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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

反論が怖くて主張できない

2020年2月23日

1三省堂 (2)月に本を出版をすると、ありがたいことに色々な方が感想を聞かせてくれます。知人は悪いことは言いません。

しかし、知らない人が知らないところで自分のブログで書評を書いて下さっているのを見つけてドキドキで読みました。

本当にありがたいことで、全般に良い評価をしていただいているのですが、当然、反論もあります。

 

うーん、やっぱり反論されたか。もう書いてしまったことだけれど、そう感じている人他にも多いかなあ、もう少し解説しておいたほうが良かったかな、私の反芻が始まりました。ほらまたやっている女性の習慣です(笑)

そして、あらてめてフィードバックを受け止めることに臆病な自分に気づきました。

 

実は、日ごろから皆さんに「主張しなさい」と勧めながら私自身も主張が苦手です。セミナーや講演でもついつい断言できず「思います」「私の考えでは」とお茶を濁してしまいます。

私が主張しないのは、実は反論が怖いからなのです。反論されるのが怖いのは、自信がないからで、自信がないのは、自分の根拠が正しいか知識が十分でないか心配だからで、と次々と「女性の活躍を阻む12の習慣」が出てきます。

 

しかし、今回、本を書くにあたっては全て断言しました。というのは、本は私の意見の提示なのですから曖昧であっては誰も読んで納得はしないでしょう。

一つの意見として提示するのだから責任を持たなければならないと考えて、清水の舞台から飛び降りるほどの勇気を持って、あらゆるフレーズで断言しました。

 

その結果、断言して提示するとそれが一つの論理や説として、私の手から離れていくということに気づきました。

そして、当然、反論や異論も出てきます。

 

昔、フランス人の同僚に「異論を唱える人との話は面白い。日本人は何でも同意するから話がふくらまずつまらない」と言われたことがありました。

「その意見には賛成しない」と自分の意見に反論されると、フランス人は燃えるそうです(笑)異論をぶつけ合うから良いアイデアが生まれる。

ひとつの意見として提示されたものは、その人の元から離れて検討すべき課題やアイデアとして皆のものになります。

 

日本人は物事を曖昧に表現するのが得意です。

自分が意見を持っていても正面から「こうだ!」とは言わず

「・・・と思います」「・・・・かも知れません」とやんわり表現することが奥ゆかしく、大人と言われます。

そして、断言しない影には、「他人に好かれたくない」「相手に合わせたい」という協調が良い信じている社会や組織の風土もあるのかも知れません。

そして、何より異論されることで、傷つくのが怖い・・・

「川邊さんてあんな風に考えるんだ~」って思われないかしら、、嫌われないかしら、と心配でついついそう思っていなくても「そうそう」と相槌を打っていませんか。

 

 

私はよく、研修でポストイットを使ってそこにアイデアや意見を書いてもらって名前を書かずに貼りだします。そうすると、書かれたことは誰かの意見ではなく一つの意見なります。所有者不明になると、意見が人格を持たずに話しやすい。

あるセミナーに登壇したときのこと、一人の男性参加者から「僕はそうとは考えていませんでしたが、川邊さんのご経験から出されたご意見ですから、一理あるのでしょう。参考になりました」と言われたことがありました。非常にこちらへの敬意を感じました。

相手の意見をジャッジするのではなく、そういう考えもあると受け止める。見習いたい習慣です。

そして、自分も常にジャッジされていると思う必要はない。

 

主張が苦手な方、ジャッジをを恐れず、一つの意見として提示するという当たり前のことトライしてみてください。

分かっちゃいるけどできない、のは私も一緒です。ひとつひとつ克服していきましょう。

(YK)