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Columnコラム

「おもてなし」と効率化

2018年1月16日

鉄板焼きの朝食

最近、温泉地にある高級リゾートホテルに泊まる機会がありました。オーナーは著名な経営コンサルタントで彼がプロデュースをした宿です。

そこで驚いたことは、滞在中、ほとんど人に会わないこと、でした。客室が新館と合わせても25室程度ですから客同士が顔を合わせないのは不思議ではないのですが、スタッフもいません。

数えてみて、会ったスタッフは送迎担当者、フロントで迎えて部屋へ案内してくれた人、チェックアウトの手続きをしてくれた人、レストランで給仕をしてくれた人、レストランの朝食係とシェフ、以上で、すれ違うこともありませんでした。

 

まず送迎。駅できちんとしたジャケットを着て迎えに来たのは従業員でしたが案内されたのはハイヤー。さすがハイヤーなんてすごい待遇、と思ったのですがよく考えれば自社で車を所有するのはコストがかかります。運転する従業員の人件費もかかります。この規模のホテルであればハイヤーを利用したほうが効率的で客からすれば心地よい送迎です。

 

部屋に入ると冷蔵庫はすべて無料で、カプセルのエスプレッソも各種紅茶も自由に飲めます。冷蔵庫には通常の一泊では十分な品数が入っていて、特に何かオーダーをする必要はありません。

その上、部屋のドアの横には宅配ボックスのようなドアがあって、交換したい食器やタオルをそこに入れて「交換してください」のボタンを押すだけで、フロントに電話をかける必要もなくスタッフに顔を合わせる必要もなくスムーズに新しい物が届きます。

そして部屋に置かれているものがすべて無料なのですから、チェックアウトの際にスタッフが冷蔵庫を確認する必要もないわけです。したがって、チェックアウトもスムーズで待たされません。

 

また大浴場を出た湯上り処でも、よく冷えた小さい缶ビールにコーヒー牛乳、スポーツドリンクが自由に飲むことが出来ます。無料ですからスタッフがいる必要はありません。冷たく冷えて美味しそうですから、他の物を頼みたいという天邪鬼な人は少ないでしょう。

 

夕食は食事処でするのですが、すべて半個室で時間での予約で、一人の担当者が付きっきりで給仕をしてくれます。誰かにドリンクを頼んだり他の人が運んできたりというわさわさした感じがありません。一方、担当者も客の様子を見ながらすべて自分が動いているのですから、他のスタッフとのミスコミュニケーションも起きないでしょう。

 

最後に朝食は、洋食を選ぶと鉄板焼きのレストランでいただきます。ここでもグループごとの客の間に仕切りがあって互いが見えず、鉄板焼きのプレートの前で一人のスタッフがすべてを出してくれます。目の前にいるのですから、注文を聞きに行って厨房へ戻る手間がなく、使用済みの皿はすぐに下げてもらえます。そして、卵料理も目の前で焼いてくれて客にとっては「私のために」という特別感が味わえます。ここでもマンパワーが必要ない仕組みになっています。

 

さすが経営コンサルタントの経営だけあって、効率的な仕組みを考えていると感心しました。

冷蔵庫が無料だからと言って、湯上り処に勝手に飲めるビールがあるからと言って、どれだけ人が飲めるものではなし、そこにかかる人件費を考えれば無料でも大した問題ではありません。

そして何よりサービスの質に不満を感じさせないのは、冷たいものは冷たく冷えて、グラスや器も一流の物が使われているからでしょう。部屋の冷蔵庫には、ビール用のグラスが冷やされていて、ジュース用、お水用とそれぞれに適したグラスがセットされています。

もっと言えば、あらゆるタイプの携帯・スマホの充電器も部屋にセットされているので、忘れた人がいてもフロントに電話をかけてあれこれ頼む必要もないわけです。枕のタイプも数種類。

これは、相当、客のニーズを考え抜いていると感じました。そして、何よりスタッフがその場にいなくてもその空間に客を想っているというメッセージを感じることが出来ました。

もちろん、スタッフは客の目には見えなくても陰で客のために働いているからこそ、その空間が保てるのです。

人がいなくても「おもてなし」の心は伝わるのです。

 

「おもてなし」と言うとすぐに「マニュアル化されていない心の接客」だとか「人と人とのぬくもり」だとか「接客に手をかけること」だと考える傾向があるように思います。

しかし「おもてなし」するためには、本当にお客様が望んでいることを考えて「しつらえ」を含めサービス全体をデザインすることが大切です。

このホテルでいえば、忙しいエグゼクティブが一泊で泊まることを想定し、そういう客であれば人のふれあいよりも自分の時間を大切に過ごしたいと考えたのではないでしょうか。

重要なのは、人がいてもいなくてもそこに気持ちを込めているかという視点。

最高のおもてなしと効率はメリハリをつけて、両立するヒントを得た旅でした。

(YK)

