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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

愛がすべて

2018年2月17日

Love平昌オリンピックでフィギュアスケートの羽生結弦選手が2大会連続の金メダルを獲得しました。

怪我を克服しての快挙は彼の強い精神力と努力の賜物ですが、一番の源は羽生選手のフィギュアスケートへの愛ではないかと感じました。

自分が愛するフィギュアスケート、それを応援してくれる人々への愛。その愛にこたえるために絶対にあきらめない、ストイックに自分自身の技術を磨くことに専念し、試合では人並みならぬ集中力を出すことが出来るのではないでしょうか。

 

バレンタインデーの季節だからではありませんが、このところ全てのエネルギーの源は「愛」だと考えています。

一生懸命に頑張れるのも、辛いことがあっても我慢出来るのも、もっと良い仕事をしよう、結果を残そう、と思えるのは誰かへの、何かへの愛があるときに、さらに強くなるような気がします。

そう考えていると、先日参加した横浜市の女性のためのシンポジウムで林文子市長が冒頭のあいさつで「愛がすべてです」と言うではありませんか。

わー、やっぱり!と鳥肌が立ってしまいました。

 

しかし同時に林氏は「働いていてビジョンなど持ったことがなかった。いつも他人に『あなたやりなさい』と言われたことを、周囲の人に気を使いどうしたら喜んでもらえるだろうかということだけを考え、仕事は本当に辛かった」とも言います。

林氏は、高校を卒業し事務員として一般企業に入り、その後車のディーラー会社に入り営業に転じ、フォルクスワーゲン、BMW、ダイエーで社長、現在横浜市長として2期目を務めています。

その彼女が「自分の意思ではない役職を与えられて、男性ばかりの組織で他人に気を使い、ひたすら働きそれは苦しかった、楽しいことなどなかった」と言うのです。

「愛がすべて」という言葉の裏には、それをやり抜くことが出来たのは「愛」の力があったことを実感しているからなのでしょう。

誰か特別に愛する人がいたという意味ではありません。誰かの愛に支えられていたということでもないでしょう。自分の選んだ仕事への愛、一緒に働く人たちへの愛、お客様への愛、そして自分を支えてくれる家族や友人への愛。それにこたえる気持ちがあれば、くじける訳にはいかない、そういう意味だと私は受け取りました。

 

林氏は、車の営業ウーマンとして抜群の「おもてなし力」で成績をあげて、社長にまで上り詰めた人です。その彼女が「ビジョンなど持ったことがなかった」という言葉にも私は驚きました。

彼女は、最初から上を目指して積極的なリーダーシップを執る人ではなく、むしろフォロワーシップにたけた人だったのでしょう。

 

フォロワーシップとは、上位にいる人(リーダー)を支援するために何をしたらよいか自分自身で考え、組織の目標に貢献するために主体的に動くことを意味します。

「自分が、自分が」ではなくまた「上司の指示待ち」でもなく、組織の目標が何かを考えて周囲を支え行動する人です。

考えてみると、この「フォローシップ」を実践している女性は昔から組織に多いように思います。

そしてフォロワーシップを発揮するのに必要なのは、やはり「愛」だと思うのです。

 

そうは言っても上司は愛せない。という声が聞こえて来そうです。何も仕事において上司をそのまま、まるごと愛する必要はないのです。

自分が仕事を愛しているのであれば、それを共に目的へ向かって進めていく相手と捉えれば同志としての「愛」を持てるのではないでしょうか。

そして職場への愛、同僚への愛は女性には強くある人が多いでしょう。

もし、自分の仕事も愛せない、という人がいたらそれは残念です。仕事に対して失礼です。なぜなら自分の生活を支えてくれているのは「仕事」だからです。

 

林市長は、日々職務に忙殺され風邪をひいても休むことも出来ない、それでも現在は市長として「これがやりたい」と考えたことを周囲の男性職員が「話を聴いて自分の指示で動いてくれる」ことに今ようやく「ストレスのない幸福」を感じているそうです。

それを林市長は「女性活躍推進の政策に取り入れられ女性を組織が認めてくれるようになったから」(政治家的発言だとも思いましたが)と言っていました。が、私はそうではなく、政治家としてビジョンを持ち実行できる立場に立っているからだと思います。

 

今回、70代の林氏から感じたことは様々な経験を経た女性の包容力でした。まさに、自分のあとへ続く女性たちへの「愛」を感じました。

美しく年老いていくことはどの女性にとっても永遠のテーマですが、「愛」はまさにその源になるのではないでしょうか。

(YK)