが、スティーブ・ジョブズのように黒いTシャツを着れば仕事ができる人に見えるわけでもありません。

 

もうひとつ、気になるのはレストランでの御勘定の仕方です。日本人は、接待でもない限り割り勘でその場でお互いキャッシュを出して支払っている場面を見かけます。しかし、海外では、国によって異なる暗黙のルールがあります。例えば中国人は、割り勘は恰好良いものではなく、暗黙のうちに上手に交替で支払いをしているようです。これも日本でもキャッシュレス化が進んで、スマートなやり方は増えていくでしょう。

 

さて、飛行機のアナウンスから「Ladies & Gentlemen」が消えて、機内には紳士淑女はいなくなりました。しかし、なぜか機内でもホテルでも、隣に居合わせた若い女性は自分の部下、というような気持ちになるのか自分を優先して欲しい、また自分はクラブメンバーなのだから自分が先だ、という態度をする人はいまだにいます。

確かにレディファストを求めるのは時代遅れかもしれません。常に他者を大切に扱う仕草はジェントルパーソンとして男性も女性も身に着けておきたいものです。

 

欧米のビルのドアで、後ろを気にしてドアをおさえてくれる人、鉢合わせになったときに「After You(お先にどうそ)」という人に出会うと、なんて気持ちに余裕があるのだろうと感動します。

袖すりあうも他生の縁、相手に会釈をするという余裕こそ「おもてなし」です。

(YK)

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女性は透明人間

2022年7月18日

富士山上空この数年、航空会社のお客様への呼びかけのアナウンスが「Ladies &Gentlemen」が廃止され、各社ジェンダーを区別しない言い回しに代わりました。日本語は元々、「ご搭乗の皆様」または「お客様」で呼びかけていますから、ジェンダーは特に表現に関係ありません。

とはいえ、実は日本語ほど役割で人を呼ぶ国はないのでしょうか。こと家庭内においては顕著であり、ジェンダーと呼び名が結びついています。

 

高齢者に「俺だよ」と言えば息子だと思われるだろう、と言う想定はなんてステレオタイプだと思うのですが、「俺」と名乗る娘はいませんし、それで通じるのが日本語です。

 

例えば、自宅に日中いればかかってくる電話はたいてい勧誘の電話なのですが「奥さんですか」で始まります。そう言われるとあまのじゃくな私は「違います」とだけ答えます。本当に私は「奥さん」ではないし「奥さん」もいないからです。

すると相手は戸惑い「・・・」と短い沈黙があり言葉を探しています。奥さんではない、では誰なのだろう、何と呼びかけたらいいのだろうと思うのでしょう。

たまに「ご主人いらっしゃいますか」ということもあります。女性には用がないのかしらと思いながら「いませんが何か?」と尋ねてみます。すると、これも相手は戸惑います。ある時「では●●について決定権のある方は」と尋ねられたことがありました。

女性は決定権者ではないと思われているのでしょうか。

詐欺だけではなく、セールス電話のマニュアルには、いまだに一般の家庭は昼間家にいるのは奥さんで、決定権を持つのはご主人と言う設定になっているようです。私としては「マニュアル改訂お手伝いしましょうか」と逆営業したくなります(笑)

まあ、いまどき固定電話に出るのは年配者だからなのかも知れません。

 

冗談はさておき、私のようなダイバーシティを扱う仕事をしていると、いちいち気に障ってしまい、とことん言い返したくなるから困ったものです。

 

では企業ではというと、先日、ある取引先企業からプロフィール写真の提出を求められました。私だけではなく他の方にも要請しているのですが「スーツ、ネクタイ着用」と注釈がありました。

女性について記載はありません。担当者に「女性はインナーは何を着れば良いのですか」と思わず問い合わせをしてしまいました。すると、担当者は「確認しますのでお待ちください」と即答がない。

うっかりであって悪気はないのは分かっているけれど、対象となる相手は3割ほどは女性であるだろうに、依頼をする文面に違和感を覚えていないのだろうなあと思いました。

信頼している企業の姿勢が、真のダイバーシティ実現の姿勢はないのだと感じてしまいました。

 

何かの本で「女性は社会において透明人間のように扱われてきた」と書かれていましたが、何気なく悪びれずに存在を無視されると残念です。

 

こうした積み重ねに、女性はもう慣れてしまって特に声をあげるほどのことではないとスルーしている女性は多いでしょうし、気にもしていないことは事実です。

 

私が憤慨していると「そんなこといちいち気にもしていません」と言う女性も多い。女性にも笑われて、私自身、なんだかフェミニストだと思われるのは嫌だなあと、肩身を狭くして口をつぐむこともしばしばあります。

それでも誰かのアイデンティティが無視されている状態では、決して、皆が自信を持って活躍できる場所にはならないはず。

 

相手のアイデンティティを尊重する。少なくともダイバーシティを推進しようとする企業においては、言葉や文章の細部にも気を遣って欲しいものです。

男性女性に限らず相手の感情に配慮する、これからの企業に必要な姿勢ではないでしょうか。

参考図書:「存在しない女たち」 キャロライン・クリアド=ペレス著 河出書房新社

(YK)