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おめでとう!でポジティブに

2018年1月5日

門松新年が始まりました。

一晩明けただけで何が変わるわけではないけれど、なんだか世間はご機嫌な雰囲気が漂います。

会う人ごとに「おめでとう」であったり「良い年を」と相手を祝福する言葉が交わされて、

SNSでもクリスマスの頃から、過ぎ往く年への感謝の言葉や新年を祝う言葉が、これでもかというくらい(笑)何度も何度も行き交っています。

「今年も宜しくお願いします」言われたら言い返し、もう既に言ったのにまた会えばまた言ったりして、新年が明るいのはこのポジティブな言葉の応酬が繰り返されるからではないでしょうか

ポジティブな言葉は誰をも元気にしてくれます。

 

今年、私は喪中で新年のご挨拶は控えていました。

喪に服してそれほど時間が経っていないせいもあるでしょうが、不思議なものでやはり喪中だと思うと「おめでとう」と言う気持ちにはならず、また「おめでとう」と言われるとやや感覚にそぐわない微妙な気持ちになります。

去年は一緒に過ごした家族がこのハレの行事にいないのですから当然と言えば当然です。が、私も経験するまでは分からない感覚でした。

かと言って「おめでとう」と言わないお正月はやっぱり寂しく気持ちも萎えます。世間がポジティブ全開の季節に取り残されるような感覚です。

そして、はたと気づきました!もしかしたらお正月に皆が浮かれるのは、この「おめでとう」というポジティブな言葉のせいかも知れない、と。

「おめでとう」に限らず「ありがとう」や「愛しているよ~」という相手への前向きな言葉は人を元気にします。

そしてお正月の「おめでとう」は言われたらそれに反論する必要もなく「おめでとう」と返せばいい。それだけでいい気持ちになれます。

言霊というけれど、やっぱり言葉の力は強い。

お正月だけではなく、こんな風に前向きな言葉を毎日交わすようにしたら、世間はいつもご機嫌になるのではないでしょうか。

 

もう一つの発見は、喪中のお知らせに対して返礼のお葉書を頂くととても嬉しい、ということでした。それは年賀状に勝るありがたさです。毎年受け取る年賀状は、習慣化されていて親しい人の近況をあらためて知る楽しいものです。そして、相手への気遣いよりは子供の成長やニュースを伝えるお知らせが多いように感じます。幸福の共有、これもお正月を幸せにしている要素の一つかも知れません。

逆に喪中欠礼への返礼は悲しみの共有です。しかし、それは、こちらを気遣う言葉にあふれていて本当に自分を思って筆を執ってくれたと感じ心に沁みました。私自身、そんな風に葉書を返したことがなかったかも知れないと教えられました。

 

なんだか新年早々、喪中なんて少し縁起でもない話になってごめんなさい。

年越しの習慣ひとつにも先人の知恵がちりばめてあることをあらためて感じます。

気持ちは明るく元気に2018年を迎えられた自分に「おめでとう」と思っています。

(YK)

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心地良い雑談とNGな雑談の違いって?

2017年12月14日

XMAS Tree少し前ですが、海外でその国の某航空会社に翌日の帰国便の予約確認で電話をしたときのこと、PCで予約状況を調べていると思われる間に

「So did you enjoy staying here ? (それで滞在は楽しみましたか?)」と尋ねられました。

予約の回答が返るとばかり思っていたところで、違う問いかけがあったのでとっさにに意味がわからず「?」訊き返すと「ここは気に入りましたか?」と自然に尋ねてきます。

「もちろん楽しかったですよ」と慌てて返しながら、感じが良いオペレーターだなあ、なかなか良い国だなあと感じ、また航空会社の印象がアップしたことがありました。

 

また先日、あるチェーンのコーヒーショップでコーヒーが出来るのを待っていると、後ろに並んでいた外国人の順番が来ると注文をする前に

「こんにちは!今日は元気?」と尋ねる声が耳に入りました。

もしかするとその声かけも外国人にとっては習慣化されているもので、社交辞令なのかも知れませんが、それでも無言よりは楽しい雰囲気に変わることを感じました。

そう気にしだすと、日本人はあまりに日々、事務的な会話しかしていないことが気になります。

仕事柄、接客をする職業の人達には「挨拶をしましょう」「雑談をしましょう」と伝えていますが、私自身が接客をされる側に立つと相手に言葉をかけることはしていないようです。

コーヒー店では「カフェオレのトール一つ」だけ、コンビニではひどい時には無言なときもあります。

受け取るときには、「ありがとう」と返すことは心がけていますが、最初の挨拶や雑談はあまり意識していません。

接客する側にばかり求めていて、される側が無言で無表情だったら、接客する人のモーチベーションも下げてしまうかも知れません。

接客する側だけではなく客の側も雑談をしても良いのではないでしょうか。

 

