TVに学ぶビジネスパーソンの身嗜み
2017年10月29日
企業に伺うと、経営者から営業パーソンまで身嗜みについてアドバイスを求められることがあります。先日、TVドラマのスタイリストとして活躍されている方の個展に行き、ヒントを得たので紹介します。
そのスタイリストさんは、ドラマのキャラクターの服装を職業や業界からイメージを膨らませて行くようです。たとえば、キャリアウーマンの服選びでは、いつもスーツを着ていてインナーはキャミソールだけれど、アフター5に彼の家に行くという設定では、ジャケットを脱いだ時に美しく見えるインナーを合わせるというようなことまで考えて選ぶようです。
これは、客観的にスタイリストが考えるその役の女性のキャラクターからライフスタイルまで際立たせた服選びです。皆さんは、自分が他人に与える印象とビジネス上の効果を考えて服選びをしているでしょうか。
TVドラマに出てくる女性は、その個性を強烈に服で際立たせて、こちらに伝えています。たとえば今話題の、米倉涼子さんが「絶対に失敗しない」外科医を演じているドラマ。ドラマの中では、米倉さんはプロフェッショナルな女医ですから、ヘアスタイルも服装もシャープです。しかし、他人に媚びないという自信がある女性ですから、足元は9センチのヒールのパンプスを履いています。スニーカーを履いているほうが実際の外科医により近いと思いますが、それでは彼女のキャラクターは伝わりません。スタイリストがTVを見ている人にキャラクターを理解してもらうために選んでいるファッションであり身嗜みです。確かに、「この医者なら失敗しないだろう」というオーラを感じます。
とすると、私たちもプロフェッショナルでありたいと思うのであれば、自分が他人に見せたい姿ではなく、相手が見たい姿であるようにファッションを選ぶ必要があるのかも知れない、と気付きました。
いつもニュース番組を見て思うことですが、女性キャスターはカジュアルな服を着ていて男性キャスターはスーツ姿。これだけで、視聴者は女性がメインではなくアシスタントなんだ、というメッセージを受け取ります。またお天気担当の女性とニュース担当の女性では服装が違う。政治や経済のニュースのほうがお天気のニュースより重要なのだというスタンスが表れています。
とすると女性は服装が男性のように決まり切ったスーツを着ているわけではないので、自分自身のプロフェッショナル度は自分でもっとファッションから押し出して行く必要があるのではないでしょうか。
おしゃれをしていてもアフター5のデートに着て行くようなレースがあしらわれたフェミニンなワンピースでは、アシスタントなのか責任者なのか分かりません。本人はおしゃれなキャリアウーマンのつもりでも、相手の関心は、きちんとしたビジネスが出来る人なのかどうかということにあるのです。「素敵な女性」と思われたいのか「仕事を任せられる女性」と思われたいのかでは服選びが変わるはずです。ギャップを狙っている? それは、本当にプロフェッショナルとして認められてからにしましょう。
正直なところ私自身は決まりきった身嗜みのルールは嫌いです。たとえば新入社員研修だから講師も新入社員と同じ服装でお願いします、と言われたりするとかなり抵抗します(笑) というのは、いい年齢になってリクルートスーツを着たところで似合わないし、おかしいからです。服装にも年齢や立場を考えないとちぐはぐになります。
しかし、身嗜みにゆるい会社や何でもいいと思っている人も疑問です。日本はクールビズを導入するようになってから、かなり服装について「なんでも良い」という風潮が広まったように感じています。かつて、半袖のスーツを考案した大臣がいたり、最近ではスーツでスニーカー通勤を勧める大臣もいますが、これは少し違うのではないかと思っています。
暑いのが嫌であれば自分で涼しくて清潔であるように考えればよいのだし、ウォーキングしたい人は既におしゃれなスニーカーを愛用して、会社に着くと履き替えるような工夫をしているはずです。何も、洋服の着こなしのルールを外れるようなことを公認して見せて、センスがない人をますますセンス悪くする必要はないのではないでしょうか。
そして、ビジネスカジュアルはリゾートではありません。ビーチにこれから行くようなスタイルの人では、真剣に仕事をしているのかどうか疑われてしまうでしょう。もちろん、芸術的な感性を使う仕事や樂であることが仕事しやすい場合もあるとは思います。
