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Columnコラム

思いに寄り添うものの価値

2017年6月11日

advertising-1846054_1280来週は父の日。

何を贈りますか。

父のいない私は贈る相手のいない寂しさを感じます。

 

最近、断捨離という価値観が最近では重視されて

物はなるべく持たない、

そしてブランドなどという他人に見せるためのものはカッコ悪い、

物は機能を果たせば良いのであってそこにお金をかけるのは愚かである

というような風潮もあります。

そうした会話を耳にすると「分かっていないなあ」と紹介したくなるのがかつての上司に教えてもらった「物の価値」です。

たとえば、あなたが毎日毎日、手帳に予定やTO DO LISTを書きこんでそれを眺めることが重要なことだと感じているとします。

それだけであるならビニールの表紙であろうが紙のノートであろうが構わない。

それで特に問題を感じなければそれでいい。

ただ、毎朝、手帳を見ながら今日の予定に思いをめぐらす時

年月を重ねるごとに手触りがなじんだ良質の革に去年のことも思い出され

そして今日もまた頑張ろうと思う

そうした瞬間を大切にする人にとっては、自分の人生に相応しい手帳を選ぶだろう。

物は、機能であって、他人に見せびらかす必要もなく、ステータスを表す時代も終わったのかも知れません。

しかし使用するだけではなく、誰に贈られたのかいつ手に入れたのか、それを使って自分が何を感じるのか、

思いに寄り添ってくれる物は、いつの時代も誰にとっても大切でしょう。

思いに寄り添ってくれる物は捨てられない。

 

先日、友人が10年も前にが亡くなったお父様にあげた時計がまだ動いていると

自分で身に付けていました。

そしてそれをプレゼントした時の自分の気持ちも話してくれました。

ビジネスの景気が良い時だったので両親に高価なペアウォッチを贈ったこと。

お母様とお父様とでは性格が違って時計の扱いも異なり、お母様はすぐダメにしてしまったこと。

懐かしいほほえましいエピソードが友人の想いと共に語られました。

物がなければ、私はそのエピソードには出会えず、そしてそんな話を語る友人がさらに好きになりました。

形見。

そういえば亡くなった人の品物は「形に見える」形見。

見えないものは形に宿るわけですね。

 

さて、父の日、何を贈りますか。

YK