そしてある時、自宅マンションのエレベーターで高齢の男性と乗り合わせたとき、ちょっとしたお天気の話題をするとその方があれこれお喋りを始めました。

そして降り際に「いや一人暮らしだから、一日話していないもんだから失礼しました」と照れながら一言。

何気ない会話が他人をいやすこともあるのです。

 

しかし、余計な雑談に腹が立つときもあります。

美容院で髪をスタイリングしてもらいながら「お正月休みはどう過ごされますか?」というような質問。

顔なじみではなく、たまたま髪を洗ってくれている若いスタッフであったりすると、「興味もないのに雑談をしなさいと言われているからしている質問だなあ」「あなたにプライベートなことを答えたくないわ」と心の中で思ってしまい面倒になります。

美容院で話かけれられるのが嫌いという人は多いですが、たいてい私のような理由ではないかと思います。

もちろん自分の話を聴いて欲しい客もいるでしょう。私はむしろスタッフに質問をするほうが好きでこちらのプライバシーには踏み込まず話題を提供をしてくれる人とは話が弾みます。

とは言え誰とでも良いというわけではなく、自分の話をするにしても相手がどんな話題が好きなのかを察知する力がないと、ただのお喋りでうるさい人になってしまいます。

さらに、いつもは話好きな人でも気分によっては静かな時間を好む時もあるでしょう。それも忖度の必要があります。

人を楽しませる雑談とは、なかなか難しい。

 

またタクシーの運転士さんは情報をたくさんくれる人もいますが、愚痴を聞かされてしまったり、具合が悪くて乗っているのに長々話をする人がいたり。愛想の悪い客と思われたくなくて、ついつい疲れてしまうこともあります。

 

では親しくない人に受け入れられる雑談のコツは何でしょうか。

まずは一般的なこと、お天気の話などが当たり障りなく相手の気持ちを読み取れます。

暑さも寒さも晴天も雨の日も平等に皆に起こることだから、誰も傷つけないからです。

 

さらに踏み込むときは、未来に向けた質問よりも過去や現在のことに向けた質問のほうが適しています。

「クリスマスはどう過ごしますか?」

と聞かれたら、予定がなければ寂しくなるし、素敵なイベントがあってもそれは他人と共有したくないかも知れません。

「クリスマスはどう過ごしましたか?」が良いのでしょうか。これでもまだ「余計なお世話」な質問です。

それでは、どう聞いたら良いのでしょう。

「クリスマスは楽しみましたか?」はいかがでしょう。

何故なら、楽しければ話したくなるかもしれないし、多くを語りたくなければ「ええお陰様で」で会話を締めくくることが出来ます。

5W1Hの質問ではなく、感情を聴く質問でさらりと流して様子を観察してください。

「楽しかった」だったら「良かったですね~」と共感を示して相手が話すのを待ちましょう。

そこで「どこか行かれたんですか?」と畳みかけないように。

一方、「別に・・・」と返って来たら沈黙するのも手です。

そう「沈黙」を恐れない心構えも必要です。

 

あー雑談って難しい!

でも雑談力を皆で磨くと楽しい社会になりそうな気がします。

(YK)

TVに学ぶビジネスパーソンの身嗜み

2017年10月29日

企業に伺うと、経営者から営業パーソンまで身嗜みについてアドバイスを求められることがあります。先日、TVドラマのスタイリストとして活躍されている方の個展に行き、ヒントを得たので紹介します。

男性の身嗜み

そのスタイリストさんは、ドラマのキャラクターの服装を職業や業界からイメージを膨らませて行くようです。たとえば、キャリアウーマンの服選びでは、いつもスーツを着ていてインナーはキャミソールだけれど、アフター5に彼の家に行くという設定では、ジャケットを脱いだ時に美しく見えるインナーを合わせるというようなことまで考えて選ぶようです。

 

これは、客観的にスタイリストが考えるその役の女性のキャラクターからライフスタイルまで際立たせた服選びです。皆さんは、自分が他人に与える印象とビジネス上の効果を考えて服選びをしているでしょうか。

 

TVドラマに出てくる女性は、その個性を強烈に服で際立たせて、こちらに伝えています。たとえば今話題の、米倉涼子さんが「絶対に失敗しない」外科医を演じているドラマ。ドラマの中では、米倉さんはプロフェッショナルな女医ですから、ヘアスタイルも服装もシャープです。しかし、他人に媚びないという自信がある女性ですから、足元は9センチのヒールのパンプスを履いています。スニーカーを履いているほうが実際の外科医により近いと思いますが、それでは彼女のキャラクターは伝わりません。スタイリストがTVを見ている人にキャラクターを理解してもらうために選んでいるファッションであり身嗜みです。確かに、「この医者なら失敗しないだろう」というオーラを感じます。

とすると、私たちもプロフェッショナルでありたいと思うのであれば、自分が他人に見せたい姿ではなく、相手が見たい姿であるようにファッションを選ぶ必要があるのかも知れない、と気付きました。

 

