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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

愛がすべて

2018年2月17日

Love平昌オリンピックでフィギュアスケートの羽生結弦選手が2大会連続の金メダルを獲得しました。

怪我を克服しての快挙は彼の強い精神力と努力の賜物ですが、一番の源は羽生選手のフィギュアスケートへの愛ではないかと感じました。

自分が愛するフィギュアスケート、それを応援してくれる人々への愛。その愛にこたえるために絶対にあきらめない、ストイックに自分自身の技術を磨くことに専念し、試合では人並みならぬ集中力を出すことが出来るのではないでしょうか。

 

バレンタインデーの季節だからではありませんが、このところ全てのエネルギーの源は「愛」だと考えています。

一生懸命に頑張れるのも、辛いことがあっても我慢出来るのも、もっと良い仕事をしよう、結果を残そう、と思えるのは誰かへの、何かへの愛があるときに、さらに強くなるような気がします。

そう考えていると、先日参加した横浜市の女性のためのシンポジウムで林文子市長が冒頭のあいさつで「愛がすべてです」と言うではありませんか。

わー、やっぱり!と鳥肌が立ってしまいました。

 

しかし同時に林氏は「働いていてビジョンなど持ったことがなかった。いつも他人に『あなたやりなさい』と言われたことを、周囲の人に気を使いどうしたら喜んでもらえるだろうかということだけを考え、仕事は本当に辛かった」とも言います。

林氏は、高校を卒業し事務員として一般企業に入り、その後車のディーラー会社に入り営業に転じ、フォルクスワーゲン、BMW、ダイエーで社長、現在横浜市長として2期目を務めています。

その彼女が「自分の意思ではない役職を与えられて、男性ばかりの組織で他人に気を使い、ひたすら働きそれは苦しかった、楽しいことなどなかった」と言うのです。

「愛がすべて」という言葉の裏には、それをやり抜くことが出来たのは「愛」の力があったことを実感しているからなのでしょう。

誰か特別に愛する人がいたという意味ではありません。誰かの愛に支えられていたということでもないでしょう。自分の選んだ仕事への愛、一緒に働く人たちへの愛、お客様への愛、そして自分を支えてくれる家族や友人への愛。それにこたえる気持ちがあれば、くじける訳にはいかない、そういう意味だと私は受け取りました。

 

林氏は、車の営業ウーマンとして抜群の「おもてなし力」で成績をあげて、社長にまで上り詰めた人です。その彼女が「ビジョンなど持ったことがなかった」という言葉にも私は驚きました。

彼女は、最初から上を目指して積極的なリーダーシップを執る人ではなく、むしろフォロワーシップにたけた人だったのでしょう。

 

フォロワーシップとは、上位にいる人(リーダー)を支援するために何をしたらよいか自分自身で考え、組織の目標に貢献するために主体的に動くことを意味します。

「自分が、自分が」ではなくまた「上司の指示待ち」でもなく、組織の目標が何かを考えて周囲を支え行動する人です。

考えてみると、この「フォローシップ」を実践している女性は昔から組織に多いように思います。

そしてフォロワーシップを発揮するのに必要なのは、やはり「愛」だと思うのです。

 

そうは言っても上司は愛せない。という声が聞こえて来そうです。何も仕事において上司をそのまま、まるごと愛する必要はないのです。

自分が仕事を愛しているのであれば、それを共に目的へ向かって進めていく相手と捉えれば同志としての「愛」を持てるのではないでしょうか。

そして職場への愛、同僚への愛は女性には強くある人が多いでしょう。

もし、自分の仕事も愛せない、という人がいたらそれは残念です。仕事に対して失礼です。なぜなら自分の生活を支えてくれているのは「仕事」だからです。

 

林市長は、日々職務に忙殺され風邪をひいても休むことも出来ない、それでも現在は市長として「これがやりたい」と考えたことを周囲の男性職員が「話を聴いて自分の指示で動いてくれる」ことに今ようやく「ストレスのない幸福」を感じているそうです。

それを林市長は「女性活躍推進の政策に取り入れられ女性を組織が認めてくれるようになったから」(政治家的発言だとも思いましたが)と言っていました。が、私はそうではなく、政治家としてビジョンを持ち実行できる立場に立っているからだと思います。

 

今回、70代の林氏から感じたことは様々な経験を経た女性の包容力でした。まさに、自分のあとへ続く女性たちへの「愛」を感じました。

美しく年老いていくことはどの女性にとっても永遠のテーマですが、「愛」はまさにその源になるのではないでしょうか。

(YK)

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経験が未来を創る

2018年1月8日

安室

今年引退を発表した安室奈美恵のインタビュー番組を見ました。

私はこれまで彼女に全然興味を持っていませんでした。あれだけ人気があったのに何故だろうと考えてみると、私よりずっと若いし、彼女の絶頂期は私は仕事に没頭していた時期だったのだと思います。

 

何気なく見たTVでしたが、彼女の最後の言葉に驚きました。

「経験が私を成長させてくれた。経験をたくさん積むことが豊かになる」

 

最近私が実感していることを私より若い40才の彼女が実感している!ちょっと鳥肌が立ちました。

そして安室奈美恵のプロフィールを改めて検索すると、彼女には壮絶な過去があります。母親の悲惨な死に方、離婚、シングルマザー、そして自分を有名にしたプロデューサー小室哲哉を離れてからの活動。