自分のスタイルが企業を表しているという経営者もいるでしょう。それはそれでメッセージ発信の一部なのできちんとした方針やこだわり、そして周囲との調和、TPOを理解していればば良いでしょう。
ただ重要なのは、相手にそれがきちんとメッセージとして届いているかどうか、また顧客の期待に沿っているかどうか、その視点は忘れないようにしたいですね。靴をピカピカに磨くのも、アイロンのかかったシャツもメッセージです。
私自身も気を付けないと。自分を棚にあげて書いていみました。
(YK)
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イタリア式コミュニケーション
2017年7月16日
先日、イタリアのファッションの会社で働いていた頃のイタリア人の同僚と10年ぶりに再会しました。
私が知っている男性の中ではもっとも素敵だなあと思う男性の一人で、初めて会った時は仕事ながら心ときめかしたものです。
彼は元々ホテルに勤めていたこともあり、イタリア人でもことさら人とのコミュニケーションが上手でした。
たとえば、朝、顔を合わせるたびに「Good morning, Yayoi ! You look so beautiful in black dress today !」(おはようございます! 今日は黒いドレスが素敵だね!)というような会話から始まります。彼だけではなく彼と一緒の職場の男性もまた同じでした。
久しぶりに会えば、「素敵な服が似合っている!何故君はいつも素敵なのだろう」なんてことを平気で言うのですから、最初の頃はドキドキしました。
もちろん、誰にでも言っているわけで社交辞令ではあるのですが、その時の表情はちゃんとこちらの目を見て賞賛の表情を忘れません。
段々慣れてくると「イタリア人は調子がいいわ」と思うようになるのですが、それでも朝一番から褒められれば悪い気はしないもので、楽しい気持ちになります。
そして、そう言ってくれる彼には良くしてあげようという気持ちになりますし、彼らと会うときはお化粧も手抜きが出来ないと思ってしまいます。
ちなみにこの時の会社はファッション業界ですから、オシャレを誉められることは理にかなっているのです。
さて、ホテルのコーヒーショップで10年ぶりに再会した彼は、素敵でしたがやっぱり10年の月日を重ねていました。さらにショックだったのは、今回、最後まで「You look so beautiful」という言葉は彼の口から出なかったこと。やっぱりオバサンになっていると思ったんだ、ととってもショックでした。
かつてのコメントは社交辞令ではなかったのか、と思い直そうと風雑な気分に。最近、手抜きをしていたかも知れない、それに彼を褒めることもしなかった、と悔やんでいます(笑)
ファッション業界に限らず、この褒める習慣は日本の企業でももっとあってもいいのではないかと思います。男性が女性を褒めるばかりでなく、女性も男性をもっと褒めても良いのではないでしょうか。お互いに、褒めあうことはお互いを見ている証拠ですし、何より良い気分になれるからです。そして自分に良いコメントをくれる人は、敵でないと感じられますね。
日本の男性でも女性を褒めててくれる人は、もちろんいます。特に社長さんや部長さんなど親愛を示してくれる人はいますが、気を付けたのは、女性を褒める時は女性のいる前。
一人を褒めることで他の人が落とされて感じることもあるからです。女性は敏感です。
そんな事を考えていると別のニュースを耳にしました。
トランプ大統領がフランスを訪問した際に、マクロン大統領夫人のブリジット氏に対して会うといきなり「いいスタイルをしていますね!」とコメントしたと言うのです。これはトランプ大統領が女性を物として見ているだとか、セクハラだということで大非難されているようです。どこが失敗だったのでしょう。
相手を褒める時は、相手が何か努力をしていたり工夫をしているところを褒めてあげるのがコツです。ファッションセンスや表情は本人の工夫で変えられます。しかし、体形そのものは、いくら体形を保つには陰には努力があるとはいえ、あからさまで失礼です。また、その時の表情や仕草にもブリジット氏への敬意が感じられません。
誉めるのにもTPOをふまえなくてはいけないし、センスがいるのです。そして、日頃の行いも影響するのです。トランプ大統領は女性蔑視ではないかというイメージがそもそもあるので、こうした行動はすぐにやり玉にあがります。
誉め方にも品位が必要なのです。
往々にしてよく人を褒める人は、褒められることも好きな傾向があります。男性については、ネクタイの柄や洋服の色合わせを誉めると間違いがないようです。