いつもニュース番組を見て思うことですが、女性キャスターはカジュアルな服を着ていて男性キャスターはスーツ姿。これだけで、視聴者は女性がメインではなくアシスタントなんだ、というメッセージを受け取ります。またお天気担当の女性とニュース担当の女性では服装が違う。政治や経済のニュースのほうがお天気のニュースより重要なのだというスタンスが表れています。

とすると女性は服装が男性のように決まり切ったスーツを着ているわけではないので、自分自身のプロフェッショナル度は自分でもっとファッションから押し出して行く必要があるのではないでしょうか。

 

おしゃれをしていてもアフター5のデートに着て行くようなレースがあしらわれたフェミニンなワンピースでは、アシスタントなのか責任者なのか分かりません。本人はおしゃれなキャリアウーマンのつもりでも、相手の関心は、きちんとしたビジネスが出来る人なのかどうかということにあるのです。「素敵な女性」と思われたいのか「仕事を任せられる女性」と思われたいのかでは服選びが変わるはずです。ギャップを狙っている? それは、本当にプロフェッショナルとして認められてからにしましょう。

 

正直なところ私自身は決まりきった身嗜みのルールは嫌いです。たとえば新入社員研修だから講師も新入社員と同じ服装でお願いします、と言われたりするとかなり抵抗します(笑) というのは、いい年齢になってリクルートスーツを着たところで似合わないし、おかしいからです。服装にも年齢や立場を考えないとちぐはぐになります。

 

しかし、身嗜みにゆるい会社や何でもいいと思っている人も疑問です。日本はクールビズを導入するようになってから、かなり服装について「なんでも良い」という風潮が広まったように感じています。かつて、半袖のスーツを考案した大臣がいたり、最近ではスーツでスニーカー通勤を勧める大臣もいますが、これは少し違うのではないかと思っています。

暑いのが嫌であれば自分で涼しくて清潔であるように考えればよいのだし、ウォーキングしたい人は既におしゃれなスニーカーを愛用して、会社に着くと履き替えるような工夫をしているはずです。何も、洋服の着こなしのルールを外れるようなことを公認して見せて、センスがない人をますますセンス悪くする必要はないのではないでしょうか。

そして、ビジネスカジュアルはリゾートではありません。ビーチにこれから行くようなスタイルの人では、真剣に仕事をしているのかどうか疑われてしまうでしょう。もちろん、芸術的な感性を使う仕事や樂であることが仕事しやすい場合もあるとは思います。

 

自分のスタイルが企業を表しているという経営者もいるでしょう。それはそれでメッセージ発信の一部なのできちんとした方針やこだわり、そして周囲との調和、TPOを理解していればば良いでしょう。

ただ重要なのは、相手にそれがきちんとメッセージとして届いているかどうか、また顧客の期待に沿っているかどうか、その視点は忘れないようにしたいですね。靴をピカピカに磨くのも、アイロンのかかったシャツもメッセージです。

私自身も気を付けないと。自分を棚にあげて書いていみました。

(YK)

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イタリア式コミュニケーション

2017年7月16日

Gentlemen先日、イタリアのファッションの会社で働いていた頃のイタリア人の同僚と10年ぶりに再会しました。

私が知っている男性の中ではもっとも素敵だなあと思う男性の一人で、初めて会った時は仕事ながら心ときめかしたものです。

彼は元々ホテルに勤めていたこともあり、イタリア人でもことさら人とのコミュニケーションが上手でした。

たとえば、朝、顔を合わせるたびに「Good morning, Yayoi ! You look so beautiful in black dress today  !」(おはようございます! 今日は黒いドレスが素敵だね!)というような会話から始まります。彼だけではなく彼と一緒の職場の男性もまた同じでした。

久しぶりに会えば、「素敵な服が似合っている!何故君はいつも素敵なのだろう」なんてことを平気で言うのですから、最初の頃はドキドキしました。

もちろん、誰にでも言っているわけで社交辞令ではあるのですが、その時の表情はちゃんとこちらの目を見て賞賛の表情を忘れません。

段々慣れてくると「イタリア人は調子がいいわ」と思うようになるのですが、それでも朝一番から褒められれば悪い気はしないもので、楽しい気持ちになります。

そして、そう言ってくれる彼には良くしてあげようという気持ちになりますし、彼らと会うときはお化粧も手抜きが出来ないと思ってしまいます。

ちなみにこの時の会社はファッション業界ですから、オシャレを誉められることは理にかなっているのです。

 

さて、ホテルのコーヒーショップで10年ぶりに再会した彼は、素敵でしたがやっぱり10年の月日を重ねていました。さらにショックだったのは、今回、最後まで「You look so beautiful」という言葉は彼の口から出なかったこと。やっぱりオバサンになっていると思ったんだ、ととってもショックでした。

かつてのコメントは社交辞令ではなかったのか、と思い直そうと風雑な気分に。最近、手抜きをしていたかも知れない、それに彼を褒めることもしなかった、と悔やんでいます(笑)