芸能界という厳しい競争社会に15才から身を置いて、私なんかよりもっとすごい経験をしているに違いない、と感じました。

しかし、それを乗り越えたからこそ経験が成長の糧と言えるのでしょう。経験に感謝できること、その姿勢こそが彼女がずっとスーパースターの座に居続けることが出来た理由なのだと、番組を見ていて思いました。

 

過酷な経験を与えらる、それはある意味選ばれた人なのかも知れません。

では、私たちとは違う人なのかと言うと、芸能人のようなきらびやかでもなく欲がうごめく世界でもなく、ごく普通の生活を送っていても自分にとっては厳しい過酷な経験というのは誰にであります。

苦労の大きさは、他人と比較しての大きさではなく自分自身で感じるものです。辛いときに「誰にでもあることだから」というような慰めの言葉ほど無意味なものはありません。渦中にあるときは他人がどう見ようと辛いものは辛い。

しかし、どんな大きく感じる苦労でも、結果としてたいていの人が乗り越えているのだと思うのです。でなければ人間は続けていけません。

ただ違いは、乗り越えた経験をどう生かせるか、ここにつきるように思います。

 

安室奈美恵は引退してからの自分に自信を持っています。

「これまでも一生懸命何かに取り組んで楽しかったから、引退して他のことでも一生懸命やってみて楽しいことがあると思う」

なんてすごい自信でしょう。

これだけ輝かしい実績を残し、華やかな世界にいて「燃え尽きた」ではなく、これからが楽しみと言える。

自分を信じるとはこういうことだと思います。

 

一生懸命生きて来たからこそ言える言葉なのだと思います。

もうひとつ彼女は、これまで頑張れた理由を自分を必要としている存在(息子)がいたからだと言っています。

誰かに必要とされる、それが自分の存在意義につながり強い力になる。

誰にでも子供がいるわけでもなく、家族のいない人もいるでしょう。大切なのは、相手が誰であれ誰かに必要とされていると感じること。もしいないのであれば、必要とされる存在になる努力が必要なのではないでしょうか。

 

「苦労は買ってでもしろ」

誰でも知っている言葉ですが、重ねた苦労が自分を豊かにすること、若いときは気づきませんでした。

皺改善クリームが大ブームを起こしていますが、心の皺(脳みそなのかな)はさらに深く刻んで行きたいと思う2018年の始まりです。

(YK)

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歳を重ねて分かること

2017年12月27日

影今月は女子大に伺う機会がありアンケートを取ることが出来ました。

対象者は19、20才の大学2年生でまだ幼さが残ります。

【女性に生まれて得をしていると思いますか】との問いにYESが80%。どちらとも言えないが20%。

得をしているとあげた学生は「何かと女性だからとおまけをしてもらえる」「オシャレや楽しいことが多い」という理由をあげています。

【尊敬する人はいますか】という問いには90%がYESと答え、ほとんどが「母親」を上げていました。

その理由は、「シングルマザーで育ててくれているから」「仕事で頑張っているから」がほとんどで母親の努力はしっかりと観察しています。

そして【一番影響を与えている人は】これは90%が「母親」でした。

娘への母親の影響は大きいのですね!

女性が女性の未来を作っていることを、改めて感じました。

 

講義が終わってからの懇親会ではもっとざっくばらんに話を聞くと、彼女たちの一番の関心はやはり将来の仕事と結婚です。

そして私への質問の多くが「働いていて辛いことはありませんか」「いじめられませんでしたか」「〇〇をしたいけれど辛そうだから迷っています」と、踏み出すことへの不安ばかり持っているようです。将来へのネガティブな情報はどこで得ているのでしょう。

もしかすると働く母親の姿から感じていることなのでしょうか。

そして、インターンシップ先では雑用をさせられたことに「いじめられた」と思い込んで不平を募らせている学生もいました。

「いじめ」に関して過剰反応をしているのは、自分自身を「かわいい」「大切だ」と強く思っているからなのでしょうか。

 

また「私は将来、〇〇業界へ進みたいけれど、母親は金融に行けというので。。。」「親は公務員になって欲しいという」と夢を描いているのに、周囲に影響を受けて尻込みしている学生も多くいました。

いつの時代も親心。娘には安定をさせたいという思いを親たちは伝えているのかも知れません。

私自身も気づかないうちに母の影響は受けていたと感じます。しかし、そこは時代が違います。私の世代では「果たせなかった夢を娘に託す」というケースが多く、それは娘の背を押す強い力となっていました。しかし、今の時代は「失敗をさせたくない」という思いが親心なのでしょうね。

 

彼女たちは大学の授業が終わったら「お金は使いたくない」のでなるべく早く家に帰り、TVドラマを観るのが楽しみで特に「相棒」「ドクターX」が好きだそうです。

先生に聞くとそのドラマが好きな理由は、勧善懲悪で正義が勝つと安心するのではないかという話でした。

うーん、大丈夫でしょうか。

社会に自分に優しいことばかりが転がっているわけではない、正義が勝つとも限らない、そんな時に柔軟な折れない心で対処できる強さを彼女たちは持てるのでしょうか。

 

私はこのコラムやセミナーで、私自身が経験した失敗を語ります。

先日、例として私が上手くいかなかった人間関係の話をした際に「どうしてそれに耐えられたのですか」という質問を受けました。

私には考えたこともなかった問いでした。答えるとすれば「乗り越えなければ先に進めないから」でしょう。

 