たいてい、工夫をしているケースが多いからです。モノトーンの柄のネクタイをしている男性に「シャープで素敵ですね」とコメントしたら「貴社のカンパニーカラーに合わせて選んで来ました」と言われたことがありました。途端にお互いの好感度が増したことがありました。
褒めたら褒めっぱなしではなく、もう一度、「とってもお似合いです!」と念押ししてあげると良いですね。良い行動はきちんとフィードバックしてあげることが人を育てる基本です。相手はさらに磨かれていくでしょう。
自分の周囲にはオシャレな男性がいない、会社の女性は不愛想だ、とう声を企業に勤務する人から良く聞きます。是非、褒めることから始めてください。
褒めてくれる人がいる、見られている、と思うと努力をするようになります。人は見た目でないというけれど、人の判断材料はまず外見です。連休があけたら、隣の席の同僚をまず褒めてあげてみてください。きっとあなたに対して優しくなりますよ。
YK
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好奇心を見抜く方法
2017年7月9日
接客に従事する人材の採用に長く携わっていましたが、現場で本当に良いサービスをするためにはどれだけ多くの経験を積んでいるかということが重要な要素だと考えて来ました。
それを知りたくて面接では、学生時代の部活やアルバイトの経験を聞くのですがそれだけでは十分ではない、年齢を経なければという部分があると、自分が年齢を重ねるに連れてますます感じるようになりました。
つまりオバサンは若い人のサービスでは満足できないところもある(笑)
でも、誰にとっても年齢は先取りできない。
ではどうするのか。好奇心が必要だと思うのです。若いアルバイトであっても母親のようなオバサンたちに好奇心を持てるか。
ここが接客では重要ではないでしょうか。
先日、女性の友人3人で早い時間にタパスバーへ行ったときのこと。
17時からのハッピーアワーを知っていたのでその店に行ったのですが、入ったのは16時45分。学生アルバイト風なウェイトレスがメニューを持って来ました。
ハッピーアワーはまだですか、と聞くと「17時からです」と不機嫌そうに答えます。その表情におもてなしも何も感じなかった私たちは「じゃあ、17時まで待つわ」とぴしゃりと言いました。そして17時になってからオーダーをしました。
なぜひとこと笑顔で「17時からですが、お待ちになりますか?冷たいビール先にいかがですか」と言えないのでしょう。
そうすれば、きっと私たちは待ちきれずにビールを頼んだに違いないのです。
こういう経験はきっと多くの方がしていますよね。
友人と何故こういう態度になるのだろうという話になりました。彼女はこの店のオーナーではなく、私たちがハッピーアワーだろうが通常の料金だろうがそれほど自分に影響はないはずです。
ではなぜ不機嫌なのかというと彼女の仕事が一度で終わらなかったから(注文を聞きに来たのにもう一度下がらなくてはならないし、自分の仕事が終わらない)、ハッピーアワー目当ての安い客だと少し下に見たから、でしょうか。
私たちの結論は、きっと彼女はこういう客の楽しさを知らないからだということになりました。つまり、共感力が足りないのです。
でも、母親くらいのおばさんに共感しろと言っても無理な話かも知れません。
オバサン3人が17時前なんて中途半端な時間ににぎやかに嬉しそうに入って来た。あーきっとお喋りしたいんだろうなあ、家に帰る前にハッピーアワーだから飲んじゃえ、というような気持ちかな楽しそう。
と、思うと返答も異なると思うのですが、まだ学生の彼女に、仕事も家庭もちょっと離れて女友達と思い切りお喋りが出来るというときの解放感と嬉しさは想像できないかも知れません。共感しろと言っても無理。
うーん、では彼女は、朝から有名パンケーキの店に並ぶ人の気持ちなら分かるのかしら。それも疑問です。そして誰もが全てを経験できるわけではありませんよね。
だとしたらやっぱり好奇心ではないでしょうか。
このオバサンたち、嬉しそうに来たけど何をしたいのだろう、何が好きなのだろう、お目当ては何、などと好奇心を持つ。そういう人にはきっと「察しの心」が生まれ、能動的なサービスも提供できるのです。
そして、会話も生まれるからさらに良いサービスが実行できるのです。
好奇心。
これを面接で見抜くのは、さらに難しいかも知れません。
どんな方法があるか考えて見ました。