 

 

ファッション業界に限らず、この褒める習慣は日本の企業でももっとあってもいいのではないかと思います。男性が女性を褒めるばかりでなく、女性も男性をもっと褒めても良いのではないでしょうか。お互いに、褒めあうことはお互いを見ている証拠ですし、何より良い気分になれるからです。そして自分に良いコメントをくれる人は、敵でないと感じられますね。

日本の男性でも女性を褒めててくれる人は、もちろんいます。特に社長さんや部長さんなど親愛を示してくれる人はいますが、気を付けたのは、女性を褒める時は女性のいる前。

一人を褒めることで他の人が落とされて感じることもあるからです。女性は敏感です。

 

 

そんな事を考えていると別のニュースを耳にしました。

トランプ大統領がフランスを訪問した際に、マクロン大統領夫人のブリジット氏に対して会うといきなり「いいスタイルをしていますね!」とコメントしたと言うのです。これはトランプ大統領が女性を物として見ているだとか、セクハラだということで大非難されているようです。どこが失敗だったのでしょう。

相手を褒める時は、相手が何か努力をしていたり工夫をしているところを褒めてあげるのがコツです。ファッションセンスや表情は本人の工夫で変えられます。しかし、体形そのものは、いくら体形を保つには陰には努力があるとはいえ、あからさまで失礼です。また、その時の表情や仕草にもブリジット氏への敬意が感じられません。

誉めるのにもTPOをふまえなくてはいけないし、センスがいるのです。そして、日頃の行いも影響するのです。トランプ大統領は女性蔑視ではないかというイメージがそもそもあるので、こうした行動はすぐにやり玉にあがります。

誉め方にも品位が必要なのです。

 

 

往々にしてよく人を褒める人は、褒められることも好きな傾向があります。男性については、ネクタイの柄や洋服の色合わせを誉めると間違いがないようです。

たいてい、工夫をしているケースが多いからです。モノトーンの柄のネクタイをしている男性に「シャープで素敵ですね」とコメントしたら「貴社のカンパニーカラーに合わせて選んで来ました」と言われたことがありました。途端にお互いの好感度が増したことがありました。

褒めたら褒めっぱなしではなく、もう一度、「とってもお似合いです!」と念押ししてあげると良いですね。良い行動はきちんとフィードバックしてあげることが人を育てる基本です。相手はさらに磨かれていくでしょう。

 

 

自分の周囲にはオシャレな男性がいない、会社の女性は不愛想だ、とう声を企業に勤務する人から良く聞きます。是非、褒めることから始めてください。

褒めてくれる人がいる、見られている、と思うと努力をするようになります。人は見た目でないというけれど、人の判断材料はまず外見です。連休があけたら、隣の席の同僚をまず褒めてあげてみてください。きっとあなたに対して優しくなりますよ。

YK

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好奇心を見抜く方法

2017年7月9日

Happy hour接客に従事する人材の採用に長く携わっていましたが、現場で本当に良いサービスをするためにはどれだけ多くの経験を積んでいるかということが重要な要素だと考えて来ました。

それを知りたくて面接では、学生時代の部活やアルバイトの経験を聞くのですがそれだけでは十分ではない、年齢を経なければという部分があると、自分が年齢を重ねるに連れてますます感じるようになりました。

つまりオバサンは若い人のサービスでは満足できないところもある(笑)

でも、誰にとっても年齢は先取りできない。

ではどうするのか。好奇心が必要だと思うのです。若いアルバイトであっても母親のようなオバサンたちに好奇心を持てるか。

ここが接客では重要ではないでしょうか。

 

先日、女性の友人3人で早い時間にタパスバーへ行ったときのこと。

17時からのハッピーアワーを知っていたのでその店に行ったのですが、入ったのは16時45分。学生アルバイト風なウェイトレスがメニューを持って来ました。

ハッピーアワーはまだですか、と聞くと「17時からです」と不機嫌そうに答えます。その表情におもてなしも何も感じなかった私たちは「じゃあ、17時まで待つわ」とぴしゃりと言いました。そして17時になってからオーダーをしました。

なぜひとこと笑顔で「17時からですが、お待ちになりますか?冷たいビール先にいかがですか」と言えないのでしょう。

そうすれば、きっと私たちは待ちきれずにビールを頼んだに違いないのです。

 

こういう経験はきっと多くの方がしていますよね。

友人と何故こういう態度になるのだろうという話になりました。彼女はこの店のオーナーではなく、私たちがハッピーアワーだろうが通常の料金だろうがそれほど自分に影響はないはずです。

ではなぜ不機嫌なのかというと彼女の仕事が一度で終わらなかったから(注文を聞きに来たのにもう一度下がらなくてはならないし、自分の仕事が終わらない)、ハッピーアワー目当ての安い客だと少し下に見たから、でしょうか。

