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Columnコラム

謙虚さを学ぶ

2019年5月29日

【HP】お手前手元茶道のお稽古にきちんと通い始めて一年。

大きな発見がありました。

どこの流派でも、先生でもそうだと思いますが、お稽古にはテキストがあるわけではなくただただ、ひたすら、先生や先輩の所作を見て覚えて真似る。

割り稽古と言って、部分の所作は先輩が教えてくれますが、それも何度も何度も所作を繰り返す。そこにあまり理屈や理論は入りません。

そして、真剣に見て真似ても、次のお稽古には忘れてしまって、また真剣に他の人の所作を見て真似る。

大変な集中が必要。マインドフルになれる時間です。

 

書店へ行けば、茶道の手順を写真入りで示した本はいくらでもありますが、それを見たところでそして事前に練習をいくらしたとことろで、お稽古の場に行くとそのとおりにはふるまえません。所作には、事前練習や小手先の練習は通用しない。

日頃、すぐ検索して調べたり知識の蓄積に走る私には、これは困ったこと。

だから、お茶のお稽古の場では、少しでも先に初めた先輩の動きに大いに関心して見入ってしまい、できない自分に「はー」とため息が出ます。

この「出来ない自分」に真っ向から気が付くところがとても清々しい。

そしてお稽古仲間が普段何をしているかなんてことに興味はなく、たたただ美しい振舞いの出来る人に憧れてしまいます。

ある程度年齢を重ねている人はそうだと思うのですが、普段、仕事はもちろん、趣味においてもある程度自分が出来ることであったり得意なことに取り組んでいることが多いなかで、お茶のお稽古では「私ってなんて未熟なんだろう」とつくづく思い、この先どれだけやれば上手になるのか皆目見当もつかない世界です。

頭で考えることが通用しないけれど、自然に手が覚えていたりすると嬉しいし、謙虚な気持ちになります。

 

「美味しいお茶を飲むことが目的なのよ」と先生はおっしゃってくれますが、その美味しいお茶の背景には美しい所作、相手への気遣いを示す仕草があり、努力と鍛錬が大切なんですね。

(YK)