こちらへの答えで見抜くのではなく、こちらへどのような問いかけをするのか、それを判断材料に出来るのではないでしょうか。
相手の質問から、相手の好奇心がどこにあるのかをはかることが出来るように思います。
面接官はとかく自分で話しすぎです。そして相手の答えで判断をしがちです。
しかし相手の答えは既に準備して来たこと。
相手に質問させてみると好奇心が見えて来るかも知れません。
年齢、外国人、ダイバーシティが進む社会では共感力が必要。
そのためにも好奇心必要です。
(YK)
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他人のふりから学ぶこと。
2017年6月28日
女性国会議員の罵倒が連日、TVを付けると聞こえてきます。
「ハゲー!!!」
あり得ないでしょう、こんな暴言、しかも手は出るしそれ以上に家族を脅すような発言には驚きます。
SNSでも色々な記事や人達が、エリートとして生きて来た彼女にはミスをすることが許せない、他人の痛みが分からない、上から目線の人なのだ、というようなコメントを書いています。
成功者でプライドが高いから自分がいつも正しいと思っている、というようなコメントが大半です。
しかし、私は少し違う見方をしています。
何故ならば、何度も聞いているうちに誤解を恐れずに言うのであれば、私もこんな風に上司に怒りをぶつけられたり、私自身が部下を罵倒した経験があったなあと思い出したからです。
まだ、若いCAの頃、ファーストクラスの朝食で卵料理を次々と失敗して、お客様に卵を出せないまま到着してしまったことがありました。
さすがに私も取返しの付かないミスだと自分自身でも情けなくなり落ち込みました。
上司のパーサーは、そんな私の傷に塩を塗るように「大金を払っているファーストクラスのお客様に、卵も出さないで飛行機を下すなんて、なんて失礼なんだ!私のお客様になんということをしてくれたんだ!」とそれこそ私は生きている権利はない人間であるかのように一時間以上、制服を着たまま到着後のオフィスの片隅で、火山のように爆発したように怒鳴り続けました。
最後はちゃんと会社に報告されて、出来ないCAの烙印を押すことも忘れていませんでした、、、
そして会社員時代には、改築した本社をお客様にお披露目するというときに部屋の準備が完璧でなかったということで、外国人の上司に英語でいうところの4文字単語でののしり続けられたこともありました。
「君はどんなに大切な機会であったかを理解していない。二流の会社だと思われたかも知れない! 〇X〇X!! 〇△?✖!!!!」
ひどい言葉が続いて、そのときは、周囲の同僚のほうが私が会社を辞めるのではないかと、心配して青くなっていました。
どちらも共通するのは、二人ともお客様に対して真剣であったということです。
二人とも、誰にでも間違いがあるのは、わかっている上司たと思います。
それほどまでに怒らせたのは、何故大切なお客様に対して、自分と同じくらいの全力を尽くして仕事にあたらないのかという怒り、そして大切なお客様に失敗をしてしまったという悔しさ、だと思うのです。
こういう上司は、得てして完璧主義であり、本人であればきっときちんとやり遂げる人です。
他人の痛みが分からない、相手が自分のように仕事が出来ないことを理解出来ないのではなく、自分と同じ高い目線を持っていないことに対する怒りだったと私は受け止めました。
私自身が部下を怒ったときも、お客様に対してお詫びのしようのない間違えをしたときでした。
こみあげてくる感情はくやしさ。
何故、この想いを共有してくれないのか、相手に失礼なことをしてしまった、という怒りでした。
と考えると、この議員が秘書が相手先を間違えて大切な手紙を出してしまったことにこれだけ怒り心頭するのは、少し理解が出来る気がします。
特に女性は受け流すのが苦手です。
起きてしまったことを何度も何度も繰り返し考えて後悔するのが得意なのが女性です。
私は東大出身でもエリートでもないけれど、お客様へ一生懸命しようとする気持ちが共有できない人には我慢が出来ません。
男性国会議員が「こんなの良くありますよ」と発言して撤回に及びましたが、真剣に仕事をしている人であれば、このような場面に遭遇したことはあるのではないでしょうか。
こうしたことが起こるとひとくくりに、人のバックグラウンドで傾向を語ってしまう危険を感じます。
もちろん、彼女の態度や言葉は、彼女が長い人生で身に付けた人間性を表しますからそこに人の上に立つ適性があったかどうかは疑問です。