私たちの結論は、きっと彼女はこういう客の楽しさを知らないからだということになりました。つまり、共感力が足りないのです。

でも、母親くらいのおばさんに共感しろと言っても無理な話かも知れません。

オバサン3人が17時前なんて中途半端な時間ににぎやかに嬉しそうに入って来た。あーきっとお喋りしたいんだろうなあ、家に帰る前にハッピーアワーだから飲んじゃえ、というような気持ちかな楽しそう。

と、思うと返答も異なると思うのですが、まだ学生の彼女に、仕事も家庭もちょっと離れて女友達と思い切りお喋りが出来るというときの解放感と嬉しさは想像できないかも知れません。共感しろと言っても無理。

うーん、では彼女は、朝から有名パンケーキの店に並ぶ人の気持ちなら分かるのかしら。それも疑問です。そして誰もが全てを経験できるわけではありませんよね。

 

だとしたらやっぱり好奇心ではないでしょうか。

このオバサンたち、嬉しそうに来たけど何をしたいのだろう、何が好きなのだろう、お目当ては何、などと好奇心を持つ。そういう人にはきっと「察しの心」が生まれ、能動的なサービスも提供できるのです。

そして、会話も生まれるからさらに良いサービスが実行できるのです。

好奇心。

これを面接で見抜くのは、さらに難しいかも知れません。

どんな方法があるか考えて見ました。

こちらへの答えで見抜くのではなく、こちらへどのような問いかけをするのか、それを判断材料に出来るのではないでしょうか。

相手の質問から、相手の好奇心がどこにあるのかをはかることが出来るように思います。

面接官はとかく自分で話しすぎです。そして相手の答えで判断をしがちです。

しかし相手の答えは既に準備して来たこと。

相手に質問させてみると好奇心が見えて来るかも知れません。

年齢、外国人、ダイバーシティが進む社会では共感力が必要。

そのためにも好奇心必要です。

(YK)

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他人のふりから学ぶこと。

2017年6月28日

angry-2191104_1280性国会議員の罵倒が連日、TVを付けると聞こえてきます。

「ハゲー!!!」

あり得ないでしょう、こんな暴言、しかも手は出るしそれ以上に家族を脅すような発言には驚きます。

SNSでも色々な記事や人達が、エリートとして生きて来た彼女にはミスをすることが許せない、他人の痛みが分からない、上から目線の人なのだ、というようなコメントを書いています。

成功者でプライドが高いから自分がいつも正しいと思っている、というようなコメントが大半です。

 

しかし、私は少し違う見方をしています。

何故ならば、何度も聞いているうちに誤解を恐れずに言うのであれば、私もこんな風に上司に怒りをぶつけられたり、私自身が部下を罵倒した経験があったなあと思い出したからです。

まだ、若いCAの頃、ファーストクラスの朝食で卵料理を次々と失敗して、お客様に卵を出せないまま到着してしまったことがありました。

さすがに私も取返しの付かないミスだと自分自身でも情けなくなり落ち込みました。

上司のパーサーは、そんな私の傷に塩を塗るように「大金を払っているファーストクラスのお客様に、卵も出さないで飛行機を下すなんて、なんて失礼なんだ!私のお客様になんということをしてくれたんだ!」とそれこそ私は生きている権利はない人間であるかのように一時間以上、制服を着たまま到着後のオフィスの片隅で、火山のように爆発したように怒鳴り続けました。

最後はちゃんと会社に報告されて、出来ないCAの烙印を押すことも忘れていませんでした、、、

 

そして会社員時代には、改築した本社をお客様にお披露目するというときに部屋の準備が完璧でなかったということで、外国人の上司に英語でいうところの4文字単語でののしり続けられたこともありました。

「君はどんなに大切な機会であったかを理解していない。二流の会社だと思われたかも知れない! 〇X〇X!! 〇△?✖!!!!」

ひどい言葉が続いて、そのときは、周囲の同僚のほうが私が会社を辞めるのではないかと、心配して青くなっていました。

どちらも共通するのは、二人ともお客様に対して真剣であったということです。

二人とも、誰にでも間違いがあるのは、わかっている上司たと思います。

それほどまでに怒らせたのは、何故大切なお客様に対して、自分と同じくらいの全力を尽くして仕事にあたらないのかという怒り、そして大切なお客様に失敗をしてしまったという悔しさ、だと思うのです。

こういう上司は、得てして完璧主義であり、本人であればきっときちんとやり遂げる人です。

他人の痛みが分からない、相手が自分のように仕事が出来ないことを理解出来ないのではなく、自分と同じ高い目線を持っていないことに対する怒りだったと私は受け止めました。

私自身が部下を怒ったときも、お客様に対してお詫びのしようのない間違えをしたときでした。

こみあげてくる感情はくやしさ。

何故、この想いを共有してくれないのか、相手に失礼なことをしてしまった、という怒りでした。

と考えると、この議員が秘書が相手先を間違えて大切な手紙を出してしまったことにこれだけ怒り心頭するのは、少し理解が出来る気がします。

 

