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Columnコラム

おほほほ!昔のマナーに戻る

2020年7月27日

笑う女性おほほ」と笑うときに、日本人が手で口を隠さなくなってどのくらい経つのでしょう。子供の頃母が、PTAで手を口にあてて笑ったら「お上品ぶっている」と言われたと憤慨していたことがありました

 

口の中を見せるのははしたない、という認識がかつて日本人にはありました。外国人にとっても日本の女性が口に手をあてるのは、奇妙に映るというのを知って、私も手で口を隠すのはやめて久しい習慣です。

 

今では、口を思いきり開けて笑ってしまう自分に「おばさん」らしさを感じていますが。

 

冗談はさておき、ビジネスマナーやコミュニケーションの研修では、口角を上げて歯を見せましょう、と指導しています。

しかし、これが今、変わりそうです。言わずもがな、コロナの影響です。

 

そもそも、日本人が口を隠すのは見た目の問題だけではなく、唾を飛ばさないため。相手への配慮です。

テレビのお宝を鑑定する番組で、絵の鑑定を行う人が白いハンカチを口にあてて絵を眺めているシーンをご覧いなったことがありませんか。古美術や絵を見るときには、ハンカチを口に当てることは実はエチケットなのです。

その理由は飛沫です。唾液やくしゃみなどで美術品を痛めては失礼にあたる。飛沫が飛ぶことを日本人はきっと昔から、知っていたのですね。

 

そんな忘れたマナ―は優雅なハンカチや手ではなく、マスクに形を変えて戻ってきました。 この先、マスクを外すようになっても、新たなエチケットとして再び日本人らしさを取り戻しても良いのかも知れません。

おほほほ!

 

*こちらのコラムはNOTE YAYOI by Omotenacism にも掲載しています。

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オンライン時代の「さようなら」

2020年4月30日

動画の表紙TVの朝のワイドショーや夜の報道番組を見ていていつも私が注視してみてしまうのが終了時のキャスターや解説者たちの深いお辞儀です。

「今日もご覧くださいましてありがとうございました」とメインキャスターが言うと、全員が座ったままほぼ90度くらいのお辞儀をしている番組が多くみられます。

 

そんなキャラでないようなキャスターであっても、やっぱりここで「見ていただいている」という気持ちを伝えているのかしらとか、そこまでは不要じゃないのかしら、とか思いながら、いつまで頭を下げているのかなあと最後まで見ている私です(笑)

 

さて、この2か月、会議やセミナーにオンラインで参加する機会が多くなりました。

オンラインでホストをする場合、特にウェビナーの場合、空気がの切り替えが大切だと先日出たZOOMのセミナーで聴きました。日常から大勢とのミーティングへのモードへスイッチを切り替える、何か合図を自分でもっているとよいとか。別の空間に映るのだという意識が重要だそうです。

空気って伝わりますものね。

開始の時はそれが比較的しやすいような気がします。

 

一方、終了時はホストが「では、これで終わります。退出してください」と言って、それぞれバラバラに退出して画面から消えていくというのがほとんどです。

その間、ホストは画面を見てにこにこしていたりするわけです。退出するほうはなんとなく「さよなら~」と手を振る人や、なんだか名残惜しいような感じでゆっくり出る人と、ブツッ!と去る人、色々ですが、空気が閉まりません。

また、今日のミーティングではホストが「では切りますよ!さようなら」と一斉退出にして切られました。

これはこれで余韻がない。送って欲しかったなあ、とリアルのときと同じような印象を持つのは私だけでしょうか。

 

そこで思い出したのが冒頭にあげたTVのお辞儀です。あれは、やっぱり送り手が迷った末に考えた終わり方だったのかも知れません。

来月からは私もオンラインの研修ばかりです。どんな風に空気を作るか、気持ちを見せるか、試行錯誤が続きます。

空気のつくり方、画面を通してだから今以上に大切かも知れません。

(YK)

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良い習慣は捨てられない

2020年4月24日

16コラムapples-627325緊急事態宣言が出されている中、買い物に行くだけなのに戦場へ出かけるような気持ちでマスクをつけ武装。気を使います。

 

しかし、エレベーターでは「背中合わせで立ちましょう」と言われても、知り合いがいればついつい挨拶してしまったり、混雑しているから一台待とうと思っているのに、中にいる人は「開」ボタンを押して待っていてくれたり、日ごろの習慣はなかなか捨てられません。