辛いこともあれば、喜びもある。

そしてそれは年齢を重ねたから分かること。歳をとるのも悪いことではありません。

(YK)

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残念な人になっていませんか?~女性の服装~

2017年11月30日

女性いまさらですか、と言われそうですが身嗜みについてこのところ強く意識するようになりました。

実は私自身は若い頃はCAとして制服を着ていたし、それ以後の会社員時代はファッションブランドに勤務していたので、実は自由に服装を選んでいたわけではありません。

CAは身嗜みにルールがあってマニキュアの色から口紅の色まで基準がありましたし、ファッションブランドであればそのブランドの服やバッグを持つことが半ば強制されていたので選ぶ余地がありませんでした。

 

CAはともかく、洋服を扱う仕事であれば外部に対してのPRとして自社製品を着ることは必要でしょうし(広告塔になるかどうかは疑問ですが)、私は人事部にいて実は同じ会社の仲間に対しても自社製品を愛していることを示すために着用する必要がありました。ある意味、服装はビジネスの戦略ですね。

現在、独立してからは誰も私の服装に文句を付ける人はいません。それでも空気を読むほうなので(笑)クライアント企業の雰囲気やまた仕事の目的によって服装を変えるようになりました。しかしこれがなかなか難しいのです。

私の個性を出すために好きな物を着ればいい、と思ったり、いやいや自分なりの制服を決めてしまおう、と思ったり思考錯誤の日々です。

この年齢になってまだ悩ましい。というのも何を着ているかで、やはり私のイメージが決まるわけですし、コーチや講師として期待にあったイメージでないとお仕事が得られない場合だってあるかも知れないのですから死活問題です。

 

一方、企業に伺って研修を行う際には、身嗜みを指導することもあります。新入社員であれば、黒白はっきりつけたチェックリストで厳しい指導は出来ますが、時折、もうキャリアを積んでいる女性社員に対して「はっきり言って欲しい」というリクエストを幹部の方からお願いされることもあります。

自分の服装ですら悩んでいるのですから、これはさらに難しい。

しかし意を決してクライアント企業のリクエストに立ち、顧客目線もしくは同僚目線に立って見れば、はっきり言ってかなり「残念な」女性が多いと感じています。(ごめんなさい)男性はスーツやクールビズでもある程度のパターンがあるのですが女性はそれぞれだからです。

セクハラ、パワハラという言葉が頻繁に使われるようになってから、さらに他人の服装に突っ込むことは出来にくいのかも知れませんが、「お客様に聞いてみたことありますか?」「上司に何か言われませんか?」と尋ねたくなる女性もいます。

 

どのように「残念な」のかというと、オフィスなのにミュールを履いていたり昼間から胸や腕を出していたり(オフィスでは露出はしない)、男性社員がスーツなのにジャケットも着ていないフリルのついたワンピースであったり、髪の毛は無造作に束ねただけだったりなど、会社に行くのもスーパーに買い物に行くのも同じ服装ですか、今夜のデート用の服装ですか、と聞きたくなるようなケースです。女性は男性とは違って、不潔であることは少ないのですが、ルール違反は多く見掛けます。

 

洋服には世界共通のTPOがありルールがあるのですが、日本では注意をされることはあまりないので気付かないこともあるでしょう。

TVのニュース番組に登場する女性キャスターたちもかなり好き勝手な服装になっているのでお手本も少ないのが事実です。

さらに指摘が難しいのは、本人がオシャレと思っているのか、持って生まれたセンスがないのか、お金をかけたくないのか、知らないのか、区別がつかない点です。

 

ただ、いずれにしても言えることは、洋服のルールを無視している、そしてプロフェッショナルなビジネスウーマンとして見られたいという意識が欠如しているということでしょう。

ここが残念なのです。

せっかくプロフェショナルな意識と知識やスキルを持ちながら、そう見えていないことに本人が気付いていない。

もったいないと感じます。

前駐日大使のキャロライン・ケネディ氏が、信任状捧呈式で通常丈のワンピ―スを着用していたり、セーター姿で公式の場に現れたりしたことを、キャリア女ウーマンの服装が自由であることが公認されたと評している雑誌がありました。

しかし、実は欧米では洋服のマナー違反は、「あの人なら仕方ない。常識を知っていてわざと破るんだなあ」と納得される人物でないと出来ないそうです。つまり一般の人がやっても常識がないと笑われるだけだそうです。

 

何を着るにしても「この人なら仕事が出来そうだ」という印象を人に持ってもらえれば得です。

高価な服装やブランド品を身に付ける必要はありません。

しかし、仕事をしに会社に来ているのか、ついでに仕事に来ているのか、わからないような服装ではお客様の信頼を得ることも、周囲の尊敬を買うことは出来ないでしょう。

おしゃれは相手に自分を認めてもらうため。

プロフェッショナルなビジネスウーマンとして認められるために新年に備えクロゼットを見直してはいかがでしょうか。

 

参考図書;

世界に通用する公式マナー プロトコールとは何か 寺西千代子著 文春新書刊

(YK)

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オプションBを想定して

2017年10月22日

白い花束企業に勤めていれば、また企業に勤めていなくても仕事を持っていれば、個人的なことと仕事が両立しないことは多々あります。

それを両立させようとしているのが「働き方改革」で、「ワークライフバランス」は自分で工夫して得るのではなく、企業が様々な選択肢を用意して様々な考え方やライフスタイルの人が自分で選ん無理なくは働ける制度や仕組みが提案され、また実行されつつあるようです。嬉しい動きです。