どんなに悔しくても腹立たしくても、怒りを人にぶつけることは、人間関係を崩し、やがて自分に返って来ます。
何より怒りに向けられたエネルギーは大きい。
そのエネルギーをそんな無駄なところに使ってはいけないですね。
大きなビジョンに向かっている人、多くの人を動かさなくてはならない人は平常心を保つ習慣を身に付けることが必要ですね。
最近、他人に言われてやっていることは距離を置くことです。
何か起こるとせっかちな私はすぐに反応し、すぐに解決しようと、メールをしたり会おうとしたり。
しばらくほおって置くと、どうでも良いことに変わったり、不用意な発言をしないで済みます。
この議員さんも車の個室にいたから、余計な発言がエスカレートしましたよね。
繰り返しますが、彼女に非がないとは私は思っていません。しかし色々な見方をしなくてはいけないと思います。
働く女性は心を休める時間を持ちましょうね。
YK
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ハンカチと豚の貯金箱
2017年6月18日
実は先日、贈り物で失敗をしました。
香港の仕事先の女性が転職するというので、いつもお世話になっているお礼のつもりで書類を送る際にあわせてハンカチを贈ったのです。
地元横浜のブランドの美しいハンカチ。
彼女はすぐにメールをくれて「とってもきれい!ありがとう」
と言ってくれました。
さて、もう会えないつもりがやはり出張しなくては仕事が済まなくなり彼女の最終出勤の一日前に香港へ。
再び顔を見ることが出来て良かったのですが、全ての引き継ぎが終わった後に彼女が「これあなたに」と思いがけずプレゼントをくれました。
いつもクールな彼女がそんなことをしてくれるなんて、かえってハンカチで気を使わせたかしらと思いつつも嬉しくなりました。
「あけてもいい?」と聞くや否やその場でプレゼントを開けてみると出て来たのは金色の豚の貯金箱!
背中には福の字が書いてあるではないですか。
金ぴかの可愛い顔の豚・・・・
びっくりしてしまった私。
「わー、縁起が良さそう!、お金たまりそう!」
取りあえず言うと
「かわいいでしょう」
と彼女はにっこり。
そして「商売繁盛祈っていますね。会社が成長しますように!」と言ってくれました。
さて日本に帰国してから調べると、やはり金色の豚の貯金箱は風水グッズで中華系の人達には人気なようです。
中華圏だけではなく、豚は子だくさんでヨーロッパでも冨の象徴を表し、日本でも豚の貯金箱は人気なよう。
特に、金色は玄関に置くとお金が入ってくるそうです。
あらためて彼女の心づくしの品物に感謝。
ところが、それと同時に中華圏の人に贈ってはいけないものがいくつか書かれていました。
時計、傘、扇子、刃物、粽、ハンカチ・・・
え、ハンカチ!
お香典のお返しに使われるので永遠の別れを暗示して縁起がよくないと書いてあります。
私は豚で驚いたけど、彼女もハンカチで驚いたかしら。
知り尽くしていると思った香港でしたが私もまだまだ知らないことがありました。
異文化のコミュニケーション、気を付けなければ誤解の元になりますね。
ところで、彼女とのオフィスでの最後の別れ。
香港人は見送りをあまりしません。
彼女は4年の付き合いですが毎回、オフィスのガラスのドアを私が出るや否や背を向けて奥の部屋へと戻っていきます。
日本人の癖で振り向くと、彼女はそこにいない(笑)
最後くらい名残を惜しんでくれるかなあ、と今回も後ろを振り向くと既に彼女の立ち去る後姿がそこに見えました。
あっさりしています。
方法は異なるけど、商売繁盛を祈ってくれたことが
何より彼女の気持ちなんでしょうね。
多謝。
YK
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思いに寄り添うものの価値
2017年6月11日
来週は父の日。
何を贈りますか。
父のいない私は贈る相手のいない寂しさを感じます。
最近、断捨離という価値観が最近では重視されて
物はなるべく持たない、
そしてブランドなどという他人に見せるためのものはカッコ悪い、
物は機能を果たせば良いのであってそこにお金をかけるのは愚かである
というような風潮もあります。
そうした会話を耳にすると「分かっていないなあ」と紹介したくなるのがかつての上司に教えてもらった「物の価値」です。
たとえば、あなたが毎日毎日、手帳に予定やTO DO LISTを書きこんでそれを眺めることが重要なことだと感じているとします。
