オプションBを想定して
2017年10月22日
企業に勤めていれば、また企業に勤めていなくても仕事を持っていれば、個人的なことと仕事が両立しないことは多々あります。
それを両立させようとしているのが「働き方改革」で、「ワークライフバランス」は自分で工夫して得るのではなく、企業が様々な選択肢を用意して様々な考え方やライフスタイルの人が自分で選ん無理なくは働ける制度や仕組みが提案され、また実行されつつあるようです。嬉しい動きです。
しかし、制度や仕組だけでは、救われない個人的なことがあることに気が付きました。それは人間の感情です。そして想定外のライフスタイルの変化。
大変個人的な話題になりますが、私は先月母を亡くしました。高齢であったので覚悟もしていたし、本人も私も悔いない別れのはずでした。私は父を5年前に亡くしているので母の死についても心の準備は出来ているつもりでした。
しかし、今回、想定していなかった深い悲しみと寂しさに襲われて、今、戸惑っています。こんなに喪失感に襲われるとは・・・
他人は慰めるつもりで声をかけてくれます。「ご長寿ですからね」「そろそろ落ち着かれましたか」「もう一月ですか」。そう言われてその度に傷つく自分がいます。「長寿だってもっと生きていて欲しかったのに」「落ち着くわけがないでしょ」「もう一月、って毎日が私は悲しくて長いのに・・」
とはいえ声をかけてくれる人を責められません。私もこれまで、誰かを失くしたり、またペットを失った人に対しても無神経に傷つくことを言っていたのだと思うからです。
高齢の母の死をいつまでも嘆くなんて、自分でも情けないと思いながら気付いたこと。それは、やっぱり人は誰かのために生きているのではないかということです。皆さんは、誰のために働いていますか。私はそんなこと考えたことありませんでした。しかし、独身の私は、母を面倒みていたつもりが、実は母がいるから頑張ることが出来ていたのかも知れない。「お帰りなさい」と迎えてくれる人と場所がある、自分が元気でいることを喜んでくれている人がいる、それが実は支えであったことに気が付きました。
そんなときに書店で2冊の本が目に留まりました。一冊は、フェイスブックのC.O.Oのシェリル・サンドバーグの「OPTION B」です。「リーン・イン」で女性リーダーの姿勢を示した彼女ですが、2年前に夫を亡くし深い絶望の中から立ち直り書き上げた新たな女性へのメッセージです。
2冊目は日経新聞の文芸欄で取り上げられていた「遺族外来」という精神科医の書いた本でした。
この2冊を読んで、私の現在の状態は決して異常ではないと分かりました。お悔やみの声をかけられて、返ってむなしくなってしまったり傷ついて人が怖くなってしまう。それは、誰にでも起こり得ることで、しかし残念ながら経験してみないと分からない精神状態であり、そしてもちろん、個人差があるということでした。うつ病になってしまう人も多いとか。
私は幸いにも比較的、仕事の調整が可能な状態にあります。それでも、母の亡くなった翌日も葬儀の前日も仕事は予定どおり行っていました。看取ることができたことは幸せでしたが、そのために変更をお願いした仕事もあり、心のなかでは、「歌舞伎役者や舞台役者なら親の死に目もあわないでお客様のために演じるのに」と自分が甘いのではないかという気持ちに囚われています。
一方、悲しみの中で、仕事が忙しいことで否が応でも気持ちを切り替え、他のことに集中しなくてはならずに救われている部分もあります。
「OPTION B」のなかで、人は人生のネガティブなことに出会うと3つのPに囚われることが書いてあります。
Personalization自責化(自分が悪いのだと思うこと)Pervasiveness普遍化(その出来事が人生のすべてに影響すると思うこと)そしてPermanence永続化(その出来事の余波がいつまでも続くと思うこと)だそうです。
そんな状態では仕事は自信をもって望めません。シェリル・サンドバーグは、周囲の人の声の掛け方ひとつで、事態は改善すると言っています。「どうですか?」と聞くのではなく「今日はどうですか?」と聞いてあげる、そんな表現への気遣いだけでも人は救われるのです。