しかし、制度や仕組だけでは、救われない個人的なことがあることに気が付きました。それは人間の感情です。そして想定外のライフスタイルの変化。

 

大変個人的な話題になりますが、私は先月母を亡くしました。高齢であったので覚悟もしていたし、本人も私も悔いない別れのはずでした。私は父を5年前に亡くしているので母の死についても心の準備は出来ているつもりでした。

しかし、今回、想定していなかった深い悲しみと寂しさに襲われて、今、戸惑っています。こんなに喪失感に襲われるとは・・・

 

他人は慰めるつもりで声をかけてくれます。「ご長寿ですからね」「そろそろ落ち着かれましたか」「もう一月ですか」。そう言われてその度に傷つく自分がいます。「長寿だってもっと生きていて欲しかったのに」「落ち着くわけがないでしょ」「もう一月、って毎日が私は悲しくて長いのに・・」

とはいえ声をかけてくれる人を責められません。私もこれまで、誰かを失くしたり、またペットを失った人に対しても無神経に傷つくことを言っていたのだと思うからです。

高齢の母の死をいつまでも嘆くなんて、自分でも情けないと思いながら気付いたこと。それは、やっぱり人は誰かのために生きているのではないかということです。皆さんは、誰のために働いていますか。私はそんなこと考えたことありませんでした。しかし、独身の私は、母を面倒みていたつもりが、実は母がいるから頑張ることが出来ていたのかも知れない。「お帰りなさい」と迎えてくれる人と場所がある、自分が元気でいることを喜んでくれている人がいる、それが実は支えであったことに気が付きました。

 

そんなときに書店で2冊の本が目に留まりました。一冊は、フェイスブックのC.O.Oのシェリル・サンドバーグの「OPTION B」です。「リーン・イン」で女性リーダーの姿勢を示した彼女ですが、2年前に夫を亡くし深い絶望の中から立ち直り書き上げた新たな女性へのメッセージです。

2冊目は日経新聞の文芸欄で取り上げられていた「遺族外来」という精神科医の書いた本でした。

 

この2冊を読んで、私の現在の状態は決して異常ではないと分かりました。お悔やみの声をかけられて、返ってむなしくなってしまったり傷ついて人が怖くなってしまう。それは、誰にでも起こり得ることで、しかし残念ながら経験してみないと分からない精神状態であり、そしてもちろん、個人差があるということでした。うつ病になってしまう人も多いとか。

私は幸いにも比較的、仕事の調整が可能な状態にあります。それでも、母の亡くなった翌日も葬儀の前日も仕事は予定どおり行っていました。看取ることができたことは幸せでしたが、そのために変更をお願いした仕事もあり、心のなかでは、「歌舞伎役者や舞台役者なら親の死に目もあわないでお客様のために演じるのに」と自分が甘いのではないかという気持ちに囚われています。

一方、悲しみの中で、仕事が忙しいことで否が応でも気持ちを切り替え、他のことに集中しなくてはならずに救われている部分もあります。

 

「OPTION B」のなかで、人は人生のネガティブなことに出会うと3つのPに囚われることが書いてあります。

Personalization自責化(自分が悪いのだと思うこと)Pervasiveness普遍化(その出来事が人生のすべてに影響すると思うこと)そしてPermanence永続化(その出来事の余波がいつまでも続くと思うこと)だそうです。

そんな状態では仕事は自信をもって望めません。シェリル・サンドバーグは、周囲の人の声の掛け方ひとつで、事態は改善すると言っています。「どうですか?」と聞くのではなく「今日はどうですか?」と聞いてあげる、そんな表現への気遣いだけでも人は救われるのです。

そして、もうひとつ、私の場合は母でしたが、夫や経済的なサポートをしてくれていた人を亡くした場合、人生への不安はさらに大きなものになるのです。精神的不安に加えて経済的な不安、そして子供がいれば子供を一人で育てる将来への不安が大きくのしかかります。それに対しての解決の道を示してあげること。また、同じ境遇であっても無事乗り越えた人との対話など。

フェイスブックのC.O.Oで社会的に成功していた人であっても、肉親の死を乗り越えるのは簡単ではないのです。誰にでも起こることで、そしてそうなったときの精神状態は自分でも予則不可能。

彼女は「LEAN IN」で家族がいて仕事を両立することを前提で女性の働き方を唱えていたことを反省し、そうでない人達のための働き方を考え始めているようです。

さすが、悲しみだけで終わらせない、それがリーダーですね。

 

さて、私自身は何ができるのか、まだ漠然としか考えられない状況です。

が、「働き方改革」と世間が盛り上がっているのであれば、時間や制度だけではなく、感情に優しい社会を目指すお手伝いをしたいと思います。寄り添ってくれる話を聞く人がもっと必要だと思うのです。

そして、とかく悲しみや辛いことは公の場では隠すことがプロフェッショナルと自分も社会も思う傾向があります。私もあまり「悲しい」などと言っていると世間から頼りないと信用されないのではないかと、実は不安に思いながらこれを書いています。

しかし辛くても悲しくても、プロフェッショナルは仕事の質には変わらないのも事実だと思うのです。プロフェッショナルだって、泣いてもいいし心も折れる、そう思える社会や企業になったらいいなあ、それを伝えて行きたい、と考えています。

