サンタクロースは名乗らない
2020年12月3日
もうすぐクリスマス。大人はとっくにプレゼントを楽しみにする気もちを失っているかも知れないけれど、子供や愛する人たちに贈るプレゼントに頭を悩ましているかもしれません。
さて、何故、クリスマスプレゼントは直接渡されず、サンタクロースがくれるものだと子供に信じさせる習慣があるのでしょう。
サンタクロースが親であることが分かるとサンタクロースの役目は終わります。
その理由はを哲学者の近内裕太氏は、「プレゼントを純粋な贈与にしておくため」だと解説しています。
誰がくれているのかが分かると、贈り物には恩義や負担が発生してしまいます。名乗らないから、子供は純粋に安心して受け取ることが出来る。
一方、名乗らないことで親は「いつか気づいてくれるといいなあ」という願いを持ちます。そして子供が親のしてくれたことに将来気づいたときに、その願いは叶います。子供への想いは時間をかけて成就します。
感じとる心、感謝の気持ちを持つ大人に育つことこそ、親に対する最高のリターンになるというわけです。
親からの贈り物は有形無形です。クリスマスプレゼントだけではなく、子供はあまりに多くのことやものを与えられますが、いちいち気づいていたら重たくなります。でも自分が大人になったときに、気づくことで報いることが出来るのです。
さて、話は変ります。先日、私は福島県へ出張しました。そして、すっかり忘れていたことを思い出しました。
私の人生初の出張は福島でした。新入社員1年目の22才のとき、関連工場の経理担当だった私は、上司にあれこれ指示を受けて不安な思いで一人福島へ向かいました。そして工場長に拙い質問をして工場を見学をし、喜多方ラーメンを接待してもらったこと、すっかり私の記憶からは消えていました。ろくな成果はなかった気がしますが、工場長のことや上司が私の報告を楽しそうに聴いてくれたこと、を今回、思い出したのです。
新卒の入社間もない、経理部にいてもバランスシートもろくに読めない私をよく上司は、出張させたものです。つまりトレーニングだったのでしょう。
しかし、私は、海外志向でバリバリ英語で仕事をしたいと思っていたので、当然、その上司に感謝などしていませんでした。むしろ、保守的な彼はチャンスをくれなかった、だから退職したのだと、セミナーの自己紹介でも語っていました。
しかし、実はチャンスはもらっていたのかも知れない!掴まなかったのは私かも、、、今になっての発見です。
上司は保守的で私を理解してくれていなかったと思い込んでいたのは私側のストーリー。ながーい目で見て、実は期待されていたのかも・・・と30年以上もたって気づいたのでした。遅すぎますね(笑)
会社にもサンタクロースはいたのです。
先月も各地で、またリモートで多くの異なる世代の女性とお会いしました。人生で大切なものは、価値観は?と尋ねると、若い世代ほど「家庭」が上位に上がります。特にコロナが始まると、その傾向は強くなりました。価値観は今、満足していないことに対して、逆に重要度が上がる傾向があります。
20代から30代は仕事と家庭と目の前のことに懸命に追われる世代でしょう。出産や育児といったライフイベントも集中しているし、仕事も一番忙しい世代、そしてまだまだ指示を受ける立場で自分でコントロールがしにくいポジションにある、家庭に思うように集中できないことにジレンマを感じる、だからこそ「家庭」が一番大切と考えたい。当然です。
ビジョンなんて考えている暇もないし、とにかく普通に楽に過ごしたいと思うこともあるでしょう。
しかし今、もう手いっぱいに抱えている仕事や、苦労や大変さは実は贈り物なのかも知れません。当事者であるうちは、なかなか気づけません。
私も気づいていませんでした。が、こじつけではなく、新人の時の福島の出張は忘れてはいたけれど、あの頃の経験が今の自分の血となり肉となっていることは確かです。
介護も親がくれたプレゼントだったと過ぎてしまった今、受け取っています。
だから、感謝は今しなくても、それから不平も不満も言ってもいいので、目の前に与えられことは、一生懸命やる価値はあるのではないでしょうか。
間違えないでください。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」という意味ではありませんよ。
今、大変だと思うことや興味のないことが将来、自分にとって価値あることに変わるかも知れないということです。なぜなら自分の価値観が将来変わるということを一番知らないのは、今の自分だからです。
先にチャンスと気づけたらさらに儲けもの。職場のサンタクロースも名乗りません。でも、これは贈り物かも?とちょっと意識して見てみませんか。
参考:「世界は贈与でできている」近内悠太著 NEWSPICKS
(YK)