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Omotenacism for women女性のためのオモテナシズム

やられたらやり返すが流行るわけ

2020年7月31日

アシカ研修やセミナーの期待度で、男性と女性が顕著に違うことがひとつあります。

男性は知識の習得を重視し、自分が持っていない意見を得たいと期待して参加する傾向にあります。

だから講師は自分より何かのレベルで上であることを求めます。

研修受講後に何か新しい知識や情報を持ち帰ることができると満足度が増すので、準備する際にはデータやグラフなどを含めインプットを多くします。

 

一方、女性はもやもやしていることを解決したいと参加してきます。新たなことを求めて参加する方はもちろん多いのですが、それでも自分が考えていたことがクリアになり、自分の考えが間違っていないのだということに確証を得られると満足感が高まります。

だから私は女性ばかりの研修では、ディスカッションを多く、参加者自身のアウトプットを多くします。 そしてその方法はグループディスカッションなどおしゃべりベースで気持ちを楽に話せる機会で、話せば話すほど女性は満足します。

さらに女性の発言量は、知らない参加者同士であると多くなるのですが、同じ会社の同僚同志であったり男性が混ざったりすると控えめになります。

 

 

さて、先日、ある研修でのこと、男性受講者が講師の私が例としてあげた話に対して、彼が知っている事実に基づき質問をしてきました。

実は私は彼があげた事実を知りませんでした。

 

さて、大変、私の中では混乱が始まりました。他の参加者が皆、私の答えに注目しています。平静を装い「なるほど、ご意見ありがとうございます」と逃げ切りましたが、自分の中では苦い思いが残りました。

少し冷静に考えてみると、何もそれで私の論拠が変わるわけではなく、さらに質問を投げかけ議論を深めればよいことだったのですが、私はとっさに真面目に対応しようとしてしまったのです。

 

その日はそのことが気にかかり、ひたすら一人反省会を行いました。

そして、あんなに準備しているプログラムはまだ完璧ではないと自信を失います。

さらに、やっぱり知識をちゃんと得なくてはと反論されたことに関しての本を大量に注文して読み始めした。

まさにいつも自分が女性に説いている、女性の活躍を妨げる習慣です。

 

しかし同時のこの経験で久しぶりに自分が会社員時代の会議での気持ちを思い出しました。

こういう風に反論されたり異論を唱えられるのが怖くて会議では沈黙しがちだったのです。

異論を唱えられると、自分の知識不足が露呈したような気持ちになるし、反論されると自信がなくなります。

しかも、そういう時の相手、特に男性は攻撃的です。だから発言しないで置こう、そう思っていたのです。

 

 

そうか、女性が発言しないのは、男性が心理的安全な場を失わせるからではないか!

そのヒントが最近読んだ橘玲氏の新書「女と男なぜわかりあえないのか」の中にありました。

 

男は子孫を残さなければならない本能で、あらゆる組織あらゆる場でトップを目指して激しい権力闘争をするが、女性はそのような競争をするように設計されていないから不利である。

そして、そうした性差を口に出してはいけない風潮が、原因を「男性優位社会」と「女性の自己責任」にしている。

 

男性はそもそも仕事場は競争の場であって心理的安全な場ではないのでしょう。

「やられたらやり返す」を連呼するTVドラマが流行するわけです。

 

女性がとるべき行動は、反省してさらに勉強することではなく、目の前に知らないことが提示されてもそれをどう扱うかというスキルを磨くことなのです。

進化していない種のマウンティングだと思えば、少し気を楽に技を磨いていけるはずです。

 

参考図書: 「女と男なぜわかりあえないのか」橘玲著 文芸新書

(YK)