参考図書;

「OPTION B] シェリル・サンドバーグ/アダム・グランド著 日本経済新聞出版社

「遺族外来」大西秀樹著 河出書房新社

(YK)

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失敗の受け止め方

2017年7月31日

margaret-thatcher-67746_960_720このところ女性政治家の話ばかりになりますが、先日、女性大臣と女性党首が辞任しました。

私は政治家の女性たちを、この最も保守的な世界において重責を担うのは、大変だろうなあ、辛いだろうなあ、自分であったらと置き換えて(図々しく)心境を察していました。

政治的なことや良い悪い、好き嫌いは別として、そういう立場に対する共感と同情です。

しかし、辞めた二人とも辞意表明のあとにニッコリ微笑んだのを見て「私とは違った・・」とあらためて女性をひとくくりにする危険性と違和感を感じています。

 

さて、思うように物事が進まなかったり失敗をしたとき、あなたはどのような反応を示しますか。

①運が悪かったと思う、②時機が悪かった、いつかまたやれるだろうと取りあえず忘れる、③自分の能力不足や準備不足を悔やむ、④他人のせいにする。

私は③の自分のせいにしてくよくよするタイプですが、これは私に限らず女性の多数にある傾向だそうです。

コーネル大学の心理学者ディビッド・ダニング博士の調査によると、難しい課題にぶつかって解決出来なかったとき、男性は「ああ、この課題は難しいぞ」と外的な要因にするのに対して、女性は「やっぱり私は優秀ではないんだわ」と自分のせいにする傾向が見つかったそうです。

男性は物事を受け流し、自分で背負いこまず「時と場所が悪かった」と考えるのに対して、女性は「私は何を間違えたのだろう」と考えこむそうです。

その結果、女性はもっと勉強しなければと完璧主義に走り、完璧になるまでは手を上げたり意見を言うことが出来ない。

何故、こうした男女差があるのかというと、どうも脳の作り方が影響しているようです。

女性は男性よりも脳を広く使った物事を考えるので、色々な要素を吟味して結び付けて考えてしまう傾向があるそうです。

だから、女性は共感力や強調性があり、直感も働くそうです。

そう理解すると、女性が能力が不足しているのではなく、単純に女性がより深く考えているだけなのだと分かります。

気にしているかいないかの違いで、能力の差ではない。

じっくりと考える力は強みです。

他人のせいにする人よりは、自分自身を反省する人のほうが好感は持たれるのではないでしょうか。

 

さて、辞めた女性政治家二人について、ある女性評論家はこう表現していました。

「彼女たちの問題は能力のあるなしではありません。彼女たちに人がついて行くと思いますか? 誰もついて行かないでしょう?」

まさにそこだと思います。

どんなに優秀であるかは、経歴と発言からしか知り合いでなければ計り知れません。しかし、私たちは、どんな服を着て表情をして、話し方をして、どんな雰囲気を醸し出しているかから、その人となりを敏感に感じ取ります。

女性であるとか男性であるとかではなく、安心して着いて行きたい人であるか、信用出来る人なのか、を私たちは全身から発されるメッセージで判断しているのではないでしょうか。

 

組織で成功するためには、折れそうな心ではなく、鋼のような心が時に必要。

でもそれは、自分を必要以上に痛めない鋼の心であって、他人の痛みを感じない鋼の心であってはなりません。

優しすぎることはリーダーにとってはマイナスと思われていた時代もあります。

リーダーは、厳しい状況での判断が求められるから、優しさは邪魔と思われていたのかも知れません。

しかし現代のように「働き方」が問われ、作業がAIにどんどん置き換えられる時代であるからこそ、人間の感情がフル活用される必要があるのではないでしょうか。

感じることが出来ないならAIでいいのですから。

女性の感受性はますます強みになっていくでしょう。

 

まだまだ、ロールモデルが少ない女性リーダー。

女性を否定することでもなく、女性を売り物にするのでもなく、共感する心をもっともっと恐れず見せる女性が登場して欲しいと思っています。

(YK)

参考図書;

「ガラスの天井」が破れる瞬間ー女性の成功哲学ー シャロン・レクター著 さこ書房

なぜ女は男のように自信を持てないのか   キャティー・ケイ&クレア・シップマン著 CCCメディアハウス

 

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他人のふりから学ぶこと。

2017年6月28日

angry-2191104_1280性国会議員の罵倒が連日、TVを付けると聞こえてきます。

「ハゲー!!!」

あり得ないでしょう、こんな暴言、しかも手は出るしそれ以上に家族を脅すような発言には驚きます。

SNSでも色々な記事や人達が、エリートとして生きて来た彼女にはミスをすることが許せない、他人の痛みが分からない、上から目線の人なのだ、というようなコメントを書いています。

成功者でプライドが高いから自分がいつも正しいと思っている、というようなコメントが大半です。

 

しかし、私は少し違う見方をしています。

何故ならば、何度も聞いているうちに誤解を恐れずに言うのであれば、私もこんな風に上司に怒りをぶつけられたり、私自身が部下を罵倒した経験があったなあと思い出したからです。