 

コンビニやスーパーでは、現金のトレイが置いてあるのにまだ手渡ししようとする店員さんに、「あっ」と思ってもそのまま受け取ってしまうし、配達員は印鑑がないというと思わずペンを手渡ししてくれることも。

他人に配慮する優しい習慣は定着して、なかなか忘れられないのだなあと思います。

 

相手を気遣う習慣が相手への脅威になる、感染病というのはなんてたちが悪いのでしょう。

今は、うつさないための配慮が一番のマナー。触れない、近寄らない、声をかけない。

 

これからこのウィルスが落ち着いたとしても、マナーは変わっていくでしょう。

それでもいたわり合う気持ちだけは、なおさら忘れないようにしたいと思います。

マスクはしていても、目力で思いを伝えて、愛のある日々を過ごしましょう。

(YK)

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どうしたら友達になれるのだろう?

2020年2月29日

ベトナムのタクシートナムへ行ったときのこと。

空港まで迎えに来てくれた車のドライバーは英顔があまり通じませんでした。

私の希望が通じないし、行先や料金の確認をしたくても理解してもらえない。おまけにちょっとしたミスまで発生。

やりとりするうちに段々、かっかしてきた私に、ついに彼は翻訳機を取り出し、私の口に向けて話せと身振りで示しました。

さらに腹が立った私は「あなたが間違えた分は私は払いませんからね!でもホテルへはちゃんと連れて行ってくださいね!」と日本語で怒鳴りました。

すると、翻訳機を通して彼から返ってきた言葉は「どうしたら友達になれるのだろう?」

 

その一言で、一瞬で私の怒りはどこかへ飛んでしまい、吹きだしてしまいました。

怖い顔していた自分に気づいて、冷静になりました。

そうよね、せっかくの旅先お友達にならなきゃね、となごんでしまい、ま、間違いは仕方がないかと落ち着きました。

 

彼がベトナム語で何を言ったのか正確にはわかりません。たまたま翻訳機がそういう訳をしたのでしょう。

彼の言葉の正確な訳ではなかったかも知れません。

でもそれだけで、彼の印象がいっきに上がってしまったのですから言葉は大切です。

いくら優秀な翻訳機があっても、同じ言葉で話さなければ本当に行間に込めた思いまでは通じません。

しかし、今回、とぼけた翻訳機が機能以上の役割を果たしてくれました。

異国で、楽しい旅行をしたかったのですから、誤解はさておき友達になれることのほうが大切。

 

こんなシーンがこれからの日本のあちらこちらでも起こるのでしょうか。

粋な翻訳機の活躍に期待します。

(YK)

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AIのおもてなし

2020年1月21日

ユニクロ久しぶりにユニクロへ行ったら、大半がセルフレジに変わっていて、遅ればせながら初めて使いました。

 

ざっくり籠に入れた商品を置くだけで、瞬時に点数と価格を読み取ってくれる。

本当に間違えていない?え、8点もあるかしら、と数を数えてしまいましたが間違えていませんでした。

あとはカードを差し込んでサインをして終わり。

あっという間にお会計が終わりました。便利!長い列に並ぶのが面倒で今日は買うのをやめよう、なんて思うこともこれで解決されますね。

 

そして、嫌いだったゴワゴワするプラスチックバッグの代わりに、紙のショッピングバッグの大中小が選べるようになっていました。そのうち、それもエコバッグにとって代わるのでしょうね。

 

人のぬくもりは大切だと思う私ですが、正確で清潔で迅速あればこちらのほうがいい。

しかし、どうしたら便利なのか、買い物する人のストレスが少なくなるのかを考えるのは人。

だから、おもてなしマインドは仕組みやシステムを考える人にこそ、ますます必要になっていくでしょう。

 

同じ日、郵便局でレターパックを数枚買ったらショッピングバッグがいるか聞かれました。バッグの中にそのまま入れると汚れそうなので「ください」というと、バッグに入れてくれようとします。

「いえいえ自分で入れるから袋だけください(なぜなら自分のバッグに入るように折り曲げて詰めたい)」というと、 優しそうな窓口の女性は「そんな、とんでもない」と言って丁寧にショッピングバッグに入れて渡してくれました。

結局、私は入れてくれたバッグをあけて、再度、自分で詰め替えました。

うーん、自分でやるって言っているのに。

丁寧ならいい、手をかければおもてなし、ということではないですよね。

 

一歩先を読む、相手の状況を想像する、相手にとって便利とは何かをとことん突き詰めて考えるプロセスが、AIの時代のおもてなしになるのではないでしょうか。

(YK)

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多様性だからカッコいい~ラグビーワールドカップ~

2019年9月21日

ワールドカップ (2)ラグビーワールドカップが日本で始まりました!