それだけであるならビニールの表紙であろうが紙のノートであろうが構わない。
それで特に問題を感じなければそれでいい。
ただ、毎朝、手帳を見ながら今日の予定に思いをめぐらす時
年月を重ねるごとに手触りがなじんだ良質の革に去年のことも思い出され
そして今日もまた頑張ろうと思う
そうした瞬間を大切にする人にとっては、自分の人生に相応しい手帳を選ぶだろう。
物は、機能であって、他人に見せびらかす必要もなく、ステータスを表す時代も終わったのかも知れません。
しかし使用するだけではなく、誰に贈られたのかいつ手に入れたのか、それを使って自分が何を感じるのか、
思いに寄り添ってくれる物は、いつの時代も誰にとっても大切でしょう。
思いに寄り添ってくれる物は捨てられない。
先日、友人が10年も前にが亡くなったお父様にあげた時計がまだ動いていると
自分で身に付けていました。
そしてそれをプレゼントした時の自分の気持ちも話してくれました。
ビジネスの景気が良い時だったので両親に高価なペアウォッチを贈ったこと。
お母様とお父様とでは性格が違って時計の扱いも異なり、お母様はすぐダメにしてしまったこと。
懐かしいほほえましいエピソードが友人の想いと共に語られました。
物がなければ、私はそのエピソードには出会えず、そしてそんな話を語る友人がさらに好きになりました。
形見。
そういえば亡くなった人の品物は「形に見える」形見。
見えないものは形に宿るわけですね。
さて、父の日、何を贈りますか。
YK
タグ :父の日、ブランド、断捨離、形見
人との出会いは真剣勝負
2017年6月1日
東京国立博物館特別展「茶の湯」
先日、週末に知人女性が主催をして女性ばかりのワークショップを行いました。
週末なるべく多くの女性に集まって頂きたいと価格は抑えめ。
それでもお茶とお菓子を用意したいと主催者の女性は準備に余念がありませんでした。
前日に彼女から打ち合わせの電話がありました。
「コーヒーカップが足りないけれどあるかしら?紙コップではね?」
私は、人数も多いしいつも他のセミナーでは紙コップはおろか、お茶も出ないところが多いので
「いいのではないでしょうか」と答えたら彼女からの返答はこうでした。
「だってオモテナシズムだし。テーマはココ・シャネルに学ぶ、だし。紙コップはないでしょう」
さすが、グローバルな数々のおもてなしを経験している先輩女性です。
私は電話のこちらでたちまち赤面。
おっしゃるとおり。
それはいつも自分が言っていること。
グラスひとつであってもブランディングには重要なのです。
おもてなしは細部に宿ります。
「ラグジュアリーは裏も表も美しい」とはココ・シャネルの言葉です。
結局、全て陶器の食器を準備していただきました。
毎回、セミナーをする時には「一期一会の気持ちで、お互いにベストを尽くしましょう」と言いながら、ついつい細部を見逃していた私。
もし、ここに皇室の雅子様が出席するとしたらどうでしょう。
いくら私でも当然気が付いて準備していたに違いありません。
でも、私の話を聴きに来て下さる方はどなたであっても、たとえ無料の時でもお客様です。
雅子様以上に大切にお迎えしなくてはいけないはずです。
それがオモテナシズム流のはず。
それなのに、自分が出来ていませんでした。
紙コップに気もちがこめられないわけではありません。
ただ、大切な人に美味しいお茶を飲んで頂くためには、少し手間であっても使い捨てではない食器を用意しその準備と片付けにも時間をかけるプロセスが「おもてなし」なのです。
いつもどこでも出来るわけではありませんが、私が「おもてなし」を語っているのであれば実践しなくては、誰も信じてくれませんね。
そしてそれがオモテナシズムのブランドを示すこと。
一流の「おもてなし」には絶対失敗しないという緊張感が必要です。
ちょうど今、上野の東京国立博物館で「茶の湯」という特別展が開催されています。
そこには数々の茶器や茶の湯にまつわる道具が展示されていますが、当時の茶人が権力者たちをもてなした時の茶器や掛け軸がかかっています。
どんな思いで選んだのだろうか。
ひとたび気に入らないとなると、機嫌を損ねてしまう危険性すらあったでしょう。
そう思うと真剣に見入ってしまいました。
人と人との出会いは、取返しの付かない真剣勝負です。
現代では、私たちはとても簡単に人をもてなしています。
場所と時間と物、もっともっと相手を考えなければと
心新たにしています。
YK