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感情表現はおもてなし

2022年4月8日

ビール先日、某百貨店で買い物をすると某ビール会社のキャンペーン中ということで発泡酒を一本くれました。

前回はビールだったので、少しがっかりしながらも「わー嬉しい!」と喜んで受け取ると販売員が「そんなに喜んでくださるならもう一本お持ちください」と2本くれました。

 

「もしかしたら皆さん、重たいからいらないって断れるの?」と尋ねると「そうなんです。こんなに喜んで受け取ってくださる方初めてです」と言われました。

「ああ、私、ビール好きだから」と笑いましたが、ビールに限らず何かもらう時はかなり喜ぶのはもう昔からの習性です。

そしてこの習性で随分、得をしています。

今回もビール2本。そして、喜ぶと「喜んでくれたから」と次の機会にも何かしてもらえる確立はかなり高い。

 

物を狙って喜んでいるわけではありませんが、相手の立場に置き換えた時、やっぱり何かをして「ふーん」とされるよりは喜んでもらったほうが気持ちがいいものです。そして良い人間関係に繋がる可能性は広がります。

 

物の受け渡しだけではなく、プレゼンをしたとき、会議で意見を表明したとき反応があるのとないのとでは、モチベーションの上がり方が変わります。例えば、反対意見を相手が述べたとしても拍手をしていますか。拍手は意見の肯定ではなく、意見を出してくれたことへの感謝を示すためです。

会議の場では、表情もなく怖い顔をしている人の多いこと。表現するのが苦手であれば少なくとも口角はあげて笑顔を作って欲しい。そうすれば、もっと良いアイデアが相手から出るはずです。

もし、あなたがダイバーシティを推進したいと考えているのであれば、なおのこと、少数派の人たちが意見を発信するのにとても大きな勇気を必要としていることに気づいていらっしゃいますか。

拍手や笑顔はためらう気持ちを後押しする効果があります。

 

また、接客や営業の場においても、日本人は表現が上手ではありません。洋服を試着しても「わーお似合いですね!」と言われるとテンションが上がるけれど、沈黙で商品説明しかしない販売員も多い。機会を損失しています。

 

よくも悪くも自分の気持ちを表現をする。

受け取ったボールは自分の気持ちを開示して返す。

それも大切な相手へのおもてなしです。

(YK)

https://omotenacism.com/seminar/2021/1231/2080/

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上司ガチャか「縁」と思うか

2022年1月23日

中華街の変面人

中華街の変面人

最近、親ガチャから発生して、上司ガチャという言葉が最近使われます。平たく言えば、昔からよく言われるように「上司は選べない」

でも上司も「部下は選べない」。どんなに慎重に面接をしたところで、2度3度の面接では「こんなはすでは?」と思うことはしばしば起こります。同僚はさらに選べません。友人関係でも然り。選んだつもりでも所詮他人ですから自分の思うようには心が通じない、と思うことは起こりがちです。

 

仕事柄、色々な方の職歴をお聞きすることがあります。

先日お会いした30代の営業マンは強味を伺うと「新卒で入った会社で上司同僚に恵まれまして、しっかり鍛えられたものですから〇〇には自信があります」とおっしゃいました。「上司同僚に恵まれまして」という発言がなんだかとてもスマートにすがすがしく聴こえました。

恥ずかしながら、私自身、仕事人生で記憶していることは、辛いことや痛い思いばかり。長い会社生活ですから、恵まれたこともあったけれど、感謝の気持ちは忘れがちです。

 

一方、5,6社転職を繰り返していて今また就職活動中だという50代の方。転職をする度に、気の毒なくらい不運な目に会っているというお話を聴きました。上司に問題があったり会社に問題が起こったり、話を聴くこちらも辛くなるほど。転職の度に努力して未来を切り開こうとしているようですが、失礼ながら全ての原因を他責にしています。

最初は「ついていない人もいるものだ」と同情していたのですが、だんだんとお話を聴くうちに自分で同じパターンを選んでいるんだと思えてきました。意図せず、その方は自分を正当化するために「運が悪い」ストーリーを語ってしまっているのです。

 

この広い世界、限られた人生で、私たちが出会える人の数には限りがあり、当たり前のことですが「気の合う」人ばかりに出会うことは出来ません。そしてそれはお互い様です。

だからこそ出会えたということは、確率からするとすごい縁です。いくらたくさん上司が変わったにしても、そうそうの人数にはなりません。出会ったことを縁として感謝するか「運が悪い」と悩むかで、人生のストーリーは変っていくはずです。

 

 

会社員生活を長く過ごしていると、上司先輩の役割が自分にも回って来ます。

「もうあの上司!」と思っていた上司の気持ちが分かるようになる日も来るなんて、思いもしなかったと妙な感慨にひたったり(笑)、自分の元部下が話す部下の愚痴に、自分のことは忘れるんだなあと「くすり」したりするのも、互いの成長の証です

 

「運」と「縁」は神様だけが決めるものではなさそうです。

(YK)

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ご挨拶は年賀状?