まだ、若いCAの頃、ファーストクラスの朝食で卵料理を次々と失敗して、お客様に卵を出せないまま到着してしまったことがありました。

さすがに私も取返しの付かないミスだと自分自身でも情けなくなり落ち込みました。

上司のパーサーは、そんな私の傷に塩を塗るように「大金を払っているファーストクラスのお客様に、卵も出さないで飛行機を下すなんて、なんて失礼なんだ!私のお客様になんということをしてくれたんだ!」とそれこそ私は生きている権利はない人間であるかのように一時間以上、制服を着たまま到着後のオフィスの片隅で、火山のように爆発したように怒鳴り続けました。

最後はちゃんと会社に報告されて、出来ないCAの烙印を押すことも忘れていませんでした、、、

 

そして会社員時代には、改築した本社をお客様にお披露目するというときに部屋の準備が完璧でなかったということで、外国人の上司に英語でいうところの4文字単語でののしり続けられたこともありました。

「君はどんなに大切な機会であったかを理解していない。二流の会社だと思われたかも知れない! 〇X〇X!! 〇△?✖!!!!」

ひどい言葉が続いて、そのときは、周囲の同僚のほうが私が会社を辞めるのではないかと、心配して青くなっていました。

どちらも共通するのは、二人ともお客様に対して真剣であったということです。

二人とも、誰にでも間違いがあるのは、わかっている上司たと思います。

それほどまでに怒らせたのは、何故大切なお客様に対して、自分と同じくらいの全力を尽くして仕事にあたらないのかという怒り、そして大切なお客様に失敗をしてしまったという悔しさ、だと思うのです。

こういう上司は、得てして完璧主義であり、本人であればきっときちんとやり遂げる人です。

他人の痛みが分からない、相手が自分のように仕事が出来ないことを理解出来ないのではなく、自分と同じ高い目線を持っていないことに対する怒りだったと私は受け止めました。

私自身が部下を怒ったときも、お客様に対してお詫びのしようのない間違えをしたときでした。

こみあげてくる感情はくやしさ。

何故、この想いを共有してくれないのか、相手に失礼なことをしてしまった、という怒りでした。

と考えると、この議員が秘書が相手先を間違えて大切な手紙を出してしまったことにこれだけ怒り心頭するのは、少し理解が出来る気がします。

 

特に女性は受け流すのが苦手です。

起きてしまったことを何度も何度も繰り返し考えて後悔するのが得意なのが女性です。

私は東大出身でもエリートでもないけれど、お客様へ一生懸命しようとする気持ちが共有できない人には我慢が出来ません。

男性国会議員が「こんなの良くありますよ」と発言して撤回に及びましたが、真剣に仕事をしている人であれば、このような場面に遭遇したことはあるのではないでしょうか。

 

こうしたことが起こるとひとくくりに、人のバックグラウンドで傾向を語ってしまう危険を感じます。

もちろん、彼女の態度や言葉は、彼女が長い人生で身に付けた人間性を表しますからそこに人の上に立つ適性があったかどうかは疑問です。

 

どんなに悔しくても腹立たしくても、怒りを人にぶつけることは、人間関係を崩し、やがて自分に返って来ます。

何より怒りに向けられたエネルギーは大きい。

そのエネルギーをそんな無駄なところに使ってはいけないですね。

大きなビジョンに向かっている人、多くの人を動かさなくてはならない人は平常心を保つ習慣を身に付けることが必要ですね。

最近、他人に言われてやっていることは距離を置くことです。

何か起こるとせっかちな私はすぐに反応し、すぐに解決しようと、メールをしたり会おうとしたり。

しばらくほおって置くと、どうでも良いことに変わったり、不用意な発言をしないで済みます。

この議員さんも車の個室にいたから、余計な発言がエスカレートしましたよね。

繰り返しますが、彼女に非がないとは私は思っていません。しかし色々な見方をしなくてはいけないと思います。

 

働く女性は心を休める時間を持ちましょうね。

YK

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尊敬されるより好かれたい

2017年5月30日

女坂は途中で曲がって休み休み

先月、久しぶりに以前勤務していた会社に顔を出すことがありました。

たまたま用が出来たからなのですが、

退職して以来のこと、嬉しいよりも恐る恐るの気持ちで訪問しました。

というのも私の中では、管理職としてもっと社員を守ってあげるべきだった、

部下や他の部の社員に対してももっと出来ることがあったはずなのにとずっと後悔の気持ちを抱えていたからです。

今でも親しい部下はいるものの、きっと私が頼りなかったと不満を持っている人も多かったに違いない・・・

私は上の人ばかりを見ていたのではないか・・・

実は、そんな思いをずっと胸に秘めていました。

現在、他人にリーダーシップを説くような仕事をしているからなおさらです。

自分のいたらなかった点がよく見えています。

もちろん、成果を出したことも貢献したこともたくさんあるのですが、自分の経験からも部下はそんなことは見えていないことが多いもの。

あまり良い部長でなかったと思っているだろうなあと不安でした。

ところが、会社へ行くと、次々と私のほうが忘れかけていた人まで懐かしそうに声をかけてくれて近況を自ら語ってくれます。

家族の話までしてくれる人もいました。

なんだかとても意外で気が抜けました。

なーんだ、私が思うようなこと思っていないのかも。

彼らのなかではもう過ぎてしまった時代のこと、働いていれば互いに葛藤もあるけれど今は一緒に苦楽を共にした記憶になっているようでした。

 

 

