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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

自分の金メダルの基準

2021年8月1日

ひまわり反省し過ぎる、自分を責めすぎるのは、多くの女性に見られる特徴です。だから、反省し過ぎるより「自分が出来たこと」「頑張ったこと」にフォーカスをして自分を誉めましょう、といつもお伝えしています。

 

しかし、今、連日オリンピックで女性の活躍を見ていると、ちょっと違うのではないか、という気がしてきました。「頑張っている」というのは彼女たち、彼らたちのような真剣に自分のやるべきことややりたいことに、日々自分と真剣に戦っている姿を言うのではないかなあと感じています。

 

女性のメダリストたち、特に相手と対戦する競技の選手たちは、相手を威嚇するような怖い表情と雄叫び。(雄叫びは雄だけのものではないのですね)どうだ!負けないわよ!と威圧しています。20歳にもならない卓球の女子選手の表情は怖いくらい。それはそうでしょう。この日のために彼女たちは何年も、メダルを目標と見据え、努力を重ねてきたのですから、譲るわけにはいきません。

 

そして金メダルはゴール達成の証であって、メダル自体に価値があるわけではなく、自他ともに認める成績に価値があるのですよね。

それに比べて自分を顧みると、やりたいことも達成したいこともあるけれど、でもそれに対して絶対譲れない、勝ち取りたい、負けられないというような意地を持っているかなあ、と思ってしまいます。

 

いやいやオリンピックじゃないんだから、戦いじゃないんだから、そんなに向きになる必要はない?でもその程度の覚悟や努力ではやっぱり、ゴールは達成できない、自分の欲しい人生は勝ち取れないのではないでしょうか。

 

一方、小さなことでも自分にご褒美を上げるのは得意なのは私だけではないでしょう。ちょっと頑張ったからご褒美のシャンパン、新しい靴、エステ、と自分を甘やかします。金メダル級なご褒美はなかなか得られないけれど、まあそんな物はいいや、とどこかで思っています。

 

先月も様々な企業や場所で、たくさんの女性に研修やセミナーを行いました。どこでお会いする女性も皆さん、本当に一生懸命頑張っています。真面目です。でも大手の企業、恵まれた環境にある会社にいる女性ほど、「頑張っている」自己評価のレベルは低いかも知れません。世界レベルとは言わないけれど、日本の中で生き抜いていくにも危ういかも知れません。そして、皆さん、他人に認められなくても自分で自分にご褒美をあげればいいと思っている節があります。

 

でも、日本の女性には世界レベルに行って欲しい。それに、他人にメダルをかけてもらうくらい頑張ったら、きっと見える世界も変わるのではないでしょうか。

 

やっと開催された、そして次回はいつになるか分からない東京オリンピックの機会に、自分の金メダルは何なのか考えてみてはいかがでしょう。

(YK)