初日から熱戦が行われ、2日目は世界の強豪の試合が続いて、日本戦でなくてもテレビの前で釘付けになっています。

ラグビーの楽しさはもちろんですが、気が付いたことが二つありました。

 

まず、一つ目はレフリーの選手への声掛けです。

耳を澄ましていると注意をする際、選手たちに「Boys!」と呼び掛けています。

2メートル近い巨漢に対して、BOYS!(男の子たち)という呼びかけはかわいいですね。

「You」とか「Guys」ではなく、いかにもイギリス発祥の紳士のスポーツらしい。

日本人同士だと、チーム名を呼んでいるけれど、いいなあと思って耳を澄ましてしまいます。

かなり激しいスポーツではあるけれど、こんなところに品位を感じてしまいます。言葉って大切。

男の子たち、なんて言われたら不満はあっても黙って従いますよね。

ラグビー好きのひいき目でしょうか(笑)

 

そしてもうひとつ。

ラグビーは国を代表するチームであっても、様々な国籍の人で構成されています。

またラグビーという競技は、ポジションによって役割が異なるので、体格や強みも様々な選手が集まる実に見た目も多様性に富んだチームになっています。

試合終了ノーサイドとなり、敵も味方も肌の色が異なる選手が肩を抱き合ってたたえあう姿を見るとダイバーシティとはこういうことだと感じます。

 

日本のチームにも外国人はいます。外国人枠が設けらえていてルールがあるようですが、同時出場は6人までだそうです。

一時、日本代表に外国人がいることに違和感を唱える声もありましたが、結果、強い良いチームになったのであれば成功ですね。

 

島国で単一民族で構成されているといわれてきた日本も、今では外国の人も職場に増えて、人種や言語だけではなく、多様な価値観に対応することが求められるようになって久しくなります。

しかし、まだまだ進んでいないのが現状です。

是非、混合の文化が良い結果を出せること、そして見る人々に感動を与えられれば、日本のダイバーシティの進化も後押しするのではないでしょうか。

日本中にはジャージー姿の外国人もあふれて、観客同士の交流が良い思い出になりそれが互いの国のイメージになる!

楽しく安全にワールドカップが成功しますように。

 

(YK)

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リーダーに必要なおもてなし力

2019年7月13日

礼儀正しさ最近、書店で「人望を集める人」だとか「リーダーの礼儀正しさ」というようなテーマの本がよく売れているようです。

私たちはオモテナシズム設立当初から、「おもてなし」とは他人に対する思いやりや配慮といった温かな心であると訴えてきました。そしてその温かな心を示すために、笑顔や相手を承認したり、共感したり、傾聴する、感じの良さ「おもてなし力」が必要であると考えています。

 

感じの良い人で構成されている組織であれば、誰もが安心して働くことができます。だから接客サービスに限らず、組織で働く全ての立場の人に「おもてなし力」は必要です。

そして、それを浸透させるにはまずリーダーが「おもてなし力」を磨かなければならないと考えています。

しかし、多くの企業では「おもてなし力」は営業社員や販売員、社会に出て間もない新入社員には必要であると考えいるのに、管理職にも必要だと感じている企業にはあまりお目にかかることがありません。

 

では、上に立つ人ができているかというと、これらの本が人気を博しているところを見ると、状況は明白です。

これまでリーダーシップの要素としての「おもてなし力」はあまり注目されていなかったのではないでしょうか。

さて、これらの本を読んでみると、以下に「失礼な人」が企業の損失を招いているかを述べた後で、笑顔の効果や、同僚や部下を名前で呼びましょう、というような多くの新入社員研修でマナー講師が教えているようなことばかりです。

今、上に立つ人たちでも、そこそこの大企業であれば新入社員時代にこうしたことはどこかで教わっているはず、ですよね。

今、上に立つようになって、できていないのは、忘れてしまったのか、身についていなかったのか、あるいは、自分たちが部下の時代にお手本となるリーダーたちが、笑顔や感じの良さを見せてくれていなかったからかも知れません。「部下を持つようになったら、笑顔でなくてよいのかも。むしろ強面のほうが権威がありそう」と感じても不思議はありません。