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手書きのメッセージ
2017年4月25日
先日、断捨離をしようと
古い書類を整理していたら
古い手紙やカードがたくさん出てきました。
私はたくさん転職しているので、
転職する度に、カードや色紙の寄せ書きをもらっていて、
引き出しの片隅に束になって眠っていました。
もう読んでも過去のことだし、と思いながら目を通してみると
全く忘れていたことが蘇って来ます。
もちろん、カードは特別な時にもらうものですから
良いことばかりが書かれています。
もらった時は、こそばゆいようなフレーズで、書いていくれた人達は
もしかしたら忘れているのかも知れません。
実は最近、過去の自分を振り返って見て気づくことが多く、
こと人間関係に関しては
「ああすれば良かった」「こうしてあげれば良かった」
自分はどうしてあの時こうしなかったのだろう、気づかなかったのだろうと
少し自信を無くしていました。
でも、古いカードに掛かれた同僚や友人の言葉に様々な記憶が蘇り
あら、私も少しは貢献していたかしら、
そう、そんなことをしたこともあったよね、
と安心したような、ほっとしたような嬉しい気持ちになりました。
忘れていた自分に出会った気もします。
手書きのメッセージはそんな力があるのです。
また、海外の友人からのクリスマスと誕生日に送られてくるカードの数々。
そこに書かれてある互いの近況は、歴史です。
良い時ばかりではなく、辛い時に涙を流しながら読んだものもありました。
そして、友人が選んでくれたカードには当時のマイブームが
反映されています。
今は、SNSのおかげで、昔よりずっと多くの人が
お誕生日にはお祝いの言葉を贈ってくれます。
そして毎日、誰かの誕生日を祝うことも出来ます。
でも、やっぱり手書きの文字は心にしみるし、
一言一言選んで書くような気がします。
一説には現代の私たちのメールやSNSは全て見られているとも言われています。
断捨離しようにも一度、ネットを通じて送ってしまったメッセージは
消えることがないそうです。
手書きであれば心に残り、そして全くの他人には、見せない限りは見られない。
字は書かないとどんどん下手になるしね、、、
手書きのメッセージは大切にしたい、
断捨離して気づきました。
もちろん、自分を勇気づける大切なカードたちは
断捨離しないで永久保存です。
YK
タグ :手書きのカード、お礼状、断捨離
新人研修は今のままでいい?
2017年4月16日
自分は自分。隣と比べない
この季節、同じような黒いスーツを着た若者が集団で歩いているのをよく見かけます。
あの黒いスーツ、いつから皆そろって着るようになったのでしょうか。
30年以上前の話で恐縮ですが、私が日本のメーカーに入社した時は、
もっと自由であったような気がします。
私自身は、胸膨らませ青の千鳥格子のスーツを着て出席しましたが、
すぐに制服を支給されて、がっかりした記憶があります。
海外には、リクルートスーツというようなスタイルはありません。
私もビジネスマナーを企業に依頼されて行う立場にあるわけですが
企業側は、参加する新人が一律にきちんとしたマナーが出来ることを期待していて
全員が同じようにきちんと言われたとおりに行動が取れて、
身嗜みは、他人から浮かないように、誰にでも好感持たれることが重要で
明るく元気な笑顔で修了すれば、よく出来ました!ということになります。
だから皆が同じ黒いスーツでも問題はありません。
参加者も一生懸命で、清々しい新入社員研修ではあります。
しかし、なんだか、違うと疑問に感じるのは私だけでしょうか。
最近、どこの企業でも女性活躍推進や外国人雇用のダイバーシティが課題です。
研修する立場からすると、どうもこの新入社員研修から始まりダイバーシティ研修、
そしてリーダー研修に至るまで、上手くハーモニーが出来ていない気がします。
自分と異なる価値観を認め、それぞれが個性を生かして働ける職場。
イノベーションを生む風土。
とすると、その方針が今の新入社員研修のスタイルに現れているだろうかと
思うのです。
日本人の良くも悪くもユニークな点は、集団主義である点です。
外国人社員に研修を行うと、日本の組織の特徴に皆が口をそろえてあげる点です。
これはもう日本に古くから根付いた文化でもありますが、
新人研修の時にダメ押しをされているように感じるのです。
目立たないように個性が立ちすぎない服装、
他の人の脚をひっぱらないように右へ倣えで行動する、
相手の気持ちを考えて行動する(今流行の忖度ですね)