女性は「尊敬されるより好かれたい」と思う傾向があるそうです。

人に好かれたい、感じのいい人でありたい、と思うそうです。

フェイスブックのCOOのシェリル・サンドバーグも「リーン・イン」の中で「ほとんどの人は、私もそうだが、人から好かれたいと真剣に思っている。好かれるのは嬉しいことだし、それに仕事でもプライベートでも、人に好かれることは大切だ」と書いています。

これは管理職になろうとするときの大きなネックとなります。

組織で働いていれば責任ある役職についたとき、誰にでも良い顔が出来ないし全員を満足させることは出来ません。

 

 

そしてもうひとつ女性の特徴として「考えすぎる」傾向があるそうです。

女性は本能的に、問題を解決しようとするより、くよくよと思い悩む傾向にあるる、何故自分はそんなことをしたのか自分のしたことがどのくらい上手く行ったか、それ以上にどのくらいひどい出来だったか、その評判ばかり頭の中でぐるぐるといつまでも考え続けるそうです。

まさに、私です。

だって、退職してからもう5年。

反省し続けていたのですから、笑えますね。

 

 

この考えすぎる傾向は、どうも脳の構造にあるようです。

男性は「時と場所が悪かった」あるいは「相手が悪かった」と流して次へ進めるのに対し、女性は反省し続けて自分を痛めて自信を無くしてしまうのです。

これでは管理職など出来ないし、管理職にならなくてもストレスばかりになります。

セラピストの友人の言葉に私はヒントをもらいました。

「今のあなたは過去のあなたとは違うでしょ。他の人だって過去と同じ人ではないのよ」

そのとおり、もう遠く過ぎ去った時間の中で起きたことを考えていても始まらない。

今の自分にだけ向き合わねば。

具体的には、夜眠る前には良かったこと、出来たことを考えると良いそうです。

以前、絵葉書にその月のビジョンを描いて眺めて寝ることをお奨めしました。

私は夜寝る前に、その絵葉書を眺めながらその日、未来に向かってできたことをあげて自分を誉めることにしました。

 

未来に向かって出来ることは何かを考え続けましょう。

過去の反省は、すでに血となり肉となって自分に身についている、

過去の自分の頭を撫でて、先に進みたいと思った5月でした。

(YK)

 

参考;

「LEAN IN」シェリル・サンドバーグ著 日本経済新聞出版社刊

「なぜ女は男のように自信を持てないのか」キャティー・ケイ&クレア・シップマン

CCCメディアハウス刊

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シンデレラの教訓から

2017年4月27日

女性に白雪姫限らず誰でも思考の枠を持っています。

また「こうあるべき」という自分自身や他人への

縛りも持っているのではないでしょうか。

 

先日、あるところで「良き妻ってどういう妻?」

という話題になりました。

「家事をしっかりやって、夫に尽くし夫をたてて・・・」

と言ったことろで、皆で笑ってしまいました。

本当にそう思っているかは相手に聞かなければ分かりませんね。

男性が10人いれば、求める良き妻の姿は10通りあるはずです。

「女子力」という言葉も「良き妻」に通じるものかも知れません。

「女子力」と言われてなんとなく、

誰もが納得出来てしまうのですから、

社会的な共通の枠を持っていると言えますよね。

 

こうした思考の枠はどこでどうして作られるのでしょう。

ひとつには、多くの女性が、子供の頃、童話やおとぎ話を

聞かされたり読んだりして育ちます。

物語への憧れの度合いは個人差もあるでしょうが、

ディズニーの映画や絵本で見た美しい女性のドレスと共に

記憶している女性は多いのではないでしょうか。

 

白雪姫、シンデレラ、眠れる森の美女、

なぜかどれも母親は継母で邪悪で、

それでも明るく一生懸命良い子でいると

素敵な王子様が助けてくれるというストーリーです。

しかも共通するポイントは、皆に好かれること。

見た目も可愛いこと。

そして得た幸せはかなり受動的な幸せです。

こうして、両親が積極的に情報操作しない限り、女性の枠は作られて行きます。

もちろん、中にはこうした枠に囚われない女性もいます。

ピンクは着ないし、ディズニーは嫌い、と。

それはそれで「女子力のなさ」を感じて自信を無くす人も作られるのです。

 

大人の皆さんは、残念ながらもう王子様などいないことは

分かっていると思います。

しかし、それでも女性は尊敬されるよりは好かれたい、

と思う傾向にあるそうです*

 

皆に好かれること。

これは社会生活においてはとても大切なことであり

組織で上手くやって行くうえには欠かせない要素です。

しかし、ビジネスの世界では皆の意に反して

意見を通さなければならないこともあります。

ここで矛盾が生じてしまうのです。

 

シンデレラも良くストーリーを見てみると自分の意志をはっきりと伝えています。

しかし、パーティに行きたいと言えば、笑われてあしらわれ

ガラスの靴の持ち主を探しに来たお城の召使に会おうとすれば

継母たちに拒否されひどい下働きが待っています。

静かに探してくれるのを待つほうが結果は良いのです。

 

また、女性は男性よりもずっと若い頃から

自分の外見が気になり、全ての女性のうち90%が

自分の容姿の何らかを変えたいと思っているそうです。*

これもプリンセスの影響でしょうか。

いつも主人公は美しいのですから。

ちなみに白雪姫の継母は、若い白雪姫の容姿をねたんで

魔法をかけてしまいました。

若い時だけの話ではありません。

女性の美への執念は怖い。

そして、それはなぜかビジネスの世界でも続きますから

気にするのは、無理はありません。

(某女性大臣のフェミニンな服選びが話題になっていますが

何を着ても良いと思う反面、プリンセス思考かなと

余計な推察をしてしまいます・・)