そうきっと「おもてなし力」のあるロールモデルがいないのですよね。

とはいえ、世間に知られている成功しているリーダーと呼ばれるひとたちの多くは、「おもてなし力」イコール「人間力」を備えていることは知られています。

 

「おもてなし力」は連鎖です。自分がもてなされなければ、他人をもてなさなくなります。

優しがが欠如する組織になり、それは今、国をあげて取り組んでいる働き方改革に逆行します。他人をおもいやることができなければ、制度があっても良い職場にはなりません。

 

先週、ジャニーズ事務所のジャニー喜多川さんが亡くなりました。大勢いるスタッフを名前で呼ぼうとすると、間違えてしまったとき傷つけるから一貫して誰に対しても「You」と呼び掛けていたそうです。それも一つの手だと思いました。名前であれば理想的ではあるけれど「きみ」だとか「ちょっと」ではなく「You」というユニークな呼びかけにかえって一員であるというメッセージと愛情が感じられたのでしょう。

 

価値観の異なる人で構成されている時代、肩書だけで他人を動かすことはもはや難しくなります。

「感じの良さ」はビジネスに必要不可欠な武器となります。

ビジネスだけではなく、大切な人と良い関係を築いていくために欠かせないスキルです。

 

さて、「感じがいい人」になりたいビジネスパーソンの皆様、オモテナシズムは研修も個人コーチングもいたします。

今さら、笑顔の練習ですか、と言わないで感じの良さをいち早く磨いておくことをお勧めします。

キテますよ!

YK

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品格は顔に出る

2019年6月9日

人望が集まる人の考え方ビジネスのパーティや交流会で、初対面で名刺交換をするといきなり自分が何をしているのか一生懸命アピールしてくる、そしてこちらについて知って自分にあまりメリットがなさそうだとすると、すっと離れていく。そういう人いますよね。

何かしら自分が得ることを期待して参加しているのだから、無駄な人とは話したくないと思っているのでしょう。

でもそんな態度の人は、誰であっても好印象を持ってもらうことが出来るでしょうか。

 

「相手に好印象を与えたいなら、自分のすごさをひけらかす必要はない。相手に感銘を与える最も効果的な方法は、自分が相手に感銘を受けたことを伝えることだ」

心理カウンセラーのレス・ギブリン氏は「人望が集まる人の考え方」で初対面で犯す失敗に自分を「すごい」と思ってもらいたいばかりに相手を認めない傾向を指摘しています。

自分だけでなく、人は誰でも自分を認めてもらいたい承認欲求を持っています。

自分の話を聞いて共感し受け入れてくれる相手は、良い人だと誰でも感じます。良い人だと感じてもらえれば、もしかすると直接的なビジネス関係は自分とはなくても、他の人と繋げようという気持ちに人はなるものです。

 

人の価値を自分にメリットがあるかどうかで判断する、自分に得かどうかだかだけで見ている人は、顔つきまでギラギラしています。

世界で最強の富と力を持っている大統領が、日本の皇室や英国のロイヤルファミリーと並んだとき、それは歴然と表れていましたね。

品格とは、家柄や育ちだけではない、人に対する尊敬の念を持つ姿勢の表れではないでしょうか。

(YK)

 

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謙虚さを学ぶ

2019年5月29日

【HP】お手前手元茶道のお稽古にきちんと通い始めて一年。

大きな発見がありました。

どこの流派でも、先生でもそうだと思いますが、お稽古にはテキストがあるわけではなくただただ、ひたすら、先生や先輩の所作を見て覚えて真似る。

割り稽古と言って、部分の所作は先輩が教えてくれますが、それも何度も何度も所作を繰り返す。そこにあまり理屈や理論は入りません。

そして、真剣に見て真似ても、次のお稽古には忘れてしまって、また真剣に他の人の所作を見て真似る。

大変な集中が必要。マインドフルになれる時間です。

 

書店へ行けば、茶道の手順を写真入りで示した本はいくらでもありますが、それを見たところでそして事前に練習をいくらしたとことろで、お稽古の場に行くとそのとおりにはふるまえません。所作には、事前練習や小手先の練習は通用しない。