特に女性は受け流すのが苦手です。

起きてしまったことを何度も何度も繰り返し考えて後悔するのが得意なのが女性です。

私は東大出身でもエリートでもないけれど、お客様へ一生懸命しようとする気持ちが共有できない人には我慢が出来ません。

男性国会議員が「こんなの良くありますよ」と発言して撤回に及びましたが、真剣に仕事をしている人であれば、このような場面に遭遇したことはあるのではないでしょうか。

 

こうしたことが起こるとひとくくりに、人のバックグラウンドで傾向を語ってしまう危険を感じます。

もちろん、彼女の態度や言葉は、彼女が長い人生で身に付けた人間性を表しますからそこに人の上に立つ適性があったかどうかは疑問です。

 

どんなに悔しくても腹立たしくても、怒りを人にぶつけることは、人間関係を崩し、やがて自分に返って来ます。

何より怒りに向けられたエネルギーは大きい。

そのエネルギーをそんな無駄なところに使ってはいけないですね。

大きなビジョンに向かっている人、多くの人を動かさなくてはならない人は平常心を保つ習慣を身に付けることが必要ですね。

最近、他人に言われてやっていることは距離を置くことです。

何か起こるとせっかちな私はすぐに反応し、すぐに解決しようと、メールをしたり会おうとしたり。

しばらくほおって置くと、どうでも良いことに変わったり、不用意な発言をしないで済みます。

この議員さんも車の個室にいたから、余計な発言がエスカレートしましたよね。

繰り返しますが、彼女に非がないとは私は思っていません。しかし色々な見方をしなくてはいけないと思います。

 

働く女性は心を休める時間を持ちましょうね。

YK

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ハンカチと豚の貯金箱

2017年6月18日

実は先日、贈り物で失敗をしました。

香港の仕事先の女性が転職するというので、いつもお世話になっているお礼のつもりで書類を送る際にあわせてハンカチを贈ったのです。

地元横浜のブランドの美しいハンカチ。

彼女はすぐにメールをくれて「とってもきれい!ありがとう」

と言ってくれました。

 

さて、もう会えないつもりがやはり出張しなくては仕事が済まなくなり彼女の最終出勤の一日前に香港へ。

再び顔を見ることが出来て良かったのですが、全ての引き継ぎが終わった後に彼女が「これあなたに」と思いがけずプレゼントをくれました。

いつもクールな彼女がそんなことをしてくれるなんて、かえってハンカチで気を使わせたかしらと思いつつも嬉しくなりました。

「あけてもいい?」と聞くや否やその場でプレゼントを開けてみると出て来たのは金色の豚の貯金箱!

背中には福の字が書いてあるではないですか。

金ぴかの可愛い顔の豚・・・・

びっくりしてしまった私。

「わー、縁起が良さそう!、お金たまりそう!」

取りあえず言うと

「かわいいでしょう」

と彼女はにっこり。

そして「商売繁盛祈っていますね。会社が成長しますように!」と言ってくれました。

 

 

さて日本に帰国してから調べると、やはり金色の豚の貯金箱は風水グッズで中華系の人達には人気なようです。

中華圏だけではなく、豚は子だくさんでヨーロッパでも冨の象徴を表し、日本でも豚の貯金箱は人気なよう。

特に、金色は玄関に置くとお金が入ってくるそうです。

金の豚あらためて彼女の心づくしの品物に感謝。

ところが、それと同時に中華圏の人に贈ってはいけないものがいくつか書かれていました。

時計、傘、扇子、刃物、粽、ハンカチ・・・

え、ハンカチ!

お香典のお返しに使われるので永遠の別れを暗示して縁起がよくないと書いてあります。

私は豚で驚いたけど、彼女もハンカチで驚いたかしら。

知り尽くしていると思った香港でしたが私もまだまだ知らないことがありました。

異文化のコミュニケーション、気を付けなければ誤解の元になりますね。

 

ところで、彼女とのオフィスでの最後の別れ。

香港人は見送りをあまりしません。

彼女は4年の付き合いですが毎回、オフィスのガラスのドアを私が出るや否や背を向けて奥の部屋へと戻っていきます。

日本人の癖で振り向くと、彼女はそこにいない(笑)

最後くらい名残を惜しんでくれるかなあ、と今回も後ろを振り向くと既に彼女の立ち去る後姿がそこに見えました。

あっさりしています。

方法は異なるけど、商売繁盛を祈ってくれたことが

何より彼女の気持ちなんでしょうね。

多謝。

YK

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思いに寄り添うものの価値

2017年6月11日

advertising-1846054_1280来週は父の日。

何を贈りますか。

父のいない私は贈る相手のいない寂しさを感じます。

 