 

美女と野獣が、美男と野獣という映画になったら

そんな偏見は思いこみである、という

強いメッセージになるのではないかと思うのですがいかがでしょう。

 

とはいえ、周囲を想う優しさや気遣いは

お姫様による影響だけではなく、女性の特性です。

精神分析医のダニエル・エイメン博士は

「女性の脳は男性の脳より活動的で、共感力、直観力、協調性、自制心、

そして適度な心配に関連している」

と述べています。*

これらは、まさに「おもてなし力」。

「女子力」ではなく「おもてなし力」としてさらに発揮していくには

何の損することはないでしょう。

強みなのです。

 

相手の気持ちを配慮し、全体の空気を察する力があれば

今、話題の大臣のような発言は出ないはずです。

そして現代のスピードの速い時代、

旗をふるだけではなく、それぞれのチームの個性を活かすリーダーには

間違いなく最も重要なことのひとつです。

 

ではどうしたら、「皆に好かれること」と「自分の意志を通すこと」

を共存させられるのか。

これは、私自身の課題でもあるのですが

また次回、お話します。

(YK)

*参考図書:「なぜ女は男のように自信を持てないのか」

キャティ・ケイ&クレア・シップマン著CCCメディアハウス発行

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職場に花を咲かせろと言われても・・・

2017年3月31日

職場の花毎月行っている女性対象の公開セミナーには

自ら手を上げて参加する方と

上司の指示で参加する方がいます。

セミナーの冒頭で「上司」「同僚」「自分」からの期待を考えてもらいます。

上司から言われて参加したという方に上司の期待を聞くとよくあげられるのが

ムードメーカーとしての役割です。

「職場の雰囲気をよくして欲しい」

「明るく振舞ってモーチベーションを見せて欲しい」

「人を育てて欲しい」

などなど。

ある方は「もっとにこやかな顔をしろ」と言われたと話し

仕事はきちんと成果を出しているのだから、、と不満を見せていました。

成果だけでは十分ではなく、女性にはチアリーダーの役割を求めている上司が

まだまだいるようです。

もっと言えば、「職場の花」が管理職になったら

花咲かおばさんになることを期待されるのでしょうか。

 

 

こうした期待に居心地の悪さを感じているのは

たいていが仕事をプロフェッショナルにとらえている女性です。

特に研究職の女性や職場での成果目標が明確である立場にいる方は、

自分の役割をきちんと行い、成果を出しているのだから

リーダーになったからと言ってそこを期待しないで欲しいというのが本音です。

「やることをきちんとやっているんだから、それ以外に何が必要なの」

そう思って当然です。

確かに、男性リーダーであったら「もっと笑顔で明るく振舞え」

などとは言われないでしょう。

 

 

考えてみると、女性は子供の頃からそのような期待を寄せられて育っています。

特に男女共学の学校であれば、女の子はやんちゃではなく従順で周囲へ優しさを示すことを

奨励され、勉強を一生懸命やっていれば褒められます。

どうも、企業で働く女性に聞くと、まだこの期待は学校を卒業してからも女性に対して向けられ続けているようですが

それに加わって自分のことだけではない、他の人も育てたり雰囲気をよくすることまで加わります。

(逆に女子だけの学校で育った女性には女性の役割は違和感があるのかも知れませんね)

またその上に、企業で働くには、論理的であったり戦闘的であったり、攻撃的に意見を交わす力も求められます。

社会におけるジェンダーの不均衡の種は小学校時代の教室でまかれている、と

米国の報道記者のキャティー・ケイは言います。*

驚くことに、日本だけではなく、多くの国の管理職の女性が相反する期待に戸惑っているようです。

 

女性であるからと言って、一人一人が異なります。

どうも一人の女性に全てが期待されているように感じます。

成果以外の期待をリーダーシップという名前のもとあからさまに期待をする上司と

(だってリーダーシップとは職場に花を咲かせることではないでしょう)

また期待に応えなければと敏感に感じすぎてしまう女性自身の特性、

双方がやっかいな課題です。

 

とはいえ、社会はやはり学校の延長ではありません。

一生懸命成果を出している、だけでは十分ではないのです。

てんこ盛りで寄せられる期待を理不尽と感じているだけでは双方に進歩がありません。

そこでもう一度考えて頂きたいのが、ドラッカーの5つの質問です。

1.私の使命は何か

2.顧客は誰か

3.顧客の価値は何か

4.私の成果は何か

5.私の計画は何か

 

職場は学校ではありません。

一所懸命勉強だけしていれば、褒められるわけではないのです。

自分が社会で使命を達成するためにすべきことは何なのか。

自分自身への期待は何なのか、

そう考えた時に、自分自身が変わらなければならないことは多いにあるでしょう。

他人の期待をただ受け止めるのではなく、

その期待のそこにある本当の目的、自分とも共通する道を探したいものです。

また、期待を感じたら自分へのフィードバックとしてそれを確認する作業、

これが自分を旬にし続けるために必要です。

 

全部を満たすことは誰だって出来ませんが

足りない点は何か、それを補うことは何か

相手の期待を知ることは自己変革への重要なヒントです。

YK

*「何故女は男のようい自身をもてないのか」キャティー・ケイ&クレア・シップマン著

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