日頃、すぐ検索して調べたり知識の蓄積に走る私には、これは困ったこと。

だから、お茶のお稽古の場では、少しでも先に初めた先輩の動きに大いに関心して見入ってしまい、できない自分に「はー」とため息が出ます。

この「出来ない自分」に真っ向から気が付くところがとても清々しい。

そしてお稽古仲間が普段何をしているかなんてことに興味はなく、たたただ美しい振舞いの出来る人に憧れてしまいます。

ある程度年齢を重ねている人はそうだと思うのですが、普段、仕事はもちろん、趣味においてもある程度自分が出来ることであったり得意なことに取り組んでいることが多いなかで、お茶のお稽古では「私ってなんて未熟なんだろう」とつくづく思い、この先どれだけやれば上手になるのか皆目見当もつかない世界です。

頭で考えることが通用しないけれど、自然に手が覚えていたりすると嬉しいし、謙虚な気持ちになります。

 

「美味しいお茶を飲むことが目的なのよ」と先生はおっしゃってくれますが、その美味しいお茶の背景には美しい所作、相手への気遣いを示す仕草があり、努力と鍛錬が大切なんですね。

(YK)

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年齢の話とダイバーシティ

2019年4月24日

結果自然成「私、いくつに見えますか」たまたま、最近、初対面の男性にこの同じ質問を続けてされました。さて、困りました。60代に見えるけれど、きっと年齢より若いということを言って欲しいのだから、もう少し下に言おうかしら。答に屈してしまいます。

結局、見える年齢よりさらに若い年齢を答え、つまり相手の意図にはまることになり「わー、お若いですね!」ということで盛り上がり尋ねた本人自身だけが満足です。

他人に忖度を強いて相手を当惑させる質問、いかがなものでしょうか。

 

またよく起こるケースで、出身大学が一緒であったことが判明すると、どちらが先輩か後輩かを明らかにしたがる人がいます。であれば「私は○○年卒業です」と言っていただければ、素直にこちらも「では私は●●年です」と言えるのですが、「僕が後輩かな・・・」と言われるとかなり微妙な気持ちになります。

誰でも自分は若いと思っているので、白髪頭だったり髪が薄くなった男性に後輩です、と言われるとそうだろうなあ、と思いつつ寂しい気持ちになるのは私だけでしょうか(笑)

また「●●と同じくらいかな」とかなり私より年上の女優さんの名前を言われて落ち込んだことも・・・・(笑)

 

そもそも、何故日本人は年齢の話をするのでしょう。外国人はめったに相手の年齢を聞くことはありません。というのも聞く必要がないからではないでしょうか。

最初の自己紹介で、25才と言われても55才と言われても楽しく話をするのに必要がない気がします。むしろ、若い人に向かって年齢を尋ねたとしたら、若さを馬鹿にしていると傷つくかも知れません。

 

いえいえ、日本人は年上や先輩を敬うことを大切にしているので、年齢や役職が気になるのだ、という説もあります。

では年下だと思ったら後輩だったら、言葉遣いや態度が変わってもいいのでしょうか。

 

最近、こういう経験もありました。私の職業をビジネスコーチと名乗ると「へえ、どんな分野でやっているの?」といきなりの質問。フレンドリーに話したいというアプローチは理解出来たのですが、他人に物を尋ねる言葉遣いを知らないことに驚きました。ちなみに相手は、私より20才は年下の女性です。心の中にいきなり土足で踏み込まれたと感じさせない言葉遣いやマナーはいつの時代もどこの国の言葉でも必要です。

 

一方、ひるむこともなく、媚びることもなく、自分の考えを堂々と述べて、こちらの話にも耳を傾ける20代の人がたくさんいることにも驚いています。そうした若者は、自分の頭で考え、自分の言葉で伝えさらに成長しようとしているから、相手の話にも耳を傾けることが出来るのでしょう。清々しい気持ちになります。

 

「ダイバーシティ」や「インクルージョン」という言葉が盛んに取り上げられた平成は、個を大切にする、違いを尊重することに気づいた時代でした。

令和は、まさに名前のとおり、個が調和していく時代になることを大いに期待しています。

 

だからこそ、様々な「個」が融合するために言葉や態度は大切なルールです。

そして、日本人は、年齢や肩書を離れて自分を語ること、相手を尊重するための会話のセンスを年代問わずもっともっと磨いていく必要があると感じています。

(YK)

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