最近、断捨離という価値観が最近では重視されて

物はなるべく持たない、

そしてブランドなどという他人に見せるためのものはカッコ悪い、

物は機能を果たせば良いのであってそこにお金をかけるのは愚かである

というような風潮もあります。

そうした会話を耳にすると「分かっていないなあ」と紹介したくなるのがかつての上司に教えてもらった「物の価値」です。

たとえば、あなたが毎日毎日、手帳に予定やTO DO LISTを書きこんでそれを眺めることが重要なことだと感じているとします。

それだけであるならビニールの表紙であろうが紙のノートであろうが構わない。

それで特に問題を感じなければそれでいい。

ただ、毎朝、手帳を見ながら今日の予定に思いをめぐらす時

年月を重ねるごとに手触りがなじんだ良質の革に去年のことも思い出され

そして今日もまた頑張ろうと思う

そうした瞬間を大切にする人にとっては、自分の人生に相応しい手帳を選ぶだろう。

物は、機能であって、他人に見せびらかす必要もなく、ステータスを表す時代も終わったのかも知れません。

しかし使用するだけではなく、誰に贈られたのかいつ手に入れたのか、それを使って自分が何を感じるのか、

思いに寄り添ってくれる物は、いつの時代も誰にとっても大切でしょう。

思いに寄り添ってくれる物は捨てられない。

 

先日、友人が10年も前にが亡くなったお父様にあげた時計がまだ動いていると

自分で身に付けていました。

そしてそれをプレゼントした時の自分の気持ちも話してくれました。

ビジネスの景気が良い時だったので両親に高価なペアウォッチを贈ったこと。

お母様とお父様とでは性格が違って時計の扱いも異なり、お母様はすぐダメにしてしまったこと。

懐かしいほほえましいエピソードが友人の想いと共に語られました。

物がなければ、私はそのエピソードには出会えず、そしてそんな話を語る友人がさらに好きになりました。

形見。

そういえば亡くなった人の品物は「形に見える」形見。

見えないものは形に宿るわけですね。

 

さて、父の日、何を贈りますか。

YK

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人との出会いは真剣勝負

2017年6月1日

茶の湯

東京国立博物館特別展「茶の湯」

先日、週末に知人女性が主催をして女性ばかりのワークショップを行いました。

週末なるべく多くの女性に集まって頂きたいと価格は抑えめ。

それでもお茶とお菓子を用意したいと主催者の女性は準備に余念がありませんでした。

前日に彼女から打ち合わせの電話がありました。

「コーヒーカップが足りないけれどあるかしら?紙コップではね?」

私は、人数も多いしいつも他のセミナーでは紙コップはおろか、お茶も出ないところが多いので

「いいのではないでしょうか」と答えたら彼女からの返答はこうでした。

「だってオモテナシズムだし。テーマはココ・シャネルに学ぶ、だし。紙コップはないでしょう」

 

 

さすが、グローバルな数々のおもてなしを経験している先輩女性です。

私は電話のこちらでたちまち赤面。

おっしゃるとおり。

それはいつも自分が言っていること。

グラスひとつであってもブランディングには重要なのです。

おもてなしは細部に宿ります。

「ラグジュアリーは裏も表も美しい」とはココ・シャネルの言葉です。

結局、全て陶器の食器を準備していただきました。

毎回、セミナーをする時には「一期一会の気持ちで、お互いにベストを尽くしましょう」と言いながら、ついつい細部を見逃していた私。

もし、ここに皇室の雅子様が出席するとしたらどうでしょう。

いくら私でも当然気が付いて準備していたに違いありません。

でも、私の話を聴きに来て下さる方はどなたであっても、たとえ無料の時でもお客様です。

雅子様以上に大切にお迎えしなくてはいけないはずです。

それがオモテナシズム流のはず。

それなのに、自分が出来ていませんでした。

 

 

紙コップに気もちがこめられないわけではありません。

ただ、大切な人に美味しいお茶を飲んで頂くためには、少し手間であっても使い捨てではない食器を用意しその準備と片付けにも時間をかけるプロセスが「おもてなし」なのです。

いつもどこでも出来るわけではありませんが、私が「おもてなし」を語っているのであれば実践しなくては、誰も信じてくれませんね。

そしてそれがオモテナシズムのブランドを示すこと。

 

一流の「おもてなし」には絶対失敗しないという緊張感が必要です。

ちょうど今、上野の東京国立博物館で「茶の湯」という特別展が開催されています。

そこには数々の茶器や茶の湯にまつわる道具が展示されていますが、当時の茶人が権力者たちをもてなした時の茶器や掛け軸がかかっています。

どんな思いで選んだのだろうか。

ひとたび気に入らないとなると、機嫌を損ねてしまう危険性すらあったでしょう。

そう思うと真剣に見入ってしまいました。

人と人との出会いは、取返しの付かない真剣勝負です。

現代では、私たちはとても簡単に人をもてなしています。

場所と時間と物、もっともっと相手を考えなければと

心新たにしています。

YK

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