2022年1月16日

年賀状「今年限りで年賀状はやめます」というお便りをいただきました。

確かに年々いただく賀状の数は減り、代わりにメールやSNSのご挨拶が増えました。

印刷の気持ちがこもらない賀状なら嬉しくないし、そして送るのも大変なのは事実。

年老いた親族や今さらSNSでも繋がっていない同級生とのやりとりは年賀状にして、最近は特にその年に感謝を伝えたい相手には公私に関わらずクリスマスカードにしています。

 

一方、SNSというと、私は年賀状以上にこのSNS、特にラインの挨拶が好きではありません。

相手の都合の時間で送られてきて、既読スルーは出来ないし、スタンプ返すだけでは失礼だと思い言葉を探していると結構、時間を取られたりして、、、

大晦日や元旦に自分を静かに振り返りたい、家族と楽しく過ごしたい時間に次々と送られてくるライン。返信しているうちにあっという間に時間が過ぎてしまい貴重な時間が残念な気がします。

また、最近流行りの動画の挨拶状。素敵ではあるけれど、それがどんどん拡散されて、色々な人から同じ動画挨拶が来ると、これも興ざめです。

一方インスタやFBはいっせにに挨拶が出来て、あとでコメントに返信できるし、他人のアップにコメント出来るからややハードルは低い。富士山やきれいな風景をいっせにアップしているのはお正月らしくて悪くないと思います。

 

さて、結論、私はあとでゆっくり何度でも読めて、その人らしさが伝わる年賀状を頂くのが好きです。そして、返事が遅れても言い訳が効く年賀状が好きなようです。下手でも宛名と一言は自分の字で書くのが楽しい。

そういう人が多いのか、最近頂く年賀状も印刷が減りつつあるような・・・

 

だから、私からクリスマスカードや年賀状が送られてきても、負担に思わないでくださいね。私の気持ちの伝え方だから。

それぞれのやり方で良い新年が迎えられたらそれで良いですよね!

本年も宜しくお願い申し上げます。

(YK)

 

 

 

 

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政治家の言葉から~多様性を活かすオモテナシズム~

2021年10月24日

神奈川高札場

神奈川宿高札場跡

選挙も近づき政治家の討論会を聞いていて、気になるのは言葉遣いです。野党も与党も課題は山積です。

 

某首相は常套句が耳につきます。就任演説で使われたのは「全員野球」。その後も何回もおっしゃいます。が、少し古い印象を持つのは私だけでしょうか。全員でやるならあなたは何の役回りなのだろう、とつっこみたくなります。

 

毎回の討論会では「私が車座になって話をすると・・」という表現を使われています。辞書を引いてみると「車座」とは円形になって話すこと、と書いてあります。若い世代はあまり使わない言葉ですが、通じるのでしょうか。それに感染対策大丈夫ですか?そして本当にやっていますか、と疑いたくなります。

 

またこの「辞書を引いてみると」という言葉をよく使う人がいますが、これも結婚式の挨拶みたいで本当に自分の伝えたいことがない時にあるパターン。自分自身の思いがこもらないとってつけたような話が始まる時の前置きです。

 

月日の重みを語るときに「オギャーと生まれた子供が小学生になる」という表現を使う人がいます。それはそうなんだけれどセリフのようで、あなたの感覚を聞きたいと思います。

 

常套句は共通認識がなされていれば分かりやすいのですが、時に陳腐になってしまう危険性があり、多様性の時代にあってはニュアンスを分かち合えない場合もあります。

 

また政治家については言葉遣いそのものの課題。

例えば「お示しをさせていただく」。「示します」ではなぜいけないのだろう。せめてお示しします、で留めてもらいたい。

「させていただく」がつくとなんだかこちらが「示してもいいですよ」と言わないと、黙ったまま示さないつもりかなと思ってしまうし、受け身の言葉です。

 

「専門家にご意見を仰いだところでございます」。この「ところ」は現在完了件を示しているのでしょうか。だから文句を言うな、と示唆しているように聞こえてしまいます。

 

また、今朝の討論会で某党首が「首相が申し上げられたように」と発言をしたのにびっくりしてしまいました。天皇陛下と会話しているわけではないんだから「申し上げる」は謙譲語で「首相がおっしゃったように」の間違いです。

 

 

少し辛口ですが、私が気になる言葉をあげました。私だけではなく、引っかかる言葉は、それぞれにあるのではないでしょうか。

本当に大切なことを語るときには、使い古された言葉や表現ではなく、自分の言葉で語りたい。

 

女性が公の場で発言出来ない、という話をよく私はしますが、そもそも女性に限らず、日本の文化はあまり語ることに重きを置かずにいます。不言実行、が評価されるので不必要な会話をしない。結果、ビジョンを語れないリーダーも多いのではないでしょうか。

 

多様な人と生きる時代では、語らなければ共感も合意も得られません。「口は禍のもと」などと言っていられません。「禍のもと」にならないように正しい言葉遣い、そして自分の言葉で話すこと心がけていきましょう。

(YK)

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