そして、もうひとつ、私の場合は母でしたが、夫や経済的なサポートをしてくれていた人を亡くした場合、人生への不安はさらに大きなものになるのです。精神的不安に加えて経済的な不安、そして子供がいれば子供を一人で育てる将来への不安が大きくのしかかります。それに対しての解決の道を示してあげること。また、同じ境遇であっても無事乗り越えた人との対話など。
フェイスブックのC.O.Oで社会的に成功していた人であっても、肉親の死を乗り越えるのは簡単ではないのです。誰にでも起こることで、そしてそうなったときの精神状態は自分でも予則不可能。
彼女は「LEAN IN」で家族がいて仕事を両立することを前提で女性の働き方を唱えていたことを反省し、そうでない人達のための働き方を考え始めているようです。
さすが、悲しみだけで終わらせない、それがリーダーですね。
さて、私自身は何ができるのか、まだ漠然としか考えられない状況です。
が、「働き方改革」と世間が盛り上がっているのであれば、時間や制度だけではなく、感情に優しい社会を目指すお手伝いをしたいと思います。寄り添ってくれる話を聞く人がもっと必要だと思うのです。
そして、とかく悲しみや辛いことは公の場では隠すことがプロフェッショナルと自分も社会も思う傾向があります。私もあまり「悲しい」などと言っていると世間から頼りないと信用されないのではないかと、実は不安に思いながらこれを書いています。
しかし辛くても悲しくても、プロフェッショナルは仕事の質には変わらないのも事実だと思うのです。プロフェッショナルだって、泣いてもいいし心も折れる、そう思える社会や企業になったらいいなあ、それを伝えて行きたい、と考えています。
参考図書;
「OPTION B] シェリル・サンドバーグ/アダム・グランド著 日本経済新聞出版社
「遺族外来」大西秀樹著 河出書房新社
(YK)
1 件のコメント
川邊先生、
コラム拝読させていただきました。お母さまのご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
愛する存在に先立たれる悲しみについて、そして母という存在について心に強く突き刺さるものがあり、川邊先生が傷つかない事を切に願いつつ、書かせていただいております。
誰のために生きているか。誰のために働いているのか。
確信できる答えではありませんが、1つは昨年亡くなった愛犬であったと思います。
愛犬を失う悲しみは以前にも経験していましたが、社会人になってから飼い始めたという事もあり、わが子同然。どれほど健康に気を付けてあげていても、心臓病という意外な形で体調を崩してからはあっという間に旅立ってしまいました。
一年半を過ぎても、未だに涙を流します。自分にとっては分かっている以上に大きな存在であり、私には唯一の宝物でした。どんな楽しみを作っても、どんなに嬉しい事があっても、やはり以前とは違う自分ですし、生きる目的がないという気持ちです。
ただ、自分は生きているから生きないといけない、生きているから働かないといけない、そういう気持ちです。悲しいと言い続けて良いし、泣きそうな時は泣くべきなんだと思います。愛する存在を失う事は、そう簡単に向き合える事ではないと思っています。
そして、母の存在。もともと軽鬱状態であった母は、愛犬の死以降、さらに状況が悪くなり、飲酒、過度の不安症などで親戚にも一時期迷惑をかける状態でした。
何がきっかけで家族の関係が変わるかわからないものですね。母と私は非常に仲が良く絆も深かったのですが、このような状況を経て、また鬱からか老化からか物忘れなども多くすんなりコミュニケーションできない母に、日々イライラしてしまい、優しく接することができなくなってしまいました。家でもほぼ私は笑う事がなくなりました。
「独身の私は、母を面倒みていたつもりが、実は母がいるから頑張ることが出来ていたのかも知れない」。川邊先生の事言葉について、考えさせられました。
正直、母が昔のように動けなくなったから、父には無理だから自分は実家にいざるを得なくなった、自分で選んだ生活ではないという気持ちと、幼少期の母はこんなじゃなかったという気持ちに、老いていく母を受け入れられず日々冷たく接してしまいます。
でも、いつもその後には、きっと母がいつかいなくなった時に、後悔してしまう。
反省と自己嫌悪に襲われます。
こんな自分を変えたい。カウンセリングを受診してみようかと真剣に考えるようになりました。
先生が読まれた本、私もぜひ読んでみたいと思います。
真っ直ぐなお気持ちを綴られたコラム、ありがとうございました。