これが社会人として大切な心得であると指導して、マインドだけは革新的に、
と言っても心は行動に従います。
後からの修正は難しいのではないかと思うのです。
黒いリクルートスーツが良しとされたら、危険を冒すことのほうが怖いので
独自の常識で考えるファッションセンスは磨かれません。
他の人の気持ちを忖度していることに慣れていると、自分の主張を通せなくなります。
さらにこうして一律に教育された社員が先輩になると異質な行動を嫌う。
この繰り返しが日本の企業文化にまだあるような気がするのです。
では、新入社員研修をどう変えるのか。
ディズニーリゾートの研修「伝統セミナー」にヒントがありそうです。
この「伝統セミナー」は人々をディスニーになじませることが目的ではなく
人々にディズニーの心を植え付けさせることが目的である、そうです。*
企業のビジョン、ミッションを深く理解して、
自分の振る舞いを自分で選べるような社員を育てる。
形から入るのではなく、マインドから入るのです。
さらに高度な研修です。
たいていの経営者は皆さん、入社式で社員を財産と言います。
財産であるなら、お仕着せや通り一遍のビジネスマナー研修に送ってしまうのは
せっかくの機会がもったいない気がします。
人生に初めて受ける社会人の研修、取返しの付かない最初のステップを
慎重に熱意を持って用意する会社の未来は明るいのではないでしょうか。
(YK)
*参考;「ビジネスと人を動かす驚異のストーリープレゼン」カーマイン・ガロ
タグ :今の新入社員研修で良いのか新入社員研修を変える、会社になじませる研修、リクルートスーツはやめましょう、ビジネスマナーはオリジナルに
偽物と本物
2017年3月31日
少し前ですがドイツの高級時計ブランドの
「フランクミューラー」が商標登録に対して
日本の時計メーカー「フランク三浦」に対して起こした訴訟がありました。
驚くことにフランクミューラーは敗訴。
その理由は、何百万円もする時計と
5、6000円程度の安価なフランク三浦の時計は、
明らかに判別が可能で間違えることがないからというのです。
びっくりしました。
高級ブランドを扱う会社に働いていた経験からすると
これは許しがたいブランドの侵害です。
このケースは、商品の形の模倣と名称が似ている、
という二つの要素に加えて
パロディとして茶化しています。
私はこれは「いただけない!」と思うのです。
フランク・ミューラーを持っているわけでもなく、
何の縁もゆかりもありませんが不愉快です。
ココ・シャネルはかつて、自分のデザインしたのとそっくりのシャネルスーツが
真似されて町に出回ることを、寛大に見ていました。
「私のデザインを皆が気に入って、安く手に入れられるならそれもいい」
確かに安い素材で安易に作られたものと本物は見分けがつきます。
しかし名前はどうでしょう。
ブランドとして問題なのは、自分の名前から逆に
偽物の名前が連想されることではないでしょうか。
せっかくフランク・ミュ―ラーを買った、と嬉しい気持ちになるはずが
「フランク三浦?」という名前がこの騒動で頭に浮かぶようになってしまいましたよね。
「ブランド」とは商品に付随する価値です。
商品の機能だけではない、外見と品質とイメージを顧客に保障しているのです。
そのイメージをフランク・ミューラーは侵害されてしまいました。
逆に「フランク三浦」だってブランドですが、それはパロディというブランドであり
借り物の価値を得たわけで、それを良しとするのは、おかしいなあと思うのです。
個人名で考えて見てください。
仕事でも趣味でも、あなたが何か作り上げたことが誰かに真似されるのは、
世の中あることです。
しかしあなたの名前を文字って、
自分がしていることより低い価値のことを提供されているとしたら
不愉快ではありませんか。
高級ブランドの争いなんて、あまり日常に関係はありません。
しかしこれが、日本の文化遺産や伝統工芸であったらどうでしょう。
なんだかこうしたことが通って行くと、
日本が安っぽい国になりそうな予感がしてしまうのは心配し過ぎでしょうか。
高い物だけが「ブランド」ではありません。
名称やイメージに対して、他人の物を借りることについて
隣の国を責めるだけではなく
もっと敏感でありたいと思います。
ちなみに、「オモテナシズム」もオモテナシズムが商標登録しています